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2020年01月09日 18:08
本当に「尊厳」を持ちたいなら、先ず、我々が、世界で揉まれてこなかった島国の民で「お人よしのノホホン国家」の国民である現実と向き合い、認識を深める事必要がある。 「冷笑され」る事に耐えられず、自己の身の丈をも弁えず、「毅然とした姿を見せ」ようと直ぐにいきり立つのは恥の上塗り以外の何物でもない。
2019年01月15日 17:32
本当の自信は、誰かと比較したり世間の基準に寄りかかって判断をしている限り持つことができない。賞賛によるのも虐めによる自己評価も共に本物ではない。
2019年01月14日 12:04
自信が有る無しの責任はすべて、今生きている存在自体にある。 先祖の姿が立派でなければ自信が持てない者は、過去(の他者)をアイデンティティーの拠り所にしている点で、「自虐」に浸る者と同じ次元にいるのだ。
2018年11月09日 16:22
「適切な努力」という発想が出てくるのは、人生を目的と手段の連鎖として生きているからだ。 自己の生を手段化するものは当然、他者も単なる手段として扱う。目的達成の前に失敗挫折した者の人生は無意味で呪われていることになり、我々は孤独と不安に苛まれる。 現代人がこのような「規範意識」の呪縛から脱するには、人間関係の幅とか日常生活のあそびだけでは不十分だ。永遠に二度と来ない今ここを常に目的として、あたかも最後の日のように毎日を生きるような魂レベルの転換が必要となるだろう。
2018年11月08日 20:52
前から思っていたことだが、女のための哲学が必要だと思う。 哲学史の中で女性の貢献がまったくなかった訳では無いが、やはり今でも思想界は圧倒的に男の世界なのは確かだ。 女の生き方的な本はたくさんあるが思想レベルで女性を「解脱」(=自由)に向かわせるものは少ない気がする。山口氏もボーヴォワールなどは読んでるだろうが、私が個人的にお勧めなのはシモーヌ・ヴェイユだ。 氏にも是非そんな本を書いて欲しい。
2018年10月26日 16:37
決めつけてはいない。だが、依存症を克服するのは、そんなに簡単なことなのかい?
2018年10月26日 14:07
子育てとは厄介なものだ。 甘やかせば親が悪いと言われ、厳しくし過ぎて問題が起きればまた責められる。 この記事の結論は子供に金をやるなということだが、経済的援助を絶たれた子供が自暴自棄になって犯罪に走ったり自殺したりすれば、この筆者は真っ先にまた親の責任を言い立てるだろう。
2018年10月21日 22:29
小さな子供では人形の持つ意味が異なる。それは自己の分身だ。まだ捨てる必要はない。
2018年10月21日 21:32
アニメ絵や萌え絵が人形をルーツとしていて、人種的な特徴を消し去る方向に進んできたことは、むしろフェミニストの批判が的外れでないことを示している。 ポルノの本質は、他者をモノ化し所有支配する欲望であり、人形化や無国籍化もモノ化のひとつの現れとすればその先がポルノにつながっていても何ら不思議ではない。 目は大きいが顎や口の小さな絵の少女は、人間ではなく、自らの主体的な意思を語る言葉を持たない、まさに「人形」である。
2018年10月07日 15:45
「次世代育成の負担を公平にする」のは賛成だが、では貴方の公平感の達成はどこまで独身者に税を課せば実現するのか。「フリーライダー」と呼ばれないためにどこまで負担すべきか。それが可能で実際に支払われたらその結果貴方の子供の未来は食いつぶされたのでなく正当に買い取られたことになるのか。 もし年金自体に不公平感があるなら、制度に添わない人に向け憎悪の種を蒔くより、子育てをしたものが応分の支給を受ける権利を求め、制度を社会の動きに合わせて変えることを考えるべきではないか。それが責任ある「未熟」でない者の態度ではないのか?
2018年10月07日 10:42
不満や怨念を独身者に向けて、懲罰的な税負担を求めるのは筋違いだ。 少子化は、「大変な手間も金もかかる」次世代の養育のコストを国や経済界が各家庭に殆ど押し付けてきたのが原因であり、独身者の増加もその結果に過ぎない。 貴方は非難する相手を間違えている。
2018年10月06日 12:10
年金は、現役時代に納めていなければもらえない仕組みだから、フリーライドはありえない。子供がいなくても現在納めている金は今の老人世代の年金を支えている。 問題は、人口が将来も増加し経済も成長し続けることが前提の、ネズミ講のような制度設計にある。これを正せなかったのは国民全体の責任だ。 「子なし税」も実質的には既に在る。扶養家族がいると所得税を軽減する措置が受けられ、独身者は、実際にはより多くの税を課されている。 コメントの前半は、大そう御立派な御意見で感心したが、「自分のために生き」ておらず「未熟」でない立派な貴方がこんな単純な社会的事実に考えが及んでいないのを、私は不思議に思う。
2018年09月08日 15:14
スポーツの女子選手と男性指導者の関係に、不穏な、不健康な、感じがするケースを目にすることがある。 マスメディアに露出した問題コーチたちを見て私が感じたのは、女子選手に対して絶大な影響力を持った彼らの意外な小者ぶりだった。彼らに自立した大人の姿は見えてこず、若い女性との共依存の可能性すら思い浮かぶ。 ただ、難しいのは、それが時に大きな成果を生むことがあり勝利を至上とする風潮の中でその問題性に光が当たりにくいことだ。 しかし、たとえ試合に勝つアスリートが出来上がるとしても、体罰やハラスメントを伴う関係性を温存する集団を黙認すべきではない。放置すれば、いずれその歪みのツケを社会は払うことになるだろう。
2018年09月08日 14:51
この文章は、彼女の本音まるだしでは無く、未だ洗練されていない「芸」と見るべきでは? 感情の吐露のように書かれている部分は、多分、本人にとって実はどうでもいいことだ。 本当の目的は、朝日系で塚原夫婦を擁護してる女性ジャーナリストのようにあからさまではない形で、マスコミが作り上げた善悪の構図を相対化する視点を提供することにあると私は見た。
2018年09月06日 21:51
もちろん本人の問題であり責任であるが、背景には飲酒に肯定的な社会のあり方があると思う。大麻などには非常に厳しい日本人が、ことアルコールに対してはとても寛容なのだ。 だが自動車事故だけではない、飲酒をきっかけに暴行や殺人さえ起こることもある。酒も一種の「危険ドラッグ」ではないのか。
2018年09月04日 03:55
訳語の問題はあると思う。「教養」は、知識を自慢する鼻持ちならない奴といったイメージをまとってしまった。リベラルアーツの「リベラル」も今や憎悪や嘲りの対象となっている。原因は「自由」の哲学を日本人が理解できなかった事にあるが、もともと大衆はこの思想を好まない。自由は責任倫理でもあるからだ。 この記事の主張を私は概ね支持する。だが表現の仕方は注意を要すると思う。コメ欄には意味を理解できない者や反発を示す者がいるが無理もない。教養の大事さを知るにも教養が必要という厄介な問題もある。
2018年08月24日 19:08
私がこの言葉から受ける嫌悪感は、「生理的」と言うことで、自身の精神的価値判断を身体的反応の問題にすり替え、発言や態度の人間としての責任を回避しようとする姑息さから来ていると思う。 相手がこの言葉を使うかどうかは、人間性判断の指標の一つになるだろう。
2018年08月24日 17:59
人間の「働かない」例にニートと引きこもりを挙げているが、もう少し広げて、最近流行りの「生産性」が、はっきりしないような状態の人を含めて考えると良いと思う。例えば芸術家とか宗教者とかヤクザとか精神病者とか。このアリの研究者だってある意味似た存在かもしれない。 彼らに共通しているのは、非日常的な外部世界に接触して、「働く」側の人々にビジョンを見せたり、トリックスターとしての役割を果たしたりする可能性があることだ。 今まで人類はこのような存在に負の側面があっても根絶やしにはせず保持してきた。そこに人間社会の知恵が働いていたと思うが、最近は排除の傾向も強まっているようで残念なことだ。
2018年08月04日 17:23
この記事の主題は後半から最後の段落にあるが、コメ欄をざっと見渡した限りではここに反応しているものは無いようだ。おそらく前半の杉田批判に引きずられているのと、そもそも意味を理解できなかった為だと思う。 現代に生きる人間の生は目的と手段の連鎖に組み込まれていて、我々は他者を手段として利用し自らも誰かの手段となり果てることに慣れきっている。私も、カント倫理学の言葉「他者を手段としてのみならず、同時に目的として扱え」の意味が腑に落ちるようになるまで時間がかかった。 現在の私は後半に展開されている思想を理解し共感もするが、残念ながらこの記事には一部深刻な問題がある。それは「自分であれ他者であれ、人間や人間の生を手段化するようなことは一切排除すること」という箇所だ。ここには現在の左派リベラル勢力の過ちの典型的思考がある。 そもそも人間の手段化を「一切排除する事」は一般社会では不可能だ。家庭内の関係も労働の関係も他者を手段としている。その中で生きる我々に唯一可能なのは、手段の関係として出会った他者をできる限り目的としても扱う(一回限りの今ここを共に生きる)ことだけだ。 この反「手段化」の思想は、古来から一部の人々に脈々と受け継がれてきた哲学をベースにしているが、それは今まで決して一般大衆に広く受け入れられたことは無かった。政治的には社会主義、平等主義という形をとるが、その失敗の歴史はこの思想の安易な現実化運動がいかに危険かを教えている。皮肉な事だが、杉田水脈という存在も、実はリベラル運動の浅はかさが産み出した鬼子のようなものではないかと私は思っている。
2018年08月03日 11:04
>この文を自分が書いた例えに合わせ言ってみな 別に合わせる必要など無い。次元の違う話だから。 法は刑の確定後一定の期間内に執行することを定めているから、何年も執行されないような今の状態を認めているわけでは無い。 私の挙げた例は全て法が量刑の範囲に死刑を入れていない。つまり「命をもって償う」という論理をこの場合法は制度上貫徹していない。 死刑の執行が政治判断で長期保留されていることを持ち出して、死刑の恣意性を相対化したいのだろうが、お門違いだ。
2018年08月02日 17:20
何故なら、執行に躊躇があるのは「死をもって償う」という論理に説得力がないことに気がついているからだ。比較的早く処刑されたケースは、遺族や社会の処罰感情が強く死刑の裏の理由が露出する心配が少ない場合に行われている。
2018年08月02日 16:46
kazeoto999さんのコメントの意味がよく解らないが、追加。 死刑判決の後執行されていないケースがあるのは、政治的な判断の問題で、制度の本質に関わることではないと思う。 あるいはむしろこの事は、日本人にとって死刑というものの意味が、償うことや被害者感情などの表向きの理由とは別に、掟破りに対する制裁とか見せしめや生贄に近いものであることを暗示しているようにも見える。
2018年08月02日 09:25
死刑存続の意見が多いのは、我々が殺人という罪を何処かで許容しているからだ。ただそれを勝手に行うことは許されない。殺人犯に対する制裁は共同体のルールに従って人を殺さなかったことに対する罰なのだ。 「命を奪った者は命をもって償うべき」という論理は一見もっともらしいが、実は社会において貫徹されているわけではなく、部分的に適用されているにすぎない。 例えば、酒を飲んで車を運転し複数の人をひき殺した男、有毒な廃液と知りつつ海に流し魚を食べた多くの人を殺した企業の社長、医薬品に危険な副作用があることを知っていながら放置し多数の患者が死ぬまで対策を取らなかった役人、どれも死刑にならない。
2018年08月01日 13:56
取材や調査にも費用は掛るから営利を一概に否定はできないと思うが、この本の陳腐なネーミングについては違和感、嫌悪感が拭えない。出版の動機が本当に誠実なものだったのか疑われても仕方のないレベルだ。 ギリシャ神話についての深い教養や見識を共有しているわけではない一般の日本人にたいし、篠田氏は「パンドラの箱」で通俗的なイメージ以上の何を伝えるつもりだったのだろうか。
2018年07月19日 21:19
マイナスドライバーが必要なネジも少なくなったが、一本くらいは必ず工具箱に入れておきたい道具だ。工具は応急的に本来の用途とは違うことに使うこともあり、マイナスドライバーも鏨の代わりになったりして、あると便利なものだ。 ただこれも、古い車を自分で調整しながら乗ってるようなケースに限られる話なのかもしれない。今は男性でも機械油で手を汚したことのない人がいるだろう。裁判官になるような者なら尚更だ。 彼らがその辺の事情を理解して判断できるのか不安がある。
2018年07月13日 16:44
もし真面目=善と考えているなら、それが「常識」だとしても錯覚だと思う。 両者は次元の異なる概念だから、真面目な悪人も有り得る。彼は真面目であるがゆえに勤勉に悪を為し大きな成果をあげる危険がある。逆に不真面目な者は悪をなす場合も不真面目であるからその悪行は貫徹できない。どちらがマシだろうか?
2018年07月10日 19:03
犯罪被害者を「思いや」れる、あおい空知さんのような人の存在に私は驚く。同じ経験のない私には彼らの苦しみは想像の範囲を超えるものだ。簡単には共感することもできない。 一方で、善人ではない私にとって、麻原彰晃の下劣な根性や幹部たちの愚かさ、見境なく中傷する人間を求める一部ネット民のどす黒い魂には、嫌悪感とともに目を背けることができない。自分が同じ迷妄に陥る危険を十分に意識するからだ。 処刑によって被害者の存在はますます私の意識から無くなるだろう。だが、きっとあなたは忘れないのだろう。
2018年07月08日 21:37
実際には刑罰の目的は「更生」か「復讐」かで分けられない。遺族や社会の応報感情で量刑が変わることはあり得るし、更生教育の内容と効果が現在この国で真剣に追求され問題にされているようにも思えない。 「現代の法律のあり方」は観念的なタテマエと人々の法意識の両方を見る必要がある。
2018年05月24日 10:24
表面的な考察で、支持できない。 この記事の「絶望」とは随分と軽いものだ。全体に流れているトーンは、受動的で状況に抗う意思を持たない動物のような人間観に見える。だから筆者の語る「希望」もグローバリズムの環境変化に順応し淘汰されることを示すに過ぎないもなのだ。 こう言うと、このような批判こそ「<持てる側>」の論理だと反応するだろう。だが、人が「生き残る」だけを選択するのなら、「絶望」などと甘ったれてないで、さっさと自由を捨て動物以下の存在になればよいのだ。日大の幹部たちのように。
2018年04月09日 21:07
自身の仕事を最後に大きく傷つけたと思う。氏が重んじていた平衡の精神は放棄され、性急に死に逃げてしまった。 しかしこの弱さは何なのだろう。
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2020年01月09日 18:08
本当に「尊厳」を持ちたいなら、先ず、我々が、世界で揉まれてこなかった島国の民で「お人よしのノホホン国家」の国民である現実と向き合い、認識を深める事必要がある。 「冷笑され」る事に耐えられず、自己の身の丈をも弁えず、「毅然とした姿を見せ」ようと直ぐにいきり立つのは恥の上塗り以外の何物でもない。
2019年01月15日 17:32
本当の自信は、誰かと比較したり世間の基準に寄りかかって判断をしている限り持つことができない。賞賛によるのも虐めによる自己評価も共に本物ではない。
2019年01月14日 12:04
自信が有る無しの責任はすべて、今生きている存在自体にある。 先祖の姿が立派でなければ自信が持てない者は、過去(の他者)をアイデンティティーの拠り所にしている点で、「自虐」に浸る者と同じ次元にいるのだ。
2018年11月09日 16:22
「適切な努力」という発想が出てくるのは、人生を目的と手段の連鎖として生きているからだ。 自己の生を手段化するものは当然、他者も単なる手段として扱う。目的達成の前に失敗挫折した者の人生は無意味で呪われていることになり、我々は孤独と不安に苛まれる。 現代人がこのような「規範意識」の呪縛から脱するには、人間関係の幅とか日常生活のあそびだけでは不十分だ。永遠に二度と来ない今ここを常に目的として、あたかも最後の日のように毎日を生きるような魂レベルの転換が必要となるだろう。
2018年11月08日 20:52
前から思っていたことだが、女のための哲学が必要だと思う。 哲学史の中で女性の貢献がまったくなかった訳では無いが、やはり今でも思想界は圧倒的に男の世界なのは確かだ。 女の生き方的な本はたくさんあるが思想レベルで女性を「解脱」(=自由)に向かわせるものは少ない気がする。山口氏もボーヴォワールなどは読んでるだろうが、私が個人的にお勧めなのはシモーヌ・ヴェイユだ。 氏にも是非そんな本を書いて欲しい。
2018年10月26日 16:37
決めつけてはいない。だが、依存症を克服するのは、そんなに簡単なことなのかい?
2018年10月26日 14:07
子育てとは厄介なものだ。 甘やかせば親が悪いと言われ、厳しくし過ぎて問題が起きればまた責められる。 この記事の結論は子供に金をやるなということだが、経済的援助を絶たれた子供が自暴自棄になって犯罪に走ったり自殺したりすれば、この筆者は真っ先にまた親の責任を言い立てるだろう。
2018年10月21日 22:29
小さな子供では人形の持つ意味が異なる。それは自己の分身だ。まだ捨てる必要はない。
2018年10月21日 21:32
アニメ絵や萌え絵が人形をルーツとしていて、人種的な特徴を消し去る方向に進んできたことは、むしろフェミニストの批判が的外れでないことを示している。 ポルノの本質は、他者をモノ化し所有支配する欲望であり、人形化や無国籍化もモノ化のひとつの現れとすればその先がポルノにつながっていても何ら不思議ではない。 目は大きいが顎や口の小さな絵の少女は、人間ではなく、自らの主体的な意思を語る言葉を持たない、まさに「人形」である。
2018年10月07日 15:45
「次世代育成の負担を公平にする」のは賛成だが、では貴方の公平感の達成はどこまで独身者に税を課せば実現するのか。「フリーライダー」と呼ばれないためにどこまで負担すべきか。それが可能で実際に支払われたらその結果貴方の子供の未来は食いつぶされたのでなく正当に買い取られたことになるのか。 もし年金自体に不公平感があるなら、制度に添わない人に向け憎悪の種を蒔くより、子育てをしたものが応分の支給を受ける権利を求め、制度を社会の動きに合わせて変えることを考えるべきではないか。それが責任ある「未熟」でない者の態度ではないのか?
2018年10月07日 10:42
不満や怨念を独身者に向けて、懲罰的な税負担を求めるのは筋違いだ。 少子化は、「大変な手間も金もかかる」次世代の養育のコストを国や経済界が各家庭に殆ど押し付けてきたのが原因であり、独身者の増加もその結果に過ぎない。 貴方は非難する相手を間違えている。
2018年10月06日 12:10
年金は、現役時代に納めていなければもらえない仕組みだから、フリーライドはありえない。子供がいなくても現在納めている金は今の老人世代の年金を支えている。 問題は、人口が将来も増加し経済も成長し続けることが前提の、ネズミ講のような制度設計にある。これを正せなかったのは国民全体の責任だ。 「子なし税」も実質的には既に在る。扶養家族がいると所得税を軽減する措置が受けられ、独身者は、実際にはより多くの税を課されている。 コメントの前半は、大そう御立派な御意見で感心したが、「自分のために生き」ておらず「未熟」でない立派な貴方がこんな単純な社会的事実に考えが及んでいないのを、私は不思議に思う。
2018年09月08日 15:14
スポーツの女子選手と男性指導者の関係に、不穏な、不健康な、感じがするケースを目にすることがある。 マスメディアに露出した問題コーチたちを見て私が感じたのは、女子選手に対して絶大な影響力を持った彼らの意外な小者ぶりだった。彼らに自立した大人の姿は見えてこず、若い女性との共依存の可能性すら思い浮かぶ。 ただ、難しいのは、それが時に大きな成果を生むことがあり勝利を至上とする風潮の中でその問題性に光が当たりにくいことだ。 しかし、たとえ試合に勝つアスリートが出来上がるとしても、体罰やハラスメントを伴う関係性を温存する集団を黙認すべきではない。放置すれば、いずれその歪みのツケを社会は払うことになるだろう。
2018年09月08日 14:51
この文章は、彼女の本音まるだしでは無く、未だ洗練されていない「芸」と見るべきでは? 感情の吐露のように書かれている部分は、多分、本人にとって実はどうでもいいことだ。 本当の目的は、朝日系で塚原夫婦を擁護してる女性ジャーナリストのようにあからさまではない形で、マスコミが作り上げた善悪の構図を相対化する視点を提供することにあると私は見た。
2018年09月06日 21:51
もちろん本人の問題であり責任であるが、背景には飲酒に肯定的な社会のあり方があると思う。大麻などには非常に厳しい日本人が、ことアルコールに対してはとても寛容なのだ。 だが自動車事故だけではない、飲酒をきっかけに暴行や殺人さえ起こることもある。酒も一種の「危険ドラッグ」ではないのか。
2018年09月04日 03:55
訳語の問題はあると思う。「教養」は、知識を自慢する鼻持ちならない奴といったイメージをまとってしまった。リベラルアーツの「リベラル」も今や憎悪や嘲りの対象となっている。原因は「自由」の哲学を日本人が理解できなかった事にあるが、もともと大衆はこの思想を好まない。自由は責任倫理でもあるからだ。 この記事の主張を私は概ね支持する。だが表現の仕方は注意を要すると思う。コメ欄には意味を理解できない者や反発を示す者がいるが無理もない。教養の大事さを知るにも教養が必要という厄介な問題もある。
2018年08月24日 19:08
私がこの言葉から受ける嫌悪感は、「生理的」と言うことで、自身の精神的価値判断を身体的反応の問題にすり替え、発言や態度の人間としての責任を回避しようとする姑息さから来ていると思う。 相手がこの言葉を使うかどうかは、人間性判断の指標の一つになるだろう。
2018年08月24日 17:59
人間の「働かない」例にニートと引きこもりを挙げているが、もう少し広げて、最近流行りの「生産性」が、はっきりしないような状態の人を含めて考えると良いと思う。例えば芸術家とか宗教者とかヤクザとか精神病者とか。このアリの研究者だってある意味似た存在かもしれない。 彼らに共通しているのは、非日常的な外部世界に接触して、「働く」側の人々にビジョンを見せたり、トリックスターとしての役割を果たしたりする可能性があることだ。 今まで人類はこのような存在に負の側面があっても根絶やしにはせず保持してきた。そこに人間社会の知恵が働いていたと思うが、最近は排除の傾向も強まっているようで残念なことだ。
2018年08月04日 17:23
この記事の主題は後半から最後の段落にあるが、コメ欄をざっと見渡した限りではここに反応しているものは無いようだ。おそらく前半の杉田批判に引きずられているのと、そもそも意味を理解できなかった為だと思う。 現代に生きる人間の生は目的と手段の連鎖に組み込まれていて、我々は他者を手段として利用し自らも誰かの手段となり果てることに慣れきっている。私も、カント倫理学の言葉「他者を手段としてのみならず、同時に目的として扱え」の意味が腑に落ちるようになるまで時間がかかった。 現在の私は後半に展開されている思想を理解し共感もするが、残念ながらこの記事には一部深刻な問題がある。それは「自分であれ他者であれ、人間や人間の生を手段化するようなことは一切排除すること」という箇所だ。ここには現在の左派リベラル勢力の過ちの典型的思考がある。 そもそも人間の手段化を「一切排除する事」は一般社会では不可能だ。家庭内の関係も労働の関係も他者を手段としている。その中で生きる我々に唯一可能なのは、手段の関係として出会った他者をできる限り目的としても扱う(一回限りの今ここを共に生きる)ことだけだ。 この反「手段化」の思想は、古来から一部の人々に脈々と受け継がれてきた哲学をベースにしているが、それは今まで決して一般大衆に広く受け入れられたことは無かった。政治的には社会主義、平等主義という形をとるが、その失敗の歴史はこの思想の安易な現実化運動がいかに危険かを教えている。皮肉な事だが、杉田水脈という存在も、実はリベラル運動の浅はかさが産み出した鬼子のようなものではないかと私は思っている。
2018年08月03日 11:04
>この文を自分が書いた例えに合わせ言ってみな 別に合わせる必要など無い。次元の違う話だから。 法は刑の確定後一定の期間内に執行することを定めているから、何年も執行されないような今の状態を認めているわけでは無い。 私の挙げた例は全て法が量刑の範囲に死刑を入れていない。つまり「命をもって償う」という論理をこの場合法は制度上貫徹していない。 死刑の執行が政治判断で長期保留されていることを持ち出して、死刑の恣意性を相対化したいのだろうが、お門違いだ。
2018年08月02日 17:20
何故なら、執行に躊躇があるのは「死をもって償う」という論理に説得力がないことに気がついているからだ。比較的早く処刑されたケースは、遺族や社会の処罰感情が強く死刑の裏の理由が露出する心配が少ない場合に行われている。
2018年08月02日 16:46
kazeoto999さんのコメントの意味がよく解らないが、追加。 死刑判決の後執行されていないケースがあるのは、政治的な判断の問題で、制度の本質に関わることではないと思う。 あるいはむしろこの事は、日本人にとって死刑というものの意味が、償うことや被害者感情などの表向きの理由とは別に、掟破りに対する制裁とか見せしめや生贄に近いものであることを暗示しているようにも見える。
2018年08月02日 09:25
死刑存続の意見が多いのは、我々が殺人という罪を何処かで許容しているからだ。ただそれを勝手に行うことは許されない。殺人犯に対する制裁は共同体のルールに従って人を殺さなかったことに対する罰なのだ。 「命を奪った者は命をもって償うべき」という論理は一見もっともらしいが、実は社会において貫徹されているわけではなく、部分的に適用されているにすぎない。 例えば、酒を飲んで車を運転し複数の人をひき殺した男、有毒な廃液と知りつつ海に流し魚を食べた多くの人を殺した企業の社長、医薬品に危険な副作用があることを知っていながら放置し多数の患者が死ぬまで対策を取らなかった役人、どれも死刑にならない。
2018年08月01日 13:56
取材や調査にも費用は掛るから営利を一概に否定はできないと思うが、この本の陳腐なネーミングについては違和感、嫌悪感が拭えない。出版の動機が本当に誠実なものだったのか疑われても仕方のないレベルだ。 ギリシャ神話についての深い教養や見識を共有しているわけではない一般の日本人にたいし、篠田氏は「パンドラの箱」で通俗的なイメージ以上の何を伝えるつもりだったのだろうか。
2018年07月19日 21:19
マイナスドライバーが必要なネジも少なくなったが、一本くらいは必ず工具箱に入れておきたい道具だ。工具は応急的に本来の用途とは違うことに使うこともあり、マイナスドライバーも鏨の代わりになったりして、あると便利なものだ。 ただこれも、古い車を自分で調整しながら乗ってるようなケースに限られる話なのかもしれない。今は男性でも機械油で手を汚したことのない人がいるだろう。裁判官になるような者なら尚更だ。 彼らがその辺の事情を理解して判断できるのか不安がある。
2018年07月13日 16:44
もし真面目=善と考えているなら、それが「常識」だとしても錯覚だと思う。 両者は次元の異なる概念だから、真面目な悪人も有り得る。彼は真面目であるがゆえに勤勉に悪を為し大きな成果をあげる危険がある。逆に不真面目な者は悪をなす場合も不真面目であるからその悪行は貫徹できない。どちらがマシだろうか?
2018年07月10日 19:03
犯罪被害者を「思いや」れる、あおい空知さんのような人の存在に私は驚く。同じ経験のない私には彼らの苦しみは想像の範囲を超えるものだ。簡単には共感することもできない。 一方で、善人ではない私にとって、麻原彰晃の下劣な根性や幹部たちの愚かさ、見境なく中傷する人間を求める一部ネット民のどす黒い魂には、嫌悪感とともに目を背けることができない。自分が同じ迷妄に陥る危険を十分に意識するからだ。 処刑によって被害者の存在はますます私の意識から無くなるだろう。だが、きっとあなたは忘れないのだろう。
2018年07月08日 21:37
実際には刑罰の目的は「更生」か「復讐」かで分けられない。遺族や社会の応報感情で量刑が変わることはあり得るし、更生教育の内容と効果が現在この国で真剣に追求され問題にされているようにも思えない。 「現代の法律のあり方」は観念的なタテマエと人々の法意識の両方を見る必要がある。
2018年05月24日 10:24
表面的な考察で、支持できない。 この記事の「絶望」とは随分と軽いものだ。全体に流れているトーンは、受動的で状況に抗う意思を持たない動物のような人間観に見える。だから筆者の語る「希望」もグローバリズムの環境変化に順応し淘汰されることを示すに過ぎないもなのだ。 こう言うと、このような批判こそ「<持てる側>」の論理だと反応するだろう。だが、人が「生き残る」だけを選択するのなら、「絶望」などと甘ったれてないで、さっさと自由を捨て動物以下の存在になればよいのだ。日大の幹部たちのように。
2018年04月09日 21:07
自身の仕事を最後に大きく傷つけたと思う。氏が重んじていた平衡の精神は放棄され、性急に死に逃げてしまった。 しかしこの弱さは何なのだろう。