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「英語教育論」についての再論

英語教育についてある媒体に書いたものをブログに採録したところ、それを読んだニュージーランドに20年お住まいの読者の方から手紙を頂いた。

その方の見聞でも、ニュージーランド「留学移民」事情は、だいたい私の指摘と符合しているということであった。

香港や台湾や韓国からの児童生徒の留学生は「いざというとき」の脱出先を確保するという政治的な目的もあるので、parachute children と呼ばれている由。もちろん、そればかりでなく、幼児期から英語運用能力を身につけることで、故国に戻ったときにキャリア形成上のアドバンテージを得るということも期待されている(それをhead start と呼ぶというそうである。「一歩先んじたスタート」)。

僕の見聞の通り、父親が国に残って仕送りする母子家庭がベーシックなスタイルだが、中には小学生の子どもだけをホームステイ先に送り込んでいるケースもあるという。

さて、このように幼いときに母語的環境から切り離された子どもたちはどうなるのか。

家族と一緒に移民してきた場合、母語を生活言語として「話すこと」はできるが読み書きはできないという事例が多い。

小学生の途中で留学したが、英語運用能力が大学入学レベルに達せず、一方日本語では祖父母と会話ができないというケースや、高校の途中から留学して大学入学の英語レベルには達したが、今度は英和辞典の日本語が読めなくなったというケースなど「英語も日本語も中途半端」ないわゆる「セミ・リンガル」というケースも少なくないそうである。

この方は「留学移民」についてもEMI(Englishas a Medium of Instruction=英語以外の教科を英語で教える教育法)についても批判的であった。

高校の数学や物理を英語で教えることにどういうメリットがあるのか。教えられる教員もいないだろうし、英語の苦手な生徒たちは数学や物理学について興味があっても教科内容を理解する手前で梯子を外されてしまう。

それが非効率だからというので、明治初期に大学での教科を日本語で教えられるように、漱石のような卓越した知性を「お雇い外国人」に代えて次々と大学教員に登用し、あわせて日本語そのものを高度化していったのではなかったか。

先人が営々として築き上げて、日本の近代化を推し進めた民族的な努力を100年後にまたゼロに戻そうとする人たちは何を考えているのか。

私たちにまず必要なのは英語の早期からの習得ではなく、むしろ「日本語の高度化」だと私は思っている。

明治時代において西周や加藤弘之や中江兆民や福沢諭吉が果したような「世界と日本を架橋する」仕事を担う人々が出てこなければならないと私は思っている。

そういうのは「そういう仕事は自分がやるしかない」という自覚のある人が進んで担うものであって、利益誘導したり、強制したりするものではない。ましてや、日本人全員が就くべき仕事でもない。

「外界と自分たちの集団の間を架橋すること」は集団が生き延びてゆくために必要な無数の仕事のうちの一つである。必須のものではあるが、無数の必須の仕事のうちの一つであることに代わりはない。

「餅は餅屋」。そういう「架橋仕事」が「好きで堪らぬ」とか「自分の天職だ」と思っている人がやればいい。全員が「餅屋」になる必要はない。

考えればわかるが、「全員が餅屋であるような社会」で人は生きて行くことができない。

そんな社会で、そもそも、誰が餅米を作るのか、誰が餅を流通させるのか、餅を売った金で餅以外に何が買えるのか。少し考えれば「餅屋経済」が不可能であることはわかる。

けれども、それでも「餅屋経済」を願う人たちがいる。

「全員が餅屋であるような社会」はすぐに壊滅してしまうが、「ほとんど全員が餅屋である社会」でなら、残りの「非餅屋」には莫大な利益を確保するチャンスがあるからだ。

彼らは「餅屋が欲しがるもの」(つまり餅以外のすべての生活財)を作り、それを売ることで莫大な利益を上げることができる。

ご覧のとおり、これはグローバル経済の理想状態を戯画化した姿である。

すべての労働者と消費者を規格化・定型化することで企業の収益は最大化する。

全員が同じことしかできない、同じものしか求めない状態にあって、「それ以外のことができる」一握りの人間になることこそグローバル資本主義者の夢なのである。70億の99%を互換可能な状態にとりまとめると、地上のすべての富は残り1%に排他的に集積されることになる。
いま日本の英語教育で推進されているのは、「できるだけ多くの互換可能な人間で地上を埋め尽くす」というグローバル資本主義の夢の実現のためのプログラムである。

明治人たちの身を削るような努力を水泡に帰せしめ、日本語話者は母語だけでは政治も経済も学術も芸術も「語ることができない」状態にすること、つまり言語的な植民地状態に日本を作り替えることに官民挙げて熱中している。

「狂気の沙汰」という以外に形容のしようがないけれど、さすがにここまで頭のネジが飛んでくると、「この人たちは頭がおかしいのではないか」ということには気の利いた小学生でも気づくだろう。

彼らが言語的実践としてどういうオルタナティブを提示してくるのか、私は期待して眺めている。

予測できることが一つある。

それは、アメリカにおけるエボニクスやシンガポールにおけるシングリッシュのような「英語の極端な方言化」である。

戦略的な言い方をすれば、「母語として身につけた英語」ではもう「別の英語」圏の人たちとはコミュニケーションできないという状態を作り出すことで、英語の国際共通性=特権性を解体するのである。

実際に、たぶん半世紀後には、インドと中国では、人々が文法も語彙も私たちの知っている英語とは違う固有の「インド英語」と「中国英語」を話し始めているだろう。彼らがそのときに十分な政治力を持っていれば、当然それを「英米英語」に代えて「国際共通語」にすることを要求してくる。

もちろん、そのときは文科省は(まだ存在していれば、だが)「中国英語ができないとビジネス・コミュニケーションで不利になり、また無用の侮りを受けるリスクがある」という理由で、低年齢からの「中国英語」習得を学習指導要領に書き込むだろう。

それに対して「バカじゃないの」と思う国民が過半に及ばないようであれば、日本はもうその前に終わっているだろうから、私が今さら心配するには及ばない。

もう一つもっと夢のあるオルタナティブもある。

それは「日本語の高度化」という選択肢である。

それを担うような天才的な「日本語の遣い手」の登場を私ははげしく待望している。

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