- 2014年09月25日 09:02
横手慎二『スターリン』
1/5ぼくは1980年代の終わり頃に共産主義者になったので、すでにそのころにはスターリンやソ連に対する憧れというものはほとんどなかった。*1
スターリンとは「共産主義の大義を貶めた極悪人」であるから、ほとんど近づきもしなかったのだ。
この点は毛沢東とは違った事情がある。
藤子不二雄Aが『毛沢東伝』を描いて毛沢東を「英雄」として扱っていたり、本多勝一がかなりの毛沢東や「文革」を肯定的に描いていたり、『銀河英雄伝説』登場人物(ヤンやハイネセン)の下敷きの一人が毛沢東であったり、コミュニストではない知識人に、毛沢東ファンが多い。
しかし、スターリンファンというのはあまり聞かない。「共産趣味」「ソ連趣味」として「スターリン好き」という人々を最近になってネットで見るようになったが、まあアレだ。「愛国戦隊大日本」を一生懸命つくってしまうメンタリティと同じであろう。
したがって、コミュニストになってから読んだスターリンの著作というのは『レーニン主義の基礎』のほか2~3の小論文しかなく、それらもほとんど覚えていない。
本書・横手慎二の『スターリン』を評した田所昌幸が
西側陣営からは暴虐な独裁者として、また理想主義的な左翼陣営の側からは、国際共産主義運動の理想に対する裏切り者として、スターリンほど広く恐れられ憎悪されてきた独裁者は少ない。(「読売」2014年9月7日付)
と述べた、まさに後者の部類がぼくである。
なぜロシア国民の中にいまもスターリンへの評価があるのか?リンク先を見る 本書は、サブタイトルに「『非道の独裁者』の実像」とあるように、日本人の中に広くある「スターリンは『非道の独裁者』だ」という平面的な認識への斬り込みをかけている。
もちろん、「スターリンはいい人でした」というわけではなく、ぼく流に言わせてもらえば、「スターリンを歴史の合理性・必然性の中においてみる試み」である。著者である横手の言い方を借りれば、
ロシア国民の少なからぬ人々が今もなおスターリンに思いをはせ、愛着の気持ちを抱くのはなぜなのか、彼の人生を改めてたどることによって考察することを目指している。(本書iv)
ということになる。
この問いへの直接の回答はそれほど複雑なものではないし、これまで提出されなかったものでもない。
スターリンなしに、ソ連はヒトラー軍との戦争に勝てたのか。フルシチョフが評価を与えなかった一九三〇年代の急進的工業化なくして、ソ連は第二次世界大戦を戦うことができたのか。〔中略〕このとき農民を犠牲にした穀物供出による急激な工業化が第二次世界大戦で決定的な意味を持ったことも否定できなかった。(本書p.288-289、強調は引用者)
独ソ戦を勝利することは、ロシアのナショナリズムから考えても誇りであろうが、ファシズムに勝利したという普遍的な進歩主義から見ても意義がある。
独ソ戦勝利→ソ連の(急速な)工業化→工業化の原資となる農業収奪・集団化→その過程で出る矛盾や軋轢を抑圧するための大量弾圧・「粛清」
独ソ戦勝利を認めるなら、上記の「→」を次々に認めてしまうことになる…。むろん、横手は大量弾圧や集団化が引き起こした問題を絶対に肯定はしない。しかし本書の終わり頃で、最近のソ連の歴史学界のスターリン評価の状況などを紹介しているように、旧ソ連・ロシアでフルシチョフ以後から現在にいたるまでスターリンを評価する動きとして出てくるのはこのような問いの流れなのである。
毛沢東の場合、彼の「偉業」として讃えられる抗日戦勝利・革命成功の後に、彼の大犯罪である「大躍進」「文革」がやってくるので、抗日戦勝利・革命成功のために「大躍進」「文革」があった、とは到底言えないことが実に明瞭だ。
これに対して、スターリンの場合、独ソ戦の前に工業化・集団化・大量弾圧があるので、すべては独ソ戦勝利のためにあったかのように見えてくる。
「独ソ戦勝利」という結論以外にも、第二次世界大戦前後の狡猾で覇権主義的な対外政策も、「ソ連の安全保障」という目で見てしまえば「合理化」「必然化」できると言えなくもない。また、第二次大戦後についても、「ソ連の安全保障」の立場からソ連の勢力圏を確保し、そのためにアメリカと対抗し、超大国であり続けた、という見方に立てば、何がしかの「合理化」はできる。ただ「独ソ戦勝利」ほどの強いインパクトはないけども。



