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【読書感想】創価学会と平和主義

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リンク先を見る 創価学会と平和主義 (朝日新書)
内容(「BOOK」データベースより)
公明党が賛成した集団的自衛権。しかしそれは“名ばかり”のものにすぎない。閣議決定を骨抜きにしたのは、創価学会の平和主義だった。「公明党」「創価学会」と聞いた瞬間、思考停止してしまう人が多いが、目を凝らしてよく見てみよう。はたして、その「平和主義」は本物か?組織の論理と「池田大作」の思想に、知の怪物が迫る。

 宗教がらみ、それも「創価学会」となると、この新書を手にとるのも、ちょっと身構えてしまうところがあるのです。

 これをレジに持っていったら、「ああ、学会員の人なのか」と思われてしまうのではないか、とか。

 僕は創価学会員ではありません。周囲にも熱心な学会員は(認識している範囲では)いません。

 選挙のときに「とりあえず面識くらいはある人」から、投票依頼の電話がかかってきて、「ああもうめんどくさい。この候補者には入れないようにしよう」と少し憂鬱になるくらいのものです。

 しかし、多くの会員がいて、全国各地に立派な集会所みたいなものが建てられているこの「宗教」の信者と、社会生活上あまり接点がないというのも、それはそれで不思議なものではありますね。

 というか、実際には多くの学会員たちと日常的に接しているはずなのに、それを実感させられるのは選挙のときくらいのものなのです。

 そういう意味では、創価学会の人たちは、みんなうまく現実に適応している、と言えるのかもしれません。

 なぜ、あの佐藤優さんが、創価学会や公明党をテーマにした新書を上梓したのだろう?

 何か利益を供与されたのでは?

「洗脳」されないようにしなくちゃな、と思いながら読んだのですが、これはそんな「プロパガンダ」ではありませんでした。

 キリスト教・プロテスタントのカルヴァン派である佐藤優さんが、同じように「信仰を持つ人間」という立場から、なるべくフラットに「創価学会」そして「公明党」が日本の政治に与えている影響について考察した親疎なのです。

 特定の信仰を持たない僕としては、「宗教団体が政治に関与している」というだけで、なんだかもう「気持ち悪い」というか「宗教による国家支配」につながっていくようなイメージを持ってしまうのですが、佐藤さんは「宗教団体が、その思想を政策に反映した形で政治に関与するのは違法ではない」と説明しておられます。

 ヨーロッパにも「宗教と結びついた政党」はたくさんあって、ドイツなどでは、与党として国を動かしています。

 二十条第三項の条文を読めば、飯島、石破両氏の認識が決定的に間違っていることがわかる。

<国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない>(日本国憲法第二十条第三項)

  憲法二十条全体の趣旨は、あくまでも国家、つまり政治が宗教に介入することを禁じているのであって、宗教団体の政治活動を禁じているのではない。

 問題は「宗教団体が政治に関与することによって、特定の宗教やその教義を国民に押しつけようとしたり、信仰によって差別を行うこと」なのです。

 佐藤さんが辿っていく「創価学会の歴史」を読むと、たしかに「徹底した平和主義」ではあるんですよね。

 それも、社会党(現・社民党)や、共産党のような「無防備都市的な、超性善説の平和主義」というよりは、

現実に沿った「なるべく平和主義」。

 とくに今回の「集団的自衛権」に関しては、法案を「骨抜き」にしてしまうくらい、その自衛権が現実に発動することを難しくしたのは、公明党の力だったそうです。

 本気で集団的自衛権を使えるものにしようとしていた人たちは、何のために無理に無理を重ねた憲法解釈の変更を行ってきたのか、と無力感にさいなまれているのではないだろうか。

 このように、集団的自衛権を行使しようにも、あちこちに「縛り」がかかっていて、ここまで手続きが煩雑で使いづらい集団的自衛権は他の国にはないのではないか。

 公明党がブレーキ役として与党にいなければ、憲法に制約されない集団的自衛権の行使を容認することが閣議決定されていたと思う。

 ではなぜ、公明党だけが、集団的自衛権の行使に「縛り」をかけることができたのだろうか。

 閣議決定に賛成したために、公明党は「平和の党の看板に傷がついた」「平和主義の看板を下ろした」などと批判された。連立政権を離脱して、きれいな平和論を主張するという選択肢もあったはずだ。

 もし、公明党がその選択を行っていたら、私は、公明党の平和主義は本物ではないと批判したと思う。平和の党の看板に傷がついても、現実に戦争を阻止し、平和を維持することが重要なのである。少なくとも現時点で公明党はその機能を果たしている。

 公明党は「連立与党」の一員だからこそ、集団的自衛権に「実質的な歯止め」をかけることができたと、佐藤さんは仰っています。

 この新書を読むと、そのプロセスと、公明党の「現実主義」がよくわかるのだけれど、僕としては、公明党のその「現実主義」が、ちょっと気持ち悪いな、とも感じるのです。

 佐藤さんは、『新・人間革命』から、次のような言葉を引いて、創価学会の政治へのスタンスを解説しています。

 憲法二十条の精神に照らし合わせれば、創価学会が学会員を政界に送ることも、学会自体が政治活動を行うことも自由だとしながら、宗教と政治では、現実に起きている問題に対するアプローチが異なると続ける。

<たとえば、核兵器の問題一つとっても、核兵器は、人類の生存の権利を脅かすものであり、絶対に廃絶しなければならないという思想を、一人ひとりの心に培っていくことが、宗教としての学会の立場である。それに対して、政治の立場は、さまざまな利害が絡み合う国際政治のなかで、核兵器の廃絶に向かい、具体的に削減交渉などを重ね、協議、合意できる点を見いだすことから始まる。

 また、宗教は教えの絶対性から出発するが、政治の世界は相対的なものだ>(『新・人間革命』第5巻)
 宗教と政治は位相を異にするという認識から、池田(大作)氏は「政教分離」を捉えている。

 ああ、こういうのって、敬虔なキリスト教徒であるのと同時に、権謀術数うずまく外交の世界で活躍してこられた佐藤優さんにとっては「しっくりくる」のだろうな、と思うんですよ。

 でも、宗教的でも、政治的てもなく、1970年代はじめに生まれ、「平和教育」を受けてきた僕にとっては、この池田さんの言葉というのは「宗教家としては、あまりにも現実に妥協しすぎているというか、これはもう宗教家ではなく、『政治家』の発言なのではないか」という違和感があるのです。

 宗教家であれば、自分の信仰に基づいて行動するべきではないのだろうか?

「教えの絶対性」を貫くべきではないのか?

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