- 2014年09月26日 09:00
【読書感想】ナタリーってこうなってたのか
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ナタリーってこうなってたのか (YOUR BOOKS 02)
- 作者: 大山卓也
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2014/08/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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Kindle版もあります。
リンク先を見るナタリーってこうなってたのか (YOUR BOOKS 02)
- 作者: 大山卓也
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2014/09/05
- メディア: Kindle版
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内容紹介
月間3000万強のPVと90万人のTwitterフォロワーをもつ、ポップカルチャーのニュースサイト「ナタリー」。
大ヒット映画『モテキ』の舞台にもなるなど、カルチャーファンからの認知は絶大だが、ただ閲覧者が多いのみならず、「ナタリー、ありがとう! 」と単なるニュースサイトの枠を超えて「愛され」ている稀有な存在でもある。
星の数ほどあるメディアの中で、なぜナタリーだけがここまでの「共感」を勝ち得たのか?
その秘密を、創業者にして音楽ナタリーの編集長でもある大山卓也氏が初めてちゃんと振り返る、待望の初単著。
ニュースサイト『ナタリー』をつくってきた人、大山卓也さんの話。
この本を読んでいて感じたのは、『ナタリー』は、新しいメディアのようにみえて、実はそうじゃないんだな、ということでした。
そこで行われているのは、既存のメディアで「本来、行われているべきこと」を、インターネットのスピード感でやっているだけ、なんですよね。
ナタリーは開設当初から、ひどく”普通”のメディアだったと思う。エポックメイキングな試みや斬新なアイデアなどは特になく、やっていることは日々のニュース配信がメイン。他にコンテンツらしきものといえばインタビュー主体の特集記事をいくつか組むという、ただそれだけ。現在に至るまで劇的な成長曲線を描いたこともなく、ぬるっとここまでやってきた。ドキュメンタリーになるような企業ドラマとはまったく無縁だ。
記事やコンテンツの内容も、だいたいが平熱で淡々としたものばかり。昔のロック雑誌みたいに自分の人生と絡めて音楽を語ったり、アーティストへの思いの丈を熱くアピールするようなスタンスの記事は皆無だ。奇をてらったことは何もせず、ただ淡々と取材をして、ただ淡々と書いてきた。やっていることは常に変わらずシンプルなまま。だけどみんなが見てくれる。それはいったいなぜなのか――。情報自体へのニーズはもちろんあるだろうが、それだけではないような気もしている。もやもやとサイト全体から立ちのぼってくる「ナタリーらしさ」としか言いようのない何か。言うなれば気配のようなもの。ナタリーの読者はそれを愛してくれているような気がするのだ。
大山さんは、「読者との距離の近さ」として、ニュースを配信したあとに、twitterなどで、「ナタリーさん遅いよ!」とか「ナタリーさんありがとう!」というようなフィードバックがやってくることを紹介しています。
月間3000万PV(ページビュー、閲覧数)というのは、ヤフーのような「大巨人」には敵わないとしてもかなり大きな数字であり、音楽業界にも影響力があるメディアであるにもかかわらず、「ナタリー」には、そんな声が届きそうな感じがするんですよね。
大山さんは、ネットでの発信をはじめる前に、メディアワークス(現KADOKAWA)に入り、『電撃プレイステーション』編集部で、雑誌編集者としてのトレーニングを積んでキャリアを重ねておられます。
そしてこの時代に学んだことのひとつが「編集者の仕事は自己表現ではない」という思想だ。ゲームの紹介や攻略記事を載せる雑誌なのだから、当然読者が求める価値は情報そのものにある。例えばゲームクリエイターのインタビューで尊重されるべきはあくまでもクリエイターの思想であって、編集者が前に出て自分の意見を語るのは恥ずかしいことだと思っていた。それがこの職場で身につけ、今のナタリーにも直結している。編集者としての自分の根幹を成すスタンスだ。
この「自ら批評をしない」ことを、大山さんは、ずっと自らに課し続けているのです。
実際にネットで発信をしている僕としては、「自分をアピールしたい、という欲求」が無いかのようにふるまっている大山さんが、なんだか異世界の人のように思われるんですよね。
わざわざネットで、自分のニュースサイトをつくって、でも、徹底的に自分の色を出すことを拒んでいるっていうのは、なんだか司馬遷をはじめとする、中国の歴史家みたいだな、と。
この本を読んでいたら、そういう欲求が先天的に少ない人なんじゃないかな、とも思うのです。
大山さん自身も「編集権」を握って、採用するニュースを選んだり、その取り上げかた、順番を決めたりすることそのものが、編集者の「主張」を反映したものであることは、百も承知のはずです。
それでも、そこで開き直らずに「時代の記録者」であろうとしているのだよなあ。



