- 2014年11月02日 00:00
『慰霊と招魂 ―靖国の思想―』
2/3神道を「宗教」よりも上位の存在(祭祀)として位置付けることで、実際的には国教としての国家神道を確立し、天皇制を国民に教化していこうとしたのである。
神道界では、神社神道を一般の宗教と別次元におき、神道国教化によって得た特権的地歩を守ろうとする主張が有力となった。政府は、天皇制的国民教化を効果的に進めるために、神社の役割を重視し、神社から宗教的機能を切りすてて、国家の祭祀として、非宗教ないし超宗教のたてまえをもつ国教を確立する方針を最終的に定めた。(p120)
こうして、国家神道のもとに、他の全宗教が(名目上の「信教の自由」と引き換えに)従属し、天皇制の教化のために奉仕するという、「国家神道」体制が確立していく。
靖国神社は、無論、天皇の為の戦争の遂行ということに関わって、このなかで中心的な役割を果たすことになるのだが、著者によるこの時代の日本の政策の変遷の記述を読んでいると、安倍政権下の今の日本の反動化した姿を、そこに重ねてしまうのは、私だけであろうか。
同年(明治14年。引用者注)、政府は高まる自由民権の要求のまえに、欽定憲法制定の方針を決定し、立憲政体の採用という譲歩を示しつつ、近代天皇制国家の基盤をよりいっそう強固にする方策を立てた。政府は、立憲政体樹立後も、軍の統帥権を天皇に集中して、議会をはじめ政治そのものから軍を切りはなすことで、民権の伸長を軍の力で制圧できると判断したのである。(p127)
帝国憲法の制定によって、国家神道が公認宗教のうえに君臨する国家神道体制が法的に確立した。同年(明治22年)一二月に成立した第一次山形有朋内閣は、天皇制イデオロギーによって国民を系統的に教育して、国体と相容れない西洋流の人権、自由等の思想の進出を防ぎ、来たるべき対外戦争にそなえる方針をきめた。すでに明治一〇年代をつうじて、啓蒙思想、自由民権思想の高揚に直面して危機感を深めた政府部内では、天皇の名による国民思想の統一を企図して、勅修の国民教科書を相次いでつくり、広く国民に読ませることにした。(p133)
歴史家のホブズボームは、19世紀後半以後の帝国主義時代の主要な政治的テーマを、政治の民衆化の要求に直面した旧来の支配層(資本家やブルジョワなど)が、「大衆化した社会」を操作することで権益の維持を図ったことに見ていたと思うが、近代日本の場合、この操作を、天皇を使用した「独特な宗教国家」(本書より)の形成というやり方で行ったということではないかと、私は思う。
大衆社会の操作は、資本主義国においては、ナチスやアメリカ合衆国の政治権力に代表されるように広告・宣伝的な手法を用いることが一般的だと思うのだが、日本の場合、一見これまでの伝統に即しているように見えて実はまったく新たな国家的宗教を「創案」するというやり方で、それ(大衆操作)を行ったと思えるのだ。
そういうことを考えさせられたのは、第一次大戦勃発直前の靖国神社の様子を描いた、次のような箇所を読んだときである。
招魂社いらい祭典の名物であった競馬は、すでに一九〇一(明治三四)年に競馬場が廃止されて行われなくなっていたが、祭典ごとの相撲、能楽、花火の打上げなどは、年ごとにさかんとなり、太々神楽、倭舞、手踊、剣舞、生花や、射撃、野試合、騎戦訓練、馬術、母衣引き、剣術、柔術等の武芸も余興として演じられた。社頭には、小屋がけの屋台が並び、見世物、曲技、居合抜き等の大道芸人も観客をあつめた。
旧称の招魂社の名でもっぱら親しまれていた靖国神社は、その厳しいたたずまいとは別に、民衆にとって、きわめて身近な存在であった。靖国神社の存在が、新しく生まれた民衆的な神社として、国民のあいだに定着していったという事実は、国家神道のこの巨大な支柱が、たんに戦没者の慰霊と顕彰の宗教施設であるだけでなく、天皇への滅私奉公の忠誠を教えこむきわめて効果的な教育施設となったことを意味していた。(p154~155)
靖国神社は、明治初頭からの周到な政策によって、当時の大衆社会に深く根を下ろした空間として存在していたのである。
つまり、「靖国の思想」は、決して大衆(民衆)から遊離したものではなく、政府による大衆(民衆)創出の中核をなすような装置であった。靖国を通して、人々は、心のもっとも奥深いところから、戦争に駆り立てられていった。このことが、大事だろうと思う。
靖国は、今も私たちの心の深奥にあって、侵略や暴力や差別へと、私たちを駆り立て続けているのではないだろうか?
やがて太平洋戦争へと突入していく歴史において、靖国が果たした役割の大きさを、ここで述べるまでもないだろう。
ただ、もうひとつこの本を読んで驚かされたことは、戦後における「靖国復権」の強力な策動の歴史、とりわけ1960年代末から70年代前半にかけて自民党と神道界など保守派・右派勢力が推進した靖国神社国営化の動きの、執拗さと強力さである。
当時の自民党は、党ぐるみで、いわゆる「靖国神社法案」を国会に提出し、それは何度も可決・成立の直前まで行った。
どうにか阻止できたのは、創価学会・公明党をはじめとする、宗教界や、野党などいわゆる「民主勢力」の必死の抵抗があったからである。
現状を考えると、この点は、まったく心もとない。
そして、今の政権や自民党は「極右化」しているとよく言われるが、また実際その通りだとは思うが、同時に、その今の自民党でも、靖国神社の国営化ということまでは持ち出していない。それにはもちろん、国際情勢の変化など、さまざまな相違が考えられるとはいえ、昔(戦後)の日本の方が今よりも良かった(反動的でなかった)とは、一概に言えないのではないかと思った。
昔も今も、変わっていない悪の表れとして、この現状がある。
そこに示されているのは、「靖国」と、それに象徴される軍国や侵略、戦争の残虐な思想というものが、いまなお本質的にはなんら清算されないままに、われわれの社会の内奥に座を占め続けているという一事ではないかと思うのだが、間違っているであろうか?



