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  • Arisan
  • 2014年11月02日 00:00

『慰霊と招魂 ―靖国の思想―』

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リンク先を見る 慰霊と招魂―靖国の思想 (岩波新書)

この本のタイトルである「慰霊と招魂」だが、これは、靖国神社に代表される「招魂」の思想というものが、近代日本国家による創作物であって、それは古来の神道や民間信仰における「慰霊」の思想の伝統とは、根本的に別物だということを示している。

「招魂」の思想の性格は、次のようなことに尽きているのだろう。

幕末維新期の異常な内外の緊張状態のなかで生まれた招魂の思想は、御霊信仰の広大で奥深い民衆的基盤を背景としながらも、日本人の宗教的伝統はもとより、神道の伝統とも異質な観念へと展開し、明治維新直後の神道国教化の過程で固定化した。(中略)招魂の思想、靖国の思想では、天皇に敵対した者は、死後も未来永劫に「賊」であり、その霊を供養し弔祭することなどは思いもよらぬことであった。こういう特異な人間観、霊魂観は、日本人が歴史とともに内にはぐくんで来たヒューマニズムを破壊し去ったのみでなく、近代天皇制下の七〇余年にわたって、日本国民の人間性を歪め、人類愛を敵視して、他民族、他国民とのあいだに人間としての共感を育てることを阻害するという、おそるべき役割を果たすことになったのである。(p54~55)

私は前回、『神皇正統記』について書いた時に、その中で語られているのは、味方と敵をある水準では同等に扱うような思想ではないかという意味のことを書いたが、本書の著者の村上重良も、古代からの御霊信仰や、とくに仏教の平等思想の強い影響を受けた中世以後の信仰に関して、それらが「敵味方を問わず」供養したり信仰する性格のものだったことを強調している。

そうした性格が、日本に固有のものと考えるべきかどうかは私には疑問だ(たぶん、そう考えるべきではないだろう。そのような考え方自体が排他性をはらんでいるように思えるから。)が、ともかく幕末・明治以後の、招魂の思想・靖国の思想においては、それが失われたということが、ここでは重要だ。


明治初頭に政府が「神道国教化」を目指した時期においては、やはりそれまでの神道の伝統から断絶して、天皇に忠誠を尽くした「特定の個人」を神として祀る、創建神社が多く作られた。

政府が志向した神道国教化は、古代の神道とは異質な、一九世紀なかばの時点でにわかに創案された新しい「神道」であった。(中略)復古の見地からいえば、特定の人間の霊を祭神とする神社は、神道としては異質の存在というべきであった。(p75)

その代表的なものは、江戸後期から大いに信仰されていた楠正成を祀る湊川神社の創建であるという。これは天皇のために忠死を遂げた正成を賛美する「楠公崇拝」こそ、幕末の志士や明治新政府が理想のモデルとした「建武の中興」の物語の中核をなすものだったからで、この時期には、他にも、鎌倉宮や吉水神社など、全国に南北朝時代関連の創建神社が次々と作られていった。

『神皇正統記』は、南北朝時代の代表的な史書・思想書とされているが、教科書としても盛んに使用されたその内容に関して、幕末から、特に明治に入って、国粋主義的な傾向に沿うように重大な改竄や修正が行われたことも、前回書いた。


靖国神社の前身となった東京招魂社は、日本の軍隊の創始者ともいうべき大村益次郎の肝いりで出来たものだが、やはり戦死していった天皇の忠臣を祀ることで、国民への忠誠心の植え付けと、生者への「忠死の激励」を行うことを目的とした施設だった。

その合祀者の数は、明治維新前後の激しい内戦と、明治以後の帝国主義政策による対外戦争の連続のなかで、加速度的に増え続けた。

明治12年になって靖国神社と改名された、天皇および軍と一体となった、この宗教施設の特異性について、著者はこう書いている。

近代天皇制下の数多い創建神社のなかで、まさしく最大の歴史的役割をはたした靖国神社は、天皇のための死者集団を、均質で無機質の祭神集団に仕立てあげる宗教的装置であった。こうして靖国神社は、無限に祭神が増えつづけ、しかも、どれほど多数の祭神があらたに加わっても、神社そのものの性格にはいささかも変化がないという、神社としてはほかに類例のない特異性をそなえる結果となった。(p111)

つまり、他の創建神社が、楠正成のような特定の個人を神として祀ったのとは違って、靖国神社は、顔のない無機質な集合体としての、「忠死」した臣民たちを祀る神社であるところに特徴がある。

しかも、靖国への合祀は、形式上は天皇の意志によるものとされ、戦没者等の死に対する天皇の褒賞もしくは恩恵として、合祀が行われるという構造になっていたのである。そこには、民衆個々の自由や意志が認められる余地は、はじめから無いといえるだろう。

靖国神社に祀られるのは、臣民に限られており、原則的には皇族は合祀されないということも、はじめて知った(例外は、あったが)。


やがて神道国教化を断念した政府は、天皇にまつわる神道の「祭祀」と一般の「宗教」とを分離することによって、いわゆる国家神道の体制を確立する方針を固める。

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