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2012年03月15日 12:51
英語の授業を増やすか否かという議論をする前に、なぜ日本人が英語を介したコミュニケーションを苦手としているのかをはっきりさせないといけないと思います。私は「英語力の欠如」が一番の原因だとは考えません。 日本人には、英語を介してコミュニケーションをとる素地が備わっていない。 その原因として、 1. Speak outすることが真には奨励されていない。(社会構成が西欧とは全く違う。) 2. 正確さ > 流暢さ 小さなミスでも許されないのが日本(工業製品、客への説明、雰囲気、何でも) 3. そのような社会に浸りきって育つと、子どもの頃から正しい意見は何かを探るような態度を身につけようとし、逆に何か発言しようとする力が萎えていく。そんなうちに自分の意見を持つことの意味がなくなり、気づかないうちに自分の意見すらもてなくなる。人に伝えたいことが何もない。 結論: このような現状の下、ただ英語の授業数を増やしても、それだけでは英語を使って活躍する日本人は育たない。 提案: 英語の時間だけでなく、教育に関わる教師を含む人間皆なができる限り討論の場を提供する。日本語ででも英語ででも、自分を表現することを奨励し、認める。 私は国際社会に立ったときに日本人に必要とされる力は、自分の意見を持ち・それを臆さず伝え、自分が面白いと思うものに対して笑い(日本では相手に合わせて微笑んだりするのが良くても、海外では気味悪がられる。)、違うと思ったら相手を制して質問・議論できる、というような基本的な力だと思います。 「英語」という我々の母語ではない、この「ことばの教育」は、そんな力をつけさせるのにとても適している教科だと思います。「日本人につけなければならないのはどんな力か」「そのためには英語の授業を通してどんなアプローチができるのか」という点をまず教師が理解し授業で生かし、成果を出すのが授業数を増やすことより先だと思います。
2012年03月06日 13:32
個人的には刺青をしている人が市役所の受付にいても(それを使って恫喝してこない限り)気にしません。 ただある種の刺青は日本の一般社会では恐れられるという事実も理解できるので、市役所にしても一般企業にしても、市民やお客さんと直接向かい合うポジションに就いている場合には、その刺青を見えなくしておくのが賢明かと思われます。 どちらにしても私が問題だと思うのは、「刺青が見えることが市民によくない影響を及ぼしうる場合」であって、橋本さんの「特命チームを編成して刺青のある職員を調査する」というのが「刺青が体のどこにあっても」という意味だとすると行き過ぎではないかと考えます。 「税金で飯食う立場になって、遊び半分で入れ墨入れるなんて、おかしい。狂ってる。」という根拠も私はあまり納得できません。出処は税金であっても、自分がやるべき仕事をきちんとこなして稼いだ給料は自分のものであって、法や規則に触れない限り自分の自由に遣ったらいいと思うからです。例えば絶対に一般顧客に見せることのない肩ないし背中に一つ小さな刺青を入れるのだとしても、給料の出処が税金だからダメ、というのでは私は納得できません。 「職員が児童を恫喝した」等複数の事実を受けて服務規律を厳しくするのは当然のことと思いますが、あくまでも罰するのは「(刺青を見せながら)恫喝した」ことであって、「刺青を持つこと自体」にまでこうも簡単に取り締まる対象を広げていいのか疑問が残ります。
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2012年03月15日 12:51
英語の授業を増やすか否かという議論をする前に、なぜ日本人が英語を介したコミュニケーションを苦手としているのかをはっきりさせないといけないと思います。私は「英語力の欠如」が一番の原因だとは考えません。 日本人には、英語を介してコミュニケーションをとる素地が備わっていない。 その原因として、 1. Speak outすることが真には奨励されていない。(社会構成が西欧とは全く違う。) 2. 正確さ > 流暢さ 小さなミスでも許されないのが日本(工業製品、客への説明、雰囲気、何でも) 3. そのような社会に浸りきって育つと、子どもの頃から正しい意見は何かを探るような態度を身につけようとし、逆に何か発言しようとする力が萎えていく。そんなうちに自分の意見を持つことの意味がなくなり、気づかないうちに自分の意見すらもてなくなる。人に伝えたいことが何もない。 結論: このような現状の下、ただ英語の授業数を増やしても、それだけでは英語を使って活躍する日本人は育たない。 提案: 英語の時間だけでなく、教育に関わる教師を含む人間皆なができる限り討論の場を提供する。日本語ででも英語ででも、自分を表現することを奨励し、認める。 私は国際社会に立ったときに日本人に必要とされる力は、自分の意見を持ち・それを臆さず伝え、自分が面白いと思うものに対して笑い(日本では相手に合わせて微笑んだりするのが良くても、海外では気味悪がられる。)、違うと思ったら相手を制して質問・議論できる、というような基本的な力だと思います。 「英語」という我々の母語ではない、この「ことばの教育」は、そんな力をつけさせるのにとても適している教科だと思います。「日本人につけなければならないのはどんな力か」「そのためには英語の授業を通してどんなアプローチができるのか」という点をまず教師が理解し授業で生かし、成果を出すのが授業数を増やすことより先だと思います。
2012年03月06日 13:32
個人的には刺青をしている人が市役所の受付にいても(それを使って恫喝してこない限り)気にしません。 ただある種の刺青は日本の一般社会では恐れられるという事実も理解できるので、市役所にしても一般企業にしても、市民やお客さんと直接向かい合うポジションに就いている場合には、その刺青を見えなくしておくのが賢明かと思われます。 どちらにしても私が問題だと思うのは、「刺青が見えることが市民によくない影響を及ぼしうる場合」であって、橋本さんの「特命チームを編成して刺青のある職員を調査する」というのが「刺青が体のどこにあっても」という意味だとすると行き過ぎではないかと考えます。 「税金で飯食う立場になって、遊び半分で入れ墨入れるなんて、おかしい。狂ってる。」という根拠も私はあまり納得できません。出処は税金であっても、自分がやるべき仕事をきちんとこなして稼いだ給料は自分のものであって、法や規則に触れない限り自分の自由に遣ったらいいと思うからです。例えば絶対に一般顧客に見せることのない肩ないし背中に一つ小さな刺青を入れるのだとしても、給料の出処が税金だからダメ、というのでは私は納得できません。 「職員が児童を恫喝した」等複数の事実を受けて服務規律を厳しくするのは当然のことと思いますが、あくまでも罰するのは「(刺青を見せながら)恫喝した」ことであって、「刺青を持つこと自体」にまでこうも簡単に取り締まる対象を広げていいのか疑問が残ります。