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2015年05月23日 14:21
Akagiさん >日本何もわるくないという結論でよろしいのですね。 >1952年4月28日サンフランシスコ条約交付・・・戦争終了=終戦 つまり、第二次世界大戦について日本は何も悪いことしていないし、終戦は実は1952年の出来事だった。 この珍説については何もコメントしようがないな。 あるいは、安倍さんが志位氏の質問にまともに答えようとすれば、こういう珍説になったのかも知れないね。そういった意味で「読んでません」という安倍さんの答えは適切だったのかも。
2015年05月23日 00:28
Akagiさん >そのルールはハーグ陸戦条約附属書43条 >との関係がある。 そのルールは憲法9条とは関係ない。 そもそも第1次世界大戦前の条約を持ちだして、 因果関係を求める時点でアホ。 >そして日本国憲法も戦争中に交付されたものという認識がないといけませんよ。 うーん?終戦の年月日と、日本国憲法の施行日を明記してほしいな。 >さて、日本国憲法で規定されている、国民主権はGHQ占領下で正しく機能していたのか? うん、少なくとも敗戦前よりも正しく機能していたようだが。 相変わらずAkagiさん、訳がわからんのよ。 もっとも、なぜ日本国憲法に9条が含まれているのかについてはまったく言及がないわけだけど。 このへんについては予想どおり、アベ脳ミックスなわけですな。
2015年05月22日 19:58
>ちなみに北京の「とりかご」のほうが遙かに簡単だと思います。 そのとおり。鳥かごはコンピュータで解析してデザインした外装ですからね。 対して、屋根の主要な構造物(梁)にイメージだけでデザイン性をもたせようとしたのが、ザハデザインの大きな間違い。丹下健三の代々木競技場のような構造的なデザインになってないんですよね。
2015年05月22日 19:49
もし責任者がいるとすれば、やはり安藤忠雄でしょうね。 彼は建築家であり、建築家であるからには不特定多数の建築物利用者の安全を確保する義務があります。他の素人の皆さんは構造的な欠陥を理解できない前提ですからね。 しかも彼はザハデザインの選考決定時に「日本の技術力を世界に知らしめるため」と、選考理由を説明しましたよね。つまり、コストをかけてもデザインを重視し、安全性を二の次にしたと思われても仕方がない。 そもそも、屋根形状に不安定な扁平アーチのデザインを採用するなんて、無責任にも程があります。 たぶん、オリンピック開催中に屋根が落ちたら大変な責任論になるから、結局間に合わないという話にしたんでしょうね。まった馬鹿げた話です。
2015年05月22日 11:30
憲法9条というルールを変えるなら、まずなぜそのルールが作られているかを知っている必要がある。 安倍やネトウヨがいう、「押し付けられた恥ずかしい憲法だから」という恥ずかしい理由付けを志位氏が否定し、本来あるべき議論に押し戻そうとした。 しかし、安倍さんの答えがこれでは、戦後レジームからの脱却が、戦前レジームへの回帰と思われても仕方がないよね。
2015年05月22日 11:06
>リーダーというのは多忙なんですよ。 しかし、「失敗したのは俺が多忙だったからだ」 なんて言い訳するリーダーというのも最悪ですな。 そんなリーダーが指揮官やったら100%戦に負けるね。
2015年05月05日 14:03
>「女の股の、力」と書く。 少子高齢化は日本人の「努力」がたりなかったせいだ。 赤木君の努力だけじゃどうしようもないだろう「(^^)
2015年05月05日 13:53
またまた返信ありがとうございます。 結局、評価軸が異なるということでしょうね。 努力の量と、効果を経済的に推し量る。計量的に判断するというのはビジネスの世界では重要でしょう。 ちょうど今日、あるインタビュー番組に藤本隆宏という俳優が登場していました。 彼は俳優でも、もとは水泳のオリンピック選手という異色の経歴を持っています。選手時代に、よい結果は出せなかった。そこで、彼は俳優に転身しようとしたそうです。最初はセリフがもらえず、なかなか結果が出せなかった。もうあきらめかけた時に、木原光知子さんに出会い、「絶対あきらめてはいけない」こういわれたそうです。 これが転機となり、彼は今や高い役どころを得られるようになった。 藤本氏はこう言っています「スポーツをやってきたから次の人生に生かせる、何も恐れないで努力することは、人生を確実に上に進ませているということを伝えていきたい」 確かに、ビジネス上はリスクを推し量り得られる利益に応じてリソースを配分するべきです。失敗し時に投資分はサンクコストになる。だからそのときの努力は評価に値しない。利益という観点から見れば、確かにそうです。 しかし、ビジネスにおいても利益ではなく、人々という資源に焦点を当てるなら、その結果だけではなく、個々人の努力にこそ価値を見出すべきではないでしょうか。そのことがのちのビジネスの成功につながる。 会社の成功は、社員一人一人のビジネス上の小さな努力の積み重ね。昔、私が勤める会社の社長がよく言っていました。 「昨日よりも今日、少しだけ多く努力せよ。そして明日はさらにもう少しだけ努力しよう。そうすることが結果につながる」
2015年05月05日 12:14
Seoさん 大変面白い議論だと思います。ただし私にとっては、という注釈を入れます。 >シュレディンガーの猫や宝くじの例は、事態の確定以前と確定以後では評価が変化するという例です。つまり、努力の評価が結果の出る前後で異なることは何の不思議もない、 事象に対する評価を人物に対する評価に当てはめるのは間違いだと思います。 努力に対する評価とその結果に対する評価は分けるべきです。たとえプロジェクトが失敗に終わっても、それまでの努力は個々のメンバーに成長をもたらしているのではないでしょうか。PMとして、「失敗の理由はメンバー努力が足りなかったせいだ、そのような努力は評価しない」、とするのは簡単です。しかし、現在のPMにはそんな責任逃れは許されません。そのような失敗はメンバーのせいではなく、マネジメントの失敗とみなされます。このときPMの努力は無価値であると評価しても良いかもしれません。失敗から学ぼうという姿勢が見られませんから。 「結果が伴わない努力を評価しないのは、そのことによって結果を伴わない努力を続ける恐れがあるからだ」 しかし、この言葉はSeoさんが他者の努力を評価するうえで成り立つ言葉です。大変失礼な言い方にはなりますが、もしご自身の努力に対しても同じ考えを当てはめようとするなら、しっぺ返しを食らうと思います。 老いることについて考えるならなおさらです。老いることとはつまり今までできていたものができなくなることです。おそらくその日常は努力の結果の失敗にあふれることでしょう。つまり、ほとんど成功する見込みのない努力を続けることが生きることになるのでは。 人生は多くの失敗と小さな成功の積み重ねですよね。成功に至る努力にしか価値を見出さないとしたら、人生の終盤ほとんどを無価値にしてしましいますよ。 そうならないために、私は努力を楽しむ訓練をしています。
2015年05月05日 01:08
>これは矛盾ではなく、結果の確定前と後では評価が変わる、ということなのですね。シュレディンガーの猫なり、宝くじの価値なりを考えれば、結果の確定により評価が変化することは、ごく一般的であるとお分かりいただけると思うのですが。 それは「努力」の結果得られる成功ではなく、「運」によって得られる「結果」ですよね。 宝くじに当たった人間をなんと言って褒めるのですか? 確かに、運も努力のうち、とは言いますが・・・ >努力すること自体が高く評価されてしまうと、コストに比べて期待値の低い努力が広く行われることとなってしまいます。 人材を経営資源としてみればそうでしょうね。 しかし、まずリスクを回避せよ、全てのリスクを排除してから取り掛かれ。なんて会社には全く魅力を感じません。とりあえず言われたことをこなしていけば何とかなるというサラリーマンにとっては良い会社なのかもしれませんが。つまり、指示に対してきっちり結果を返す御役所的な人にとっては。 いずれにしても、会社のためにする努力というものと、自分のためにする努力は異なります。自分のためにする努力は他人の評価は影響しません。ですから、逆の立場に立ち、自分の努力が無駄であると評価された時の対応をどう考えるべきかを考えるべきだと思います。 例えば、私がSEOさんの私を説得しようとする努力は失敗に終わり、まったく無駄であった。と評価した時のように。 もちろんこれは無駄な努力はするべきではないというSEOさんの説得の結果であるわけですが・・・
2015年05月04日 22:34
なるほど、返信ありがとうございます。 しかしやはりzingybatさんの言うとおり矛盾しおります。 つまり、 1.まだ結果の出ていない努力は評価する 2.しかし、努力しても失敗したらその努力を評価しない(つまりマイナス評価) そのような評価者のもとだったら、私なら失敗しそうな事案には手を付けませんね。 失敗の確率の高い事案はつまり努力してもその努力が無駄になる可能性が高いということですから。 何かにチャレンジした。一回目は失敗した。そこで失敗を繰り返さないよう二回目をチャレンジした。成功した。 このときの最初の努力は無駄とはいえんでしょう。 成功につながる失敗なら、何度トライしてもいいと思います。 失敗した。それまでの努力は無駄だった。といって全ての努力を捨てるのではなく、 なぜ失敗したのかを考えて、その失敗を活かすべきでしょうね。 失敗した努力の分、次の成功の確率は高くなる。私はそう考えます。
2015年05月04日 21:01
返信ありがとうございます。 >子供はそれでよいかもしれませんけど、大人にそんな対応をしたら馬鹿にしていることになります。良い結果を出した人に対しては、その結果を高く評価したらよいのではないでしょうか。 そのとおりですね。 仕事においては結果が全てですから。 ただ、結果が全てという成果主義の弊害はうつ病の蔓延というかたちで現れているような気もします。なんちゃって鬱の人も多いとは思いますが。 結果が伴わない努力は無駄な努力である。そう思い込んだ時に鬱になってしまう人が多いような気がします。少なくとも結果が伴わない努力に対しても否定をするべきではない。私はそう思います。
2015年05月04日 15:05
以前、科学コメンテーターの竹内薫氏が子育てについてこんな話をしていたのを思い出しましたよ。 何でも褒めれいいわけではなく、能力そのものを褒めるのはかえって逆効果。特に「キミ頭がいいね」なんていうのは最悪だそうで、褒められた子供は努力をしなくなる。能力ではなく、努力したことを褒めよ。と つまり、たとえ結果が出なくとも努力した事については褒めるべき。自分自身の努力に対してもそういう気構えで居ないと努力が長続きしないんじゃないかと思いますね。
2015年05月03日 21:49
>他国に攻め込まれたら、自分の街が戦場になる訳で。 こういう妄想、どっから出てくんの? 資源のない日本国土を奪おうなんて国はない。 国境の外で日本が戦争を仕掛けない限りはね。 まあそれをやっちまったのが前の戦争という事だ。 つまりやられる前にやっちまう、これこそが戦争をするための大義名分なのだよ。
2015年05月03日 15:51
zingybatさん >では、その努力の結果はいつ出るんでしょうか? >いつ評価されるんでしょうか? その将来の結果はわからんが、しかし何かの目標に向けて行動する事を「努力」と言うのでは? あんたもつまらん人間にならんようも少し努力をした方がええと思うわ。
2015年05月02日 12:45
ミニも良かったさん どーもです アべノミクスがそう呼ばれる前、2012年12月の衆院選挙の時にデフレからの脱却、インタゲ3%を言い出したのは、その年の6月頃谷垣某氏が国土強靭化法案を発表した後の事。その土台となったのが藤井某の列島強靭化論。 あの頃このブロゴスでも、金融政策だけで景気が持続するわけねーだろ、と言う話が出ましたよね。ミニも良かったさんもあの頃の議論に参加していたと記憶していますが…。 三本の矢はその批判をかわすために取ってつけたように展開された後付けですからね。だから三本目の矢はいつまで経っても的に当たらない。 要するに藤井某の論に谷垣が乗っかり、そこのインタゲ部分を三橋某とか高橋某のアホ経済学者がちゃっかり切り出して、自民が選挙のために目玉政策にした。 と言ったところでしょうね。 http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11295473702.html
2015年05月02日 10:25
まあ、まったくそのとおりでして・・
2015年05月02日 10:23
アベノミクス! 懐かしい言葉の響きですね。 アベノミクスの発端は確か、藤井某とかいう土木学者が考えた日本劣等強靭化論とかいうとんでもバカ理論でしたっけ。 しかし、もう期限切れでしょうね。今年の夏からは安保のミックスで忙しくて、それどころではなくなりそうです。
2015年04月06日 21:18
『クラウド化する世界』を著して現代のネット社会をいち早く読みといたニコラス・カー氏も、その後の著書『ネット・バカ』の中で同様の事を書いていましたね。これは今や人類世界共通の悩みなのでは? やはりスマホやiPadを持っていてもKindleを買うべきかな? ちなみに『ネット・バカ』の原題:The Shallows:What the Internet Is Doing to Our Brains. です。
2015年04月06日 01:30
道徳の時間 先生「はーい、これから江戸しぐさのお話をしまーす」 生徒「前回は嘘をついてはいけないという話だったが?」 先生「はーい、このお話は日本政府も認めているので嘘じゃありませーん」 翌年の道徳の時間 先生「はーい、これから天皇は実は神だったというお話をシーマス」 生徒「前回は嘘をついてはいけないという話だったが?」 先生「はーい、このお話は日本政府も認めているので嘘じゃありませーん」
2015年04月06日 00:55
基地反対が正義? 一体誰の口述だ? 沖縄県民が県内移設に反対し、政府がその民意を無視しているだけだろう。 こういう自称保守の自己肯定形現実歪曲とんでも意見にはほんと辟易するねぇ。
2015年03月23日 23:25
実に危うい議論だと思います。 秩序が保たれれば人権が維持されるという考えが大いなる間違いであることは、そもそも民主主義と人権宣言がどのような過程で具現化したかを思い起こせば理解できるのではないでしょうか。 つまり人権は多数決による決定においても最大限に尊重されるべきものであり、この原理原則の上に民主主義が成立するものであると考えます。 この考に基づくことなく、少数者への差別を回避する事が可能なのか。 人権侵害が正当化される根拠となる、その多くの場合は貴殿の考えに基づくものであると思われますが、いかがでしょうか。
2015年03月22日 21:47
>もし「変わらず」でしたらなぜ「最大の尊重を必要とする」でしかないのかの説明をして下さると幸いです。 「最大の尊重」ちうことですから、滅多なことでは万が百にもそれ以外のことで人権を制約してはならない、ということでしょうね。 そもそも『「最大の尊重を必要とする」でしかない』の『でしかない』という表現がおかしいでしょう。 「今見た速さはこの車の最高スピードでしかない」とか、へんでしょ。
2015年03月22日 18:16
>確か「麻薬の所持」なんてのはそういったものだったと思います。 特定秘密保護法による漏洩の罪もそうですね。 人権侵害とならないよう十分に注意するとコメントをつけているようですが、他の人権との関わりがないことは確かです。 >>「捜査手法の拡大」は本的人権を削り取っていく可能性がある、とうことですね。 >「捜査手法の拡大」にいてその「手法」に問題があるのなら素直にそう言えば良いだけ。 山尾氏は、議論が展開すれば当然捜査手法の問題を持ち出す予定だったと思います。 その前に伏線をはったというとでしょう。 >別にそれ自体は否定するつもりはないですが、憲法13条からは『人権を唯一制約できるのは他の人権のみであり、「公益」や「社会秩序」は制約根拠とならない』というのは読み取れない。 もしそうであるなら上川大臣がそう答えるべきだったと思いますよ。 >>与野党で合意できるものから合意し成立させた方が、国民にとって有益ではないか、と思います。 >と言うのなら「最大の尊重」をするためにも「分けましょう」で良いのではということ。 国会答弁ですから・・・ >結局のところ『人権を唯一制約できるのは他の人権のみであり、「公益」や「社会秩序」は制約根拠とならない』という「根拠」となる根本のところでおかしいので噛み合わないのではということ。 そこをすりあわせするのが国会というものです。 何の審議もなしに法律が決まるのなら国会議員は要らんでしょう。
2015年03月22日 10:42
>例えば「刑罰」なんてのは明らかに「人権を制約」していますがその根拠は「他の人権」なのですかね? 逆に「他の人権」を侵害せずに刑罰を食らうという例があるんですかね。調べてみたいのですが今はちょっと余裕が無いです。 憲法上の人権がそういった建てつけになっていることついては、山尾氏が下記のように答えていますね。 >『個人』を『全体』に吸い上げて基本的人権を削り取っていくようなことは二度とすべきではない、という戦争の教訓からではないでしょうか。 この答えの中に「捜査手法の拡大」は同時に議論するべきではないとう意見の根拠を織り込んでいたのだと思います。「捜査手法の拡大」は本的人権を削り取っていく可能性がある、とうことですね。 実際、取調べ可視化とのトレードオフとして捜査手法を拡大しようとするのはおかしな話だと思いますよ、大分以前に問題となった事案ですが・・・。
2015年03月21日 23:25
>分かったつもりの筆者が実は分かっていないという事実。 といことを全然証明できていない事実を武利氏が分かっていないという事実。 筆者である山尾氏はまさに上川大臣に、どのように解釈しているのかと問うているのです。当然、憲法学上のどの解釈を用いて答えるかを想定した想定問答くらいは準備していたのではないでしょうか。おそらく、自民党の改憲案を前提としての回答を期待していたのでしょう。だとするなら、芦部説に批判的な解釈についても知っていた、というのが一般的な捉え方ではないでしょうか。 ちなみに、武利さんがどの解釈が正しいと考えるか、という事実と、筆者がその解釈を分かっているか、という事実は無関係であり、なんら意味のある結論をもたらしていないと思いますよ。
2015年03月21日 22:54
>自民党は憲法の自主的改正を党是にしていたはずですが…。 >現憲法も理解できていない方々が改憲を口にするのはどうかと思います。 そのとおりですね。 それにもまして立法を生業とする国会議員は憲法を知らなくても良い、なんてとんでもコメントが出てくることに驚きです。このお方、(司法資格と同等くらい?)とかって、憲法が六法全書に載る法文と同じくらいのボリュームがあると思っているんじゃないでしょうか。 いやはや日本の行く末が思いやられるコメントでした。
2015年03月21日 21:31
>法務大臣が憲法に精通(司法資格と同等くらい?)している必要があるとするなら、 アホか? 立法府である国会議員たるもの、憲法に精通していて当然、いわんや法務大臣においてはなおさら。 建築士とか一般技術知識といっしょにすんなや。
2015年03月21日 20:37
文章の上っ面しか見ないあんまりなコメントが多いので私もコメント参加。 取調べ可視化は「人権保護」が目的 捜査手法拡大は「公益、秩序の維持」が目的 この2つを同時に議論する必要はない、なぜなら人権は他の人権によってしか制約できないのだから。 要するに、山尾氏の質問に対して大臣が「人権は公益や社会秩序によって制約できる」と答えれば、法務大臣の資質を問われる。しかし、まともに答えれば取調べ可視化と捜査手法拡大を同時に議論することの根拠を失う。ということです。 ですから上川法務大臣も実際には法務知識がないと言うことではなく、良く言えば「言質を取られないよう慎重に答弁した(答弁しなかった)」ということかも知れません。悪くえいば大臣としての職務放棄ですね。 結局この事案から予想できることは、川上大臣は司法および官僚の言いなりの状態。これでは三権分立は成立しませんまあこの国ではいつものことですが。もう少し国民の代表としての立場に立ち返ってほしいものです。
2015年03月21日 20:15
取調べ可視化は「人権保護」が目的 捜査手法拡大は「公益、秩序の維持」が目的 この2つを同時に議論する必要はない、なぜなら人権は他の人権によってしか制約できないのだから。 わかりませんかね。 要するに、山尾氏の質問に対して大臣が「人権は公益や社会秩序によって制約できる」と答えれば、法務大臣の資質を問われる。しかし、まともに答えれば取調べ可視化と捜査手法拡大を同時に議論することの根拠を失う。ということです。
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2015年05月23日 14:21
Akagiさん >日本何もわるくないという結論でよろしいのですね。 >1952年4月28日サンフランシスコ条約交付・・・戦争終了=終戦 つまり、第二次世界大戦について日本は何も悪いことしていないし、終戦は実は1952年の出来事だった。 この珍説については何もコメントしようがないな。 あるいは、安倍さんが志位氏の質問にまともに答えようとすれば、こういう珍説になったのかも知れないね。そういった意味で「読んでません」という安倍さんの答えは適切だったのかも。
2015年05月23日 00:28
Akagiさん >そのルールはハーグ陸戦条約附属書43条 >との関係がある。 そのルールは憲法9条とは関係ない。 そもそも第1次世界大戦前の条約を持ちだして、 因果関係を求める時点でアホ。 >そして日本国憲法も戦争中に交付されたものという認識がないといけませんよ。 うーん?終戦の年月日と、日本国憲法の施行日を明記してほしいな。 >さて、日本国憲法で規定されている、国民主権はGHQ占領下で正しく機能していたのか? うん、少なくとも敗戦前よりも正しく機能していたようだが。 相変わらずAkagiさん、訳がわからんのよ。 もっとも、なぜ日本国憲法に9条が含まれているのかについてはまったく言及がないわけだけど。 このへんについては予想どおり、アベ脳ミックスなわけですな。
2015年05月22日 19:58
>ちなみに北京の「とりかご」のほうが遙かに簡単だと思います。 そのとおり。鳥かごはコンピュータで解析してデザインした外装ですからね。 対して、屋根の主要な構造物(梁)にイメージだけでデザイン性をもたせようとしたのが、ザハデザインの大きな間違い。丹下健三の代々木競技場のような構造的なデザインになってないんですよね。
2015年05月22日 19:49
もし責任者がいるとすれば、やはり安藤忠雄でしょうね。 彼は建築家であり、建築家であるからには不特定多数の建築物利用者の安全を確保する義務があります。他の素人の皆さんは構造的な欠陥を理解できない前提ですからね。 しかも彼はザハデザインの選考決定時に「日本の技術力を世界に知らしめるため」と、選考理由を説明しましたよね。つまり、コストをかけてもデザインを重視し、安全性を二の次にしたと思われても仕方がない。 そもそも、屋根形状に不安定な扁平アーチのデザインを採用するなんて、無責任にも程があります。 たぶん、オリンピック開催中に屋根が落ちたら大変な責任論になるから、結局間に合わないという話にしたんでしょうね。まった馬鹿げた話です。
2015年05月22日 11:30
憲法9条というルールを変えるなら、まずなぜそのルールが作られているかを知っている必要がある。 安倍やネトウヨがいう、「押し付けられた恥ずかしい憲法だから」という恥ずかしい理由付けを志位氏が否定し、本来あるべき議論に押し戻そうとした。 しかし、安倍さんの答えがこれでは、戦後レジームからの脱却が、戦前レジームへの回帰と思われても仕方がないよね。
2015年05月22日 11:06
>リーダーというのは多忙なんですよ。 しかし、「失敗したのは俺が多忙だったからだ」 なんて言い訳するリーダーというのも最悪ですな。 そんなリーダーが指揮官やったら100%戦に負けるね。
2015年05月05日 14:03
>「女の股の、力」と書く。 少子高齢化は日本人の「努力」がたりなかったせいだ。 赤木君の努力だけじゃどうしようもないだろう「(^^)
2015年05月05日 13:53
またまた返信ありがとうございます。 結局、評価軸が異なるということでしょうね。 努力の量と、効果を経済的に推し量る。計量的に判断するというのはビジネスの世界では重要でしょう。 ちょうど今日、あるインタビュー番組に藤本隆宏という俳優が登場していました。 彼は俳優でも、もとは水泳のオリンピック選手という異色の経歴を持っています。選手時代に、よい結果は出せなかった。そこで、彼は俳優に転身しようとしたそうです。最初はセリフがもらえず、なかなか結果が出せなかった。もうあきらめかけた時に、木原光知子さんに出会い、「絶対あきらめてはいけない」こういわれたそうです。 これが転機となり、彼は今や高い役どころを得られるようになった。 藤本氏はこう言っています「スポーツをやってきたから次の人生に生かせる、何も恐れないで努力することは、人生を確実に上に進ませているということを伝えていきたい」 確かに、ビジネス上はリスクを推し量り得られる利益に応じてリソースを配分するべきです。失敗し時に投資分はサンクコストになる。だからそのときの努力は評価に値しない。利益という観点から見れば、確かにそうです。 しかし、ビジネスにおいても利益ではなく、人々という資源に焦点を当てるなら、その結果だけではなく、個々人の努力にこそ価値を見出すべきではないでしょうか。そのことがのちのビジネスの成功につながる。 会社の成功は、社員一人一人のビジネス上の小さな努力の積み重ね。昔、私が勤める会社の社長がよく言っていました。 「昨日よりも今日、少しだけ多く努力せよ。そして明日はさらにもう少しだけ努力しよう。そうすることが結果につながる」
2015年05月05日 12:14
Seoさん 大変面白い議論だと思います。ただし私にとっては、という注釈を入れます。 >シュレディンガーの猫や宝くじの例は、事態の確定以前と確定以後では評価が変化するという例です。つまり、努力の評価が結果の出る前後で異なることは何の不思議もない、 事象に対する評価を人物に対する評価に当てはめるのは間違いだと思います。 努力に対する評価とその結果に対する評価は分けるべきです。たとえプロジェクトが失敗に終わっても、それまでの努力は個々のメンバーに成長をもたらしているのではないでしょうか。PMとして、「失敗の理由はメンバー努力が足りなかったせいだ、そのような努力は評価しない」、とするのは簡単です。しかし、現在のPMにはそんな責任逃れは許されません。そのような失敗はメンバーのせいではなく、マネジメントの失敗とみなされます。このときPMの努力は無価値であると評価しても良いかもしれません。失敗から学ぼうという姿勢が見られませんから。 「結果が伴わない努力を評価しないのは、そのことによって結果を伴わない努力を続ける恐れがあるからだ」 しかし、この言葉はSeoさんが他者の努力を評価するうえで成り立つ言葉です。大変失礼な言い方にはなりますが、もしご自身の努力に対しても同じ考えを当てはめようとするなら、しっぺ返しを食らうと思います。 老いることについて考えるならなおさらです。老いることとはつまり今までできていたものができなくなることです。おそらくその日常は努力の結果の失敗にあふれることでしょう。つまり、ほとんど成功する見込みのない努力を続けることが生きることになるのでは。 人生は多くの失敗と小さな成功の積み重ねですよね。成功に至る努力にしか価値を見出さないとしたら、人生の終盤ほとんどを無価値にしてしましいますよ。 そうならないために、私は努力を楽しむ訓練をしています。
2015年05月05日 01:08
>これは矛盾ではなく、結果の確定前と後では評価が変わる、ということなのですね。シュレディンガーの猫なり、宝くじの価値なりを考えれば、結果の確定により評価が変化することは、ごく一般的であるとお分かりいただけると思うのですが。 それは「努力」の結果得られる成功ではなく、「運」によって得られる「結果」ですよね。 宝くじに当たった人間をなんと言って褒めるのですか? 確かに、運も努力のうち、とは言いますが・・・ >努力すること自体が高く評価されてしまうと、コストに比べて期待値の低い努力が広く行われることとなってしまいます。 人材を経営資源としてみればそうでしょうね。 しかし、まずリスクを回避せよ、全てのリスクを排除してから取り掛かれ。なんて会社には全く魅力を感じません。とりあえず言われたことをこなしていけば何とかなるというサラリーマンにとっては良い会社なのかもしれませんが。つまり、指示に対してきっちり結果を返す御役所的な人にとっては。 いずれにしても、会社のためにする努力というものと、自分のためにする努力は異なります。自分のためにする努力は他人の評価は影響しません。ですから、逆の立場に立ち、自分の努力が無駄であると評価された時の対応をどう考えるべきかを考えるべきだと思います。 例えば、私がSEOさんの私を説得しようとする努力は失敗に終わり、まったく無駄であった。と評価した時のように。 もちろんこれは無駄な努力はするべきではないというSEOさんの説得の結果であるわけですが・・・
2015年05月04日 22:34
なるほど、返信ありがとうございます。 しかしやはりzingybatさんの言うとおり矛盾しおります。 つまり、 1.まだ結果の出ていない努力は評価する 2.しかし、努力しても失敗したらその努力を評価しない(つまりマイナス評価) そのような評価者のもとだったら、私なら失敗しそうな事案には手を付けませんね。 失敗の確率の高い事案はつまり努力してもその努力が無駄になる可能性が高いということですから。 何かにチャレンジした。一回目は失敗した。そこで失敗を繰り返さないよう二回目をチャレンジした。成功した。 このときの最初の努力は無駄とはいえんでしょう。 成功につながる失敗なら、何度トライしてもいいと思います。 失敗した。それまでの努力は無駄だった。といって全ての努力を捨てるのではなく、 なぜ失敗したのかを考えて、その失敗を活かすべきでしょうね。 失敗した努力の分、次の成功の確率は高くなる。私はそう考えます。
2015年05月04日 21:01
返信ありがとうございます。 >子供はそれでよいかもしれませんけど、大人にそんな対応をしたら馬鹿にしていることになります。良い結果を出した人に対しては、その結果を高く評価したらよいのではないでしょうか。 そのとおりですね。 仕事においては結果が全てですから。 ただ、結果が全てという成果主義の弊害はうつ病の蔓延というかたちで現れているような気もします。なんちゃって鬱の人も多いとは思いますが。 結果が伴わない努力は無駄な努力である。そう思い込んだ時に鬱になってしまう人が多いような気がします。少なくとも結果が伴わない努力に対しても否定をするべきではない。私はそう思います。
2015年05月04日 15:05
以前、科学コメンテーターの竹内薫氏が子育てについてこんな話をしていたのを思い出しましたよ。 何でも褒めれいいわけではなく、能力そのものを褒めるのはかえって逆効果。特に「キミ頭がいいね」なんていうのは最悪だそうで、褒められた子供は努力をしなくなる。能力ではなく、努力したことを褒めよ。と つまり、たとえ結果が出なくとも努力した事については褒めるべき。自分自身の努力に対してもそういう気構えで居ないと努力が長続きしないんじゃないかと思いますね。
2015年05月03日 21:49
>他国に攻め込まれたら、自分の街が戦場になる訳で。 こういう妄想、どっから出てくんの? 資源のない日本国土を奪おうなんて国はない。 国境の外で日本が戦争を仕掛けない限りはね。 まあそれをやっちまったのが前の戦争という事だ。 つまりやられる前にやっちまう、これこそが戦争をするための大義名分なのだよ。
2015年05月03日 15:51
zingybatさん >では、その努力の結果はいつ出るんでしょうか? >いつ評価されるんでしょうか? その将来の結果はわからんが、しかし何かの目標に向けて行動する事を「努力」と言うのでは? あんたもつまらん人間にならんようも少し努力をした方がええと思うわ。
2015年05月02日 12:45
ミニも良かったさん どーもです アべノミクスがそう呼ばれる前、2012年12月の衆院選挙の時にデフレからの脱却、インタゲ3%を言い出したのは、その年の6月頃谷垣某氏が国土強靭化法案を発表した後の事。その土台となったのが藤井某の列島強靭化論。 あの頃このブロゴスでも、金融政策だけで景気が持続するわけねーだろ、と言う話が出ましたよね。ミニも良かったさんもあの頃の議論に参加していたと記憶していますが…。 三本の矢はその批判をかわすために取ってつけたように展開された後付けですからね。だから三本目の矢はいつまで経っても的に当たらない。 要するに藤井某の論に谷垣が乗っかり、そこのインタゲ部分を三橋某とか高橋某のアホ経済学者がちゃっかり切り出して、自民が選挙のために目玉政策にした。 と言ったところでしょうね。 http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11295473702.html
2015年05月02日 10:25
まあ、まったくそのとおりでして・・
2015年05月02日 10:23
アベノミクス! 懐かしい言葉の響きですね。 アベノミクスの発端は確か、藤井某とかいう土木学者が考えた日本劣等強靭化論とかいうとんでもバカ理論でしたっけ。 しかし、もう期限切れでしょうね。今年の夏からは安保のミックスで忙しくて、それどころではなくなりそうです。
2015年04月06日 21:18
『クラウド化する世界』を著して現代のネット社会をいち早く読みといたニコラス・カー氏も、その後の著書『ネット・バカ』の中で同様の事を書いていましたね。これは今や人類世界共通の悩みなのでは? やはりスマホやiPadを持っていてもKindleを買うべきかな? ちなみに『ネット・バカ』の原題:The Shallows:What the Internet Is Doing to Our Brains. です。
2015年04月06日 01:30
道徳の時間 先生「はーい、これから江戸しぐさのお話をしまーす」 生徒「前回は嘘をついてはいけないという話だったが?」 先生「はーい、このお話は日本政府も認めているので嘘じゃありませーん」 翌年の道徳の時間 先生「はーい、これから天皇は実は神だったというお話をシーマス」 生徒「前回は嘘をついてはいけないという話だったが?」 先生「はーい、このお話は日本政府も認めているので嘘じゃありませーん」
2015年04月06日 00:55
基地反対が正義? 一体誰の口述だ? 沖縄県民が県内移設に反対し、政府がその民意を無視しているだけだろう。 こういう自称保守の自己肯定形現実歪曲とんでも意見にはほんと辟易するねぇ。
2015年03月23日 23:25
実に危うい議論だと思います。 秩序が保たれれば人権が維持されるという考えが大いなる間違いであることは、そもそも民主主義と人権宣言がどのような過程で具現化したかを思い起こせば理解できるのではないでしょうか。 つまり人権は多数決による決定においても最大限に尊重されるべきものであり、この原理原則の上に民主主義が成立するものであると考えます。 この考に基づくことなく、少数者への差別を回避する事が可能なのか。 人権侵害が正当化される根拠となる、その多くの場合は貴殿の考えに基づくものであると思われますが、いかがでしょうか。
2015年03月22日 21:47
>もし「変わらず」でしたらなぜ「最大の尊重を必要とする」でしかないのかの説明をして下さると幸いです。 「最大の尊重」ちうことですから、滅多なことでは万が百にもそれ以外のことで人権を制約してはならない、ということでしょうね。 そもそも『「最大の尊重を必要とする」でしかない』の『でしかない』という表現がおかしいでしょう。 「今見た速さはこの車の最高スピードでしかない」とか、へんでしょ。
2015年03月22日 18:16
>確か「麻薬の所持」なんてのはそういったものだったと思います。 特定秘密保護法による漏洩の罪もそうですね。 人権侵害とならないよう十分に注意するとコメントをつけているようですが、他の人権との関わりがないことは確かです。 >>「捜査手法の拡大」は本的人権を削り取っていく可能性がある、とうことですね。 >「捜査手法の拡大」にいてその「手法」に問題があるのなら素直にそう言えば良いだけ。 山尾氏は、議論が展開すれば当然捜査手法の問題を持ち出す予定だったと思います。 その前に伏線をはったというとでしょう。 >別にそれ自体は否定するつもりはないですが、憲法13条からは『人権を唯一制約できるのは他の人権のみであり、「公益」や「社会秩序」は制約根拠とならない』というのは読み取れない。 もしそうであるなら上川大臣がそう答えるべきだったと思いますよ。 >>与野党で合意できるものから合意し成立させた方が、国民にとって有益ではないか、と思います。 >と言うのなら「最大の尊重」をするためにも「分けましょう」で良いのではということ。 国会答弁ですから・・・ >結局のところ『人権を唯一制約できるのは他の人権のみであり、「公益」や「社会秩序」は制約根拠とならない』という「根拠」となる根本のところでおかしいので噛み合わないのではということ。 そこをすりあわせするのが国会というものです。 何の審議もなしに法律が決まるのなら国会議員は要らんでしょう。
2015年03月22日 10:42
>例えば「刑罰」なんてのは明らかに「人権を制約」していますがその根拠は「他の人権」なのですかね? 逆に「他の人権」を侵害せずに刑罰を食らうという例があるんですかね。調べてみたいのですが今はちょっと余裕が無いです。 憲法上の人権がそういった建てつけになっていることついては、山尾氏が下記のように答えていますね。 >『個人』を『全体』に吸い上げて基本的人権を削り取っていくようなことは二度とすべきではない、という戦争の教訓からではないでしょうか。 この答えの中に「捜査手法の拡大」は同時に議論するべきではないとう意見の根拠を織り込んでいたのだと思います。「捜査手法の拡大」は本的人権を削り取っていく可能性がある、とうことですね。 実際、取調べ可視化とのトレードオフとして捜査手法を拡大しようとするのはおかしな話だと思いますよ、大分以前に問題となった事案ですが・・・。
2015年03月21日 23:25
>分かったつもりの筆者が実は分かっていないという事実。 といことを全然証明できていない事実を武利氏が分かっていないという事実。 筆者である山尾氏はまさに上川大臣に、どのように解釈しているのかと問うているのです。当然、憲法学上のどの解釈を用いて答えるかを想定した想定問答くらいは準備していたのではないでしょうか。おそらく、自民党の改憲案を前提としての回答を期待していたのでしょう。だとするなら、芦部説に批判的な解釈についても知っていた、というのが一般的な捉え方ではないでしょうか。 ちなみに、武利さんがどの解釈が正しいと考えるか、という事実と、筆者がその解釈を分かっているか、という事実は無関係であり、なんら意味のある結論をもたらしていないと思いますよ。
2015年03月21日 22:54
>自民党は憲法の自主的改正を党是にしていたはずですが…。 >現憲法も理解できていない方々が改憲を口にするのはどうかと思います。 そのとおりですね。 それにもまして立法を生業とする国会議員は憲法を知らなくても良い、なんてとんでもコメントが出てくることに驚きです。このお方、(司法資格と同等くらい?)とかって、憲法が六法全書に載る法文と同じくらいのボリュームがあると思っているんじゃないでしょうか。 いやはや日本の行く末が思いやられるコメントでした。
2015年03月21日 21:31
>法務大臣が憲法に精通(司法資格と同等くらい?)している必要があるとするなら、 アホか? 立法府である国会議員たるもの、憲法に精通していて当然、いわんや法務大臣においてはなおさら。 建築士とか一般技術知識といっしょにすんなや。
2015年03月21日 20:37
文章の上っ面しか見ないあんまりなコメントが多いので私もコメント参加。 取調べ可視化は「人権保護」が目的 捜査手法拡大は「公益、秩序の維持」が目的 この2つを同時に議論する必要はない、なぜなら人権は他の人権によってしか制約できないのだから。 要するに、山尾氏の質問に対して大臣が「人権は公益や社会秩序によって制約できる」と答えれば、法務大臣の資質を問われる。しかし、まともに答えれば取調べ可視化と捜査手法拡大を同時に議論することの根拠を失う。ということです。 ですから上川法務大臣も実際には法務知識がないと言うことではなく、良く言えば「言質を取られないよう慎重に答弁した(答弁しなかった)」ということかも知れません。悪くえいば大臣としての職務放棄ですね。 結局この事案から予想できることは、川上大臣は司法および官僚の言いなりの状態。これでは三権分立は成立しませんまあこの国ではいつものことですが。もう少し国民の代表としての立場に立ち返ってほしいものです。
2015年03月21日 20:15
取調べ可視化は「人権保護」が目的 捜査手法拡大は「公益、秩序の維持」が目的 この2つを同時に議論する必要はない、なぜなら人権は他の人権によってしか制約できないのだから。 わかりませんかね。 要するに、山尾氏の質問に対して大臣が「人権は公益や社会秩序によって制約できる」と答えれば、法務大臣の資質を問われる。しかし、まともに答えれば取調べ可視化と捜査手法拡大を同時に議論することの根拠を失う。ということです。