- 2014年10月09日 09:00
【読書感想】世界の読者に伝えるということ
1/2画像を見る 世界の読者に伝えるということ (講談社現代新書)
- 作者: 河野至恩
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/03/19
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
リンク先を見る- 作者: 河野至恩
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/04/25
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内容紹介
日本文化が世界で人気があると聞くとうれしい。コンテンツ輸出も重要だ。ただ、日本文化の発信にあたって、いま求められているのは、「日本発の文化を、日本以外の世界の読者の視点から見てみる」ことではないだろうか?
アメリカで森鴎外を学び、大学で教えた経験も持つ著者が、文学と批評を例にして、比較文学と地域研究というふたつのアプローチを通して考える。
「クールジャパン」なんて言葉が、僕の周囲でもけっこう認知されてきていますし、「日本発のアニメやマンガ、村上春樹をはじめとする文学作品」を愛好している外国人も少なからずいるようです。
この新書の冒頭で、著者は、こう書いています。
本書のテーマは、「日本発の文化を世界の読者の視点から見る」ことである。
著者は長年海外に在住し、アメリカで日本の近代文学と英文学を研究してきたそうです。
しかし、アメリカに長年住んでいて、また、最近ドイツに一年滞在して、そのような日本からの「発信」を外から見ていると、その情熱や努力にもかかわらず、期待したほどに成果があがっていないのではないか、と感じることがしばしばあった。日本では「日本文化を海外に発信した成果」と大々的にメディアで伝えられていることが、現地の視点から見たらそれほどインパクトがなかった、ということを間近に見ることもあった。
そのいっぽうで、日本では知られていなくても現地で受け入れられている文化紹介のプログラムに出会うことも、少なからずあった。たとえば、ドイツに住んでいたときに、日本文化のイベントで人気があったのは、日本人の落語家によるドイツ語の落語公演や、日本のサイレント映画を活動弁士の説明で見せる上映会などだった。このような企画が海外で行われているということは、日本ではあまり知られていないのではないだろうか。
日本にいて知ることができる「海外でもてはやされている日本文化」と、実際に海外の人が体感している「日本初の文化の浸透」というのは、必ずしも一致しないのかもしれません。
どうしても、メディアで採り上げられやすいのは、「見た目のインパクトがあるもの、話題になりそうなもの」でしょうし。
著者は、日本人でありながら(という表現は不適切なのかもしれませんが)、森鴎外をはじめとする日本文学をアメリカで研究しています。
僕の感覚では、資料の集めやすさとか、せっかく「母語(日本語)で読めるというアドバンテージがあるのに、なぜアメリカで、英語を介して研究するのだろう?」と疑問になったんですよね。
それに対して、著者は、こう語っています。
海外の日本文学研究は、おおむね日本文学について詳しくない読者を想定して、彼らにも読んで理解できるように書かれている。
自分の経験を振り返ってみて思うが、そうした読者に向けて語ることにより、「なぜ日本文学を読むか」「日本文学にはどんな普遍的な価値があるか。また、日本文学を読むことで、どんな普遍的な問題を考えることができるか」「外国語で読む読者にどう語るか」という問いがより切実なものとして浮かび上がってくる。
これは、先に述べた、海外の大学で日本文学の研究をするとき、「なぜこの作家を研究するか」説明を求められる、という話と重なる。
それは、たんに日本について知らない読者に説明するということではなく、日本文学が日本を離れてどれだけの価値をもつか、という本質的な問いを含んでいる。海外の日本研究は、その問いに向き合い、説得力のある説明を与えようとしてきたのだ。
そのような読者の問いにきちんと応える日本文学研究が「世界の読者にひらかれている」研究といえるのだろうと思う。
国内の日本文学研究では、自分たちの研究が、日本とはかかわりのない「世界の読者」にどのような意味を持ちうるかということを議論することはまだまだ少ないと思う。
そして、「日本文学は、オリジナルの日本語で研究するのが理想的だ」というのがおおかたの考えかただろう。
しかし、「海外で、翻訳で日本文学を読み、研究する」ことにも、独自の意義があるのではないかと思う。
どっちがよい、ということではない。



