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“偽物の歴史”を教育に用いるのは、倫理の根幹を破壊する行為~「江戸しぐさの正体」著者・原田実氏インタビュー

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過去に対する過剰な幻想を持ってはいけない

―「江戸しぐさ」の内容の多くは、江戸文化の専門家に聞けば、「何を言ってるんだ」というレベルのものなんですね。

原田:そうですね。学問的におかしな内容のものが、先入観と合致したら普通の人は先入観を優先してしまうんです。科学というのは、先入観も含めて前提自体を疑うものですから、先入観に基づいて行動するという通常の人間の行動パターンを否定するやり方なんです。

ですから、自然科学的な思考法というのは、ある程度人間の行動のパターンに逆らうところがある。だから、この場合は歴史ですが、科学を装っている偽者、学問を装っている偽者は、むしろ先入観に受け入れられやすい形を取るわけです。ゲーム脳の話とかが典型ですよね。

「江戸しぐさ」の場合は、「江戸は太平だった」「昔の人はモラルがきちんとしていた」という人々の先入観にまず答えたことが功を奏したわけです。

―そうなると現状では、わずか数人によって生み出された偽の歴史が流通して、教育行政にまで入り込んでいることになります。にわかに信じがたいのですが、何故ここまで支持が広がったのでしょうか?

原田:基本的に人は“いい話”を疑いません。また、現在の「江戸しぐさ」を語り継いだとされる芝三光氏は1999年に亡くなっていますが、彼の晩年となった70~80年代には「江戸ブーム」が盛り上がってきていました。「江戸時代のいいもの」を受け入れるような社会的な土台が出来ていたんですね。

さらに、「隠された真実」というものに対する欲求を刺激した部分があると思います。先ほども話に出ましたが、NPO法人「江戸しぐさ」は、「江戸しぐさ」に関する文献資料が残っていない理由を、「明治維新の際に、新政府による“江戸っ子狩り”という虐殺が行われたからだ」と主張しています。こうした「明治政府から抹殺された真の歴史があるんだ」という主張は一部の人には非常に魅力的ですよね。また、越川さんが説く江戸っ子のイメージが、時代劇でお馴染みの江戸っ子のイメージとかけ離れていることも好影響を与えたと思います。つまり、このことによって、「時代劇というのは、あくまでフィクションで歴史じゃないんだよ」と言いたがる人たちにも影響力を持てたのです。

そして、ある程度広がると、今度は細かいことを気にしない、いわゆる「時代劇的な江戸時代のよさ」を愛するような人たちにも、「江戸のいいものだ」ということで受け入れられるようになってしまった。その時点から、いままで主張していた歴史的にはかなり怪しい話がそぎ落とされて、マナー、ハウツーとしてマニュアル化された「江戸しぐさ」の本が越川さんの監修の形で大量に出るようになったんです。こうした本は非常に売れていて、版を重ねているものも多いです。

いったんそういう支持層が出来ると、各地の教育委員会や商工会議所が、大きな受け皿となって道徳教育用、研修用ということで、需要が形成されていくのです。さらに越川さんやお弟子さんを講師に迎えて、「江戸しぐさ」の講演会や勉強会も盛んに行われるようになっています。

―歴史的に「なかったこと」を証明するのは非常に難しいと思います。教科書にまで浸透している現状を考えると、批判するだけでは「江戸しぐさ」の拡大は防ぐことは難しいと思うのですが、更なる拡大を防ぐためには、どのようなことが必要でしょうか?

原田:「江戸しぐさ」が、本当の江戸時代の文化と異なるということを知らせるには、歴史的に正しい江戸文化に関する知識の普及が必要でしょう。教育現場で、江戸時代の文化をきちっと調べなおすという作業をやってくれるだけで、ずいぶん違うはずです。

また、江戸時代に限りませんが、過去に対する過剰な幻想を持ってはいけない。そういう認識が広がることが重要だと思います。

「江戸しぐさ」の世界観に浸ってしまった人は、それを捨てることはできないでしょうから、根絶されるということはないのでしょうが、少なくとも教育現場で安易に用いるべきものではないでしょう。私が「江戸しぐさ」の一番の問題点だと考えているのは、教育現場で用いてしまうと、虚偽を根拠にして道徳を説くことになってしまうという点なのです。

それは、道徳の根幹である信頼というものを否定する行為です。「江戸しぐさ」が虚偽であることを承知した上で使うのであれば論外ですし、虚偽であることを知らない、認めないというのであれば、無知とか欺瞞の証明にしかならないわけです。よって、少なくとも教育現場で使うべきものではありません。

例えば、「イソップ童話」のようにフィクションを道徳教育で用いること自体は問題ないでしょう。しかし、「江戸しぐさ」の場合、フィクションであると言った途端に、そのありがたさが失われてしまう。芝三光という一人の老人の愚痴を江戸時代に仮託したからこそ、ありがたみをもってしまったのですから。

―「江戸しぐさ」の場合、「結果的によいマナーが浸透すればいいじゃないか」という擁護もありますよね。

原田:ただ、そうすると形だけのマナーのために倫理の根幹を破壊することになりますよね。

―本が出てから数ヶ月ですが、「江戸しぐさ」側からのカウンターは出てきていますか?

原田:TwitterやFacebookで「この本がトンデモだ」と批判している人もいるようです。 ただ、その批判の内容というのが、「『江戸しぐさ』というのは固定的なものではなく、常に移り変わっていくものなのだ」というような主張なので、むしろ足元を掘り崩しているんじゃないでしょうか(笑)。

―最後に未読の方にメッセージをお願いします。

原田:今回の本が出るまで、学校で「江戸しぐさ」が教えられていることを知らなかった人も多いようです。これを機に、「今、学校教育がどういうことになっているのか」ということに関心を持っていただきたいと思っています。教育もやはり社会を構成する重要な要素ですから、その内容をしっかりと監視、そこまで行かなくとも把握していく必要はあるでしょう。

今までも、イデオロギー的な立場からの監視なり、批判なりは行われてきましたけれども、現在進んでいる事態は、イデオロギーですらなく事実段階から怪しいものが入ってきているということです。そういう事態に注意を払ってもらいたいと思っています。

―本日はありがとうございました。

プロフィール

原田実(はらだみのる)歴史研究家。
1961年生まれ、広島市出身。龍谷大学卒。八幡書店勤務、昭和薬科大学助手を経て帰郷、執筆活動に入る。元市民の古代研究会代表。と学会会員。ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)会員。日本でも数少ない偽史・偽書の専門家であり、偽書『東日流外三郡誌』事件に際しては、真書派から偽書派に転じ、以降徹底的な追及を行ったことで知られる。
・Twitter:@gishigaku
江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統(試し読みページ)



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