- 2014年10月30日 00:00
【読書感想】リクルートという幻想
3/3リクルートとオウムというのは、ある意味「当時の、バブル晩年の日本の満たされない若者の行き先の両極」みたいなものだったのかもしれません。
この本を読んでいると、日本社会に与えたリクルートという会社の影響についても、考えさせられます。
僕もいま普通に使っている「朝一」という言葉が、「リクルート用語」だったとは。
その他にも、社内でのモチベーションを上げるためのさまざまな方策などは、ひとつ間違えれば、ブラック企業なのでは……というようなものもあります。
著者も「いわゆるブラック企業のなかには、リクルートのやり方を参考にしているところもある」と述べています。
また、リクルートが実際に行っている事業についての分析もなされていて、「リクナビはなぜ批判されるのか?」という項は、就職活動に縁がなく、今の就職情勢の知識もほとんどない僕にも、わかりやすく書かれていました。
就職ナビによって、学生の就職活動は「便利」になったと思われています。
その一方で、いくつかの弊害も生じてきているのです。
同じフォーマットで同じような情報が並んでいる。最近では、学生はスマホなどで閲覧する。彼らはこのツールに慣れているが、一方で情報の理解が浅くなることが心配されている。
一括エントリーなどの仕組みにより、明らかに志望度や理解度が低い学生が集まることも構造的な課題である。
そもそも、閲覧やエントリー自体が簡単にできてしまうこと自体が、学生を甘やかしていないかという批判の声もある。
結果として、たくさんの応募が集まるものの、求める人材と出会えない状態になってしまった。このようにたくさんの応募の中から選ぼうとする行為が「母集団神話」と呼ばれるものだ。分母を増やすよりも分子の命中率を上げることが現在の日本の採用の課題である。これにリクナビは応えきれていない。いや、その問題をつくり出した元凶とも言える。
これは難しい問題で、「閲覧やエントリーが簡単にできること」が悪いのか?とも思うのですよね。
就活を行う側からすれば、ひとつでも多く、可能性がありそうなところにエントリーしておきたい、という気持ちはあるでしょうし。
しかしながら、それによって、あまりその会社を積極的に志望していない人もエントリーしてくるために応募者が膨大になってしまい、採用におけるマッチングが難しくなってしまう、という面もあるのです。
また、リクナビは「紹介文機能」という、エントリー者に、第三者からの「推薦文」をつけられる機能によって、多くの批判を集めることにもなりました。
たしかに、これからは「応募者数よりも、マッチングの精度」が求められる時代になるのでしょうね。
そして、現在の上場企業となったリクルートは、昔ほど「やんちゃ」ではないし、そんなふるまいを見せることもできなくなっている、と著者は指摘しているのです。
そういう実態を知っている(あるいは、リクルートには、ほんの少し関わっていただけ)にもかかわらず、「リクルートに関わっていたことをアピールし、経歴ロンダリングを行っているOB」への失望もこめて。
リクルートOBとしての著者の思い入れと「熱さ」が伝わってくるのだけれど、それが露わであればあるほど、リクルートに特別な思い入れがない僕としては、引いてしまうのも事実です。
読みながら、著者は「『世間の人々は、リクルートに幻想を抱いている』という幻想」に取り憑かれてしまっているのではないか?という気がしてくるところもありました。
僕自身が、とくに就職活動を経験しないまま、出身大学の医局に所属してしまったから、なのかもしれないけれども。
それでも、いまだからこそ、「リクルートという会社の功罪」について、あらためて考えてみるというのは、たしかに興味深いことだよなあ、とは思うんですよね。
それは、「バブルの時代を侮蔑しているようにみせかけて、実は、あの頃はよかった、と美化してしまいがちな人々(僕もそうかもしれない)」への、「本当に、あの頃は良い時代でしたか?」という問いかけでもあるのです。



