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- 2014年10月10日 22:23
「戦争する国」という布教活動
BLOGOSに掲載されていた五十嵐仁法政大学教授の「10月10日(金) ストップ! 集団的自衛権行使 たたかいの展望(その3)」がいろいろ興味深かったので、これについて少し。
1 記事の紹介
「『憲法運動』9月号、通巻434号、に掲載されたもの」を「6回に分けて、アップし」ているというもので、「『戦争する国』に向けての既成事実化は三つの面で進んでい」るという記事です。
具体的に、その3つとは、「①法・制度の改変、② 自衛隊の「戦力」化と在日米軍基地の強化、③世論対策と教育への介入」とされています。
①は、国家安全保障会議(日本版NSC)設置法の成立、武器輸出3原則の変更による、「武器の禁輸から輸出への180度の転換」などが挙げられています。
②としては、「日本版海兵隊の新設」「『陸上総隊』の新設や水陸機動団の編成」、「水陸両用車 52 両、無人偵察機3機、オスプレイ 17 機の導入」計画などが挙げられています。
③は、マスコミ対策として、安倍首相が行っている主要なマスコミ首脳との「頻繁」な会食を挙げています。
そして、教育改革は「『戦争する国』になるための『人材づくり』、あるいは戦争するための『心づくり』」としております。
具体的には「教育再生実行会議を中心に、教育委員会や教科書への介入、道徳の教科化」、英語の小学校教育導入としています。
英語については、「アメリカとの共同作戦になれば使われる言語は英語ですから、英語教育を重視するというのはそうした裏があるのではないかと勘繰りたくなります」とまでしています。
2 主張
以前、同じBLOGOSに掲載された記事として、板垣英憲氏や天木直人氏などを批判したことがありますが(天安門事件前の自動車事故で中国崩壊?日米安保崩壊?)、上の論調を見ていると全く反対の同様に、最初に主張(結論)ありきで、それに無理矢理「事実」関係を結びつけている様な気がしてなりません。
学問の建前とは、事象を組み合わせてそこから「真理」(一般的な原理)を導くこととなるわけですから、仮にも大学教授たる方がこうした主張をなさるのは如何なものかと思います。
ただ、社会科学の分野では、自然科学と異なり、その一般化が正しかったかどうかは本当の意味で証明することができません。
そのため、「それらしい」とどれだけたくさんの人に思わせるかが勝負なので、先に結論ありきで、後からそれを裏付ける事象を探してくるということはよくあります(というか、実際はこちらが一般的です)。
そのためには、常にこうした自分の主張を行い、自分の主張に賛同してくれる人を増やしていかなくてはなりません。
3 戦争
五十嵐氏が提示された3つの論点のうち最も疑問だと思うのは3番目ですが、最初の2つについてもいろいろ思うとこはあり、だったら聞きたいのは、戦争をしない準備をしていれば、戦争が起こらないかということです。
確かに戦争の開始には過剰防衛ということがよくあったのは歴史が教えてくれているとおりですが、だったら皆が皆武器を捨てればそれで戦争がなくなる的発想には私は賛同できません。
第二次世界大戦後何故米ソの間で戦争が起きなかったのかというと、それはやはり核兵器という抑止力があったが故で、こうした抑止力としての軍備は必要だと私は考えております。
そして抑止力である以上、何かがあった時には早急に対応できなくてならず、そのための法整備、訓練、連携などは当然必要不可欠だと考えます。
4 教育
確かに戦前、日本の軍事化に教育が果たした役割は大きいことは否定しません。ただ、私は、日本の教育を全体的にみて、「戦争をする国」に必要な人材を育成する教育を行っているとは思えません。
それに、これだけ情報化が進んでいる現在、その気になれば、いくらでも情報を収集することができる時代に、そうしたことが可能だとも思いませんし、政府がこうした情報を統制しているとも考えません。
それに教育界の様々な事象のうち、特定の事象をして、それが如何にも普遍化している(一般的傾向)であるかのようなことを言うのは如何なものかと考えます。
5 英語
特に英語教育のくだりについては、半分冗談で書いているのかもしれませんが、何を考えているのだというのが偽らざるところです。
アメリカとの共同作戦のための意思疎通というのであれば、国民に教育を施す必要はなく、下士官以上になりうる可能性のある人たちにそうした教育を徹底すれば良い話です。
それに未来の戦争がどうなるかわかりませんが、通常の歩兵は最低限度の命令さえわかれば、用は足りるわけで、資源の有効利用という観点からもおかしな話となります。
同じような理屈でいえば、現在文系ではなく、理系が重んじられているのは、これからの戦争では、科学技術が大事になるので、それを担う人材を育成する人が必要だからという主張も可能は可能ですが、単なるつじつま合わせの域をでるものでないことは明らかです。
6 最後に
以前はこうした話は、特定の「信者」にだけ聞かせておけば良かったのでしょうが、情報化社会においては、布教活動も大事になるという話でしょうか。
確かにこうした布教活動によって、信者になる者もいるかもしれませんが、同時に嫌悪感を示すものも出かねないという話です。結果として、信者を獲得したものの、より多くのアンチを生み出したという結果にもなりかねません。
仲間内で見ている分には信者が増えたと喜ぶことかもしれませんが、より大きな目で見ると反感が募っているだけで、もう少しうまく布教活動を行うべきではないかと思ったが故の今日のエントリーでした。
1 記事の紹介
「『憲法運動』9月号、通巻434号、に掲載されたもの」を「6回に分けて、アップし」ているというもので、「『戦争する国』に向けての既成事実化は三つの面で進んでい」るという記事です。
具体的に、その3つとは、「①法・制度の改変、② 自衛隊の「戦力」化と在日米軍基地の強化、③世論対策と教育への介入」とされています。
①は、国家安全保障会議(日本版NSC)設置法の成立、武器輸出3原則の変更による、「武器の禁輸から輸出への180度の転換」などが挙げられています。
②としては、「日本版海兵隊の新設」「『陸上総隊』の新設や水陸機動団の編成」、「水陸両用車 52 両、無人偵察機3機、オスプレイ 17 機の導入」計画などが挙げられています。
③は、マスコミ対策として、安倍首相が行っている主要なマスコミ首脳との「頻繁」な会食を挙げています。
そして、教育改革は「『戦争する国』になるための『人材づくり』、あるいは戦争するための『心づくり』」としております。
具体的には「教育再生実行会議を中心に、教育委員会や教科書への介入、道徳の教科化」、英語の小学校教育導入としています。
英語については、「アメリカとの共同作戦になれば使われる言語は英語ですから、英語教育を重視するというのはそうした裏があるのではないかと勘繰りたくなります」とまでしています。
2 主張
以前、同じBLOGOSに掲載された記事として、板垣英憲氏や天木直人氏などを批判したことがありますが(天安門事件前の自動車事故で中国崩壊?日米安保崩壊?)、上の論調を見ていると全く反対の同様に、最初に主張(結論)ありきで、それに無理矢理「事実」関係を結びつけている様な気がしてなりません。
学問の建前とは、事象を組み合わせてそこから「真理」(一般的な原理)を導くこととなるわけですから、仮にも大学教授たる方がこうした主張をなさるのは如何なものかと思います。
ただ、社会科学の分野では、自然科学と異なり、その一般化が正しかったかどうかは本当の意味で証明することができません。
そのため、「それらしい」とどれだけたくさんの人に思わせるかが勝負なので、先に結論ありきで、後からそれを裏付ける事象を探してくるということはよくあります(というか、実際はこちらが一般的です)。
そのためには、常にこうした自分の主張を行い、自分の主張に賛同してくれる人を増やしていかなくてはなりません。
3 戦争
五十嵐氏が提示された3つの論点のうち最も疑問だと思うのは3番目ですが、最初の2つについてもいろいろ思うとこはあり、だったら聞きたいのは、戦争をしない準備をしていれば、戦争が起こらないかということです。
確かに戦争の開始には過剰防衛ということがよくあったのは歴史が教えてくれているとおりですが、だったら皆が皆武器を捨てればそれで戦争がなくなる的発想には私は賛同できません。
第二次世界大戦後何故米ソの間で戦争が起きなかったのかというと、それはやはり核兵器という抑止力があったが故で、こうした抑止力としての軍備は必要だと私は考えております。
そして抑止力である以上、何かがあった時には早急に対応できなくてならず、そのための法整備、訓練、連携などは当然必要不可欠だと考えます。
4 教育
確かに戦前、日本の軍事化に教育が果たした役割は大きいことは否定しません。ただ、私は、日本の教育を全体的にみて、「戦争をする国」に必要な人材を育成する教育を行っているとは思えません。
それに、これだけ情報化が進んでいる現在、その気になれば、いくらでも情報を収集することができる時代に、そうしたことが可能だとも思いませんし、政府がこうした情報を統制しているとも考えません。
それに教育界の様々な事象のうち、特定の事象をして、それが如何にも普遍化している(一般的傾向)であるかのようなことを言うのは如何なものかと考えます。
5 英語
特に英語教育のくだりについては、半分冗談で書いているのかもしれませんが、何を考えているのだというのが偽らざるところです。
アメリカとの共同作戦のための意思疎通というのであれば、国民に教育を施す必要はなく、下士官以上になりうる可能性のある人たちにそうした教育を徹底すれば良い話です。
それに未来の戦争がどうなるかわかりませんが、通常の歩兵は最低限度の命令さえわかれば、用は足りるわけで、資源の有効利用という観点からもおかしな話となります。
同じような理屈でいえば、現在文系ではなく、理系が重んじられているのは、これからの戦争では、科学技術が大事になるので、それを担う人材を育成する人が必要だからという主張も可能は可能ですが、単なるつじつま合わせの域をでるものでないことは明らかです。
6 最後に
以前はこうした話は、特定の「信者」にだけ聞かせておけば良かったのでしょうが、情報化社会においては、布教活動も大事になるという話でしょうか。
確かにこうした布教活動によって、信者になる者もいるかもしれませんが、同時に嫌悪感を示すものも出かねないという話です。結果として、信者を獲得したものの、より多くのアンチを生み出したという結果にもなりかねません。
仲間内で見ている分には信者が増えたと喜ぶことかもしれませんが、より大きな目で見ると反感が募っているだけで、もう少しうまく布教活動を行うべきではないかと思ったが故の今日のエントリーでした。



