とりわけ、宗教の違いを背景とする紛争がやまない地域や、アジア太平洋やアフリカなど多様な民族が共存する国々との関係において、わが国は過度に価値観を押し付けず、多様性を包摂することを外交の基本に据えてきた。中国との領土問題を抱える共産主義国であるベトナム、政変後のタイ、「アラブの春」後の中東諸国等との外交を考えると、こうした外交スタンスは今後も重要である。紛争のない国際社会をつくるのは、排除の論理につながりかねない単一性ではなく、多様性と包摂の思想である。多様性を認める外交については、稿を改めて書くことにしたい。
現在、東アジアの安全保障環境は厳しいが、わが国の国益を考えると、アジアとの共生をこれからも模索していかなければならない。国連人権委員会は、人種差別的なヘイトスピーチを禁止するよう日本政府に勧告を行った。多様性に対する無理解が国内に蔓延し始めた今だからこそ、多様性という価値を前面に掲げる意味は大きい。
⑵未来への責任という価値
我々は、世界でも類を見ない急激な人口減少、人類が踏み入れたことのない巨大な財政赤字、エネルギー危機などの困難な課題に直面している。これから20年の間の急激な変化を乗り越えられるかどうかに、わが国の未来はかかっている。
人口減少局面に入っているわが国おいて、自民党政権は国土強靭化の名の下に公共事業の増額に走っている。その結果、被災地の復興に遅れが出ていることも見逃すことができない。極めて深刻な原発事故を経験し、わが国は民主党政権で原発ゼロを目指すことを決意したはずだった。ところが、今やわが国のエネルギー政策は原発事故前に戻ってしまったかのようだ。このままの状況を放置すると、我々は子どもたちに、借金の山、コンクリートのモニュメント、そして膨大な核廃棄物を残すことになる。現世利益政党である自民党には将来世代に対する責任感が欠けており、その政策の持続可能性には疑問がある。
43歳の私は、急激な変化の時代を生き、その先の未来を現実に目にすることになるだろう。私の政治家としての役割は、未来への責任を果たすことにある。わが国には幾多の困難を乗り越えてきた歴史があり、国民には難局を乗り越える粘り強さがある。その力を信じて、人口減少に直面する地域の再生、行政改革と消費増税による財政再建、自然エネルギーの開発に取り組むことこそでその責任を果たしていきたい。
◆靖国について
非常に困難な問題ではあるが、靖国神社のA級戦犯の分祀についても、戦後70年を機に取り組むべきだ。靖国に合祀されている戦争責任者の中にも、日本の国益を考えて行動した人はいたであろう。しかし、国内外のおびただしい人命を犠牲にし、国土を焼け野原にしたのは厳然たる事実であり、その戦争を阻止することのできる立場にあった人たちは、結果に対する責任を免れることできない。太平洋戦争開戦前夜、政府は総理直轄の総力戦研究所で対米戦争のシミュレーションを行い、「戦えば必ず負ける」との結論に達していた 。国家は国民を守るためにある。それがいつの間にか、国家のための国民になり、国民の命を軽んじるようになってしまった。
小学校しか出ていない貧しい農家として戦中を生きた私の祖父は、生前、戦死した弟のことをよく話していた。祖父の弟は海軍に入隊し、1944年11月、南シナ海で魚雷に撃沈されて16歳で亡くなった。もちろん遺骨は戻っていない。我が家は「義殉」と刻まれた墓と遺影を今でも大切に守っている。