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大国に負けないベトナムのしたたかな戦略

※本シリーズは、8月27日発売の「文藝春秋SPECIAL 2014秋」との共同企画です。本誌掲載記事の一部を4週にわたって配信いたします。(BLOGOS編集部)

モンゴル、アメリカ、そして中国が敗れた強さの秘密に迫る

ジャーナリスト 富坂聰
星野了俊

 南シナ海をめぐって、中国と近隣諸国との緊張が続いている。引き金を引いたのは、今年五月、中国が石油掘削装置をパラセル諸島(西沙諸島)付近の海域に持ち込んだことだ。五月七日には中国の公船がベトナムの船に体当たりをする映像も公開され、ベトナム国内では大規模な反中デモが起きた。しかし、中国の活動は止まらず、大型の中国漁船が小型のベトナム漁船を追いまわし、上に乗り上げるようにして沈没させる映像が世界を駆け巡った。七月半ばには、中国は採掘施設を撤収したが、一方的に設定した「九段線」などの領有権は主張し続けている。

 こうした経緯からは、大国である中国が小国ベトナムを力でねじ伏せているという構図が浮かぶ。しかし、筆者は、中国にとってベトナムはけっして容易な相手ではないと考える。

 なんといってもベトナムは、過去数千年、世界の中心ともいえる中国歴代王朝と国境を接しながら、大小さまざまな戦いを交え、幾度となく侵攻されてはその都度、撃退して、ここまで国家として生き延びてきた国なのだ。

 なかでも、モンゴル帝国の侵攻を三度にわたって跳ね返した抗元戦と、一九七九年の中越戦争は、ベトナムという国の強さ、したたかさをよく示している。

 では、なぜベトナムは中国に負けないのか。具体的な歴史の事例を参照しながら、その戦略をみていきたい。

 ベトナム、当時の大越が、元軍の来襲を受けたのは一二五七年のことだ。事前に、侵攻の危険性を察したベトナムは、朝貢の回数を増やすことでこれを回避しようとするが、この頃、アラブ世界や東欧にまで支配権を広げていたモンゴル帝国を抑えるには至らず、戦端は開かれた。

 しかし、ベトナム側の劣勢は明らかだったにもかかわらず、一二五七年、一二八四年、一二八八年と三度もの元寇を退けたのである。なかでも語り継がれているのが、一二八八年の白藤江(バックダン河)の戦いだ。  この戦いはベトナム側が地の利を最大限生かしてもぎとった勝利ともいわれる。潮の満ち引きが河の水位に影響を与えていると知っていたベトナム軍は、あらかじめ川底に杭を何本も打ち込んでおき、元の水軍を迎え入れた。逃げ出していったベトナム軍に対し、元軍は勝利を確信したが、間もなく水位が低下するや、船底が杭に引っ掛かり、身動きが取れなくなってしまうのである。水上で立ち往生し、慌てふためく元軍は、もはやベトナム軍の攻撃の的でしかなかったという。

 こうした地の利を生かした防衛戦の巧みさは、国中に様々なトラップ(罠)を張り巡らせ、米兵を恐怖に陥れたとされるベトナム戦争とも共通している。

 また、実はこのベトナムの抗元戦は、日本の歴史にも大きな影響を与えた。鎌倉時代、元の大軍が襲来した文永の役(一二七四年)、弘安の役(一二八一年)のあと、元は三度目の出兵を計画していたとされるが、それが実現しなかった理由のひとつには、このベトナムに対する苦戦があったとも言われている。

中越戦争というトラウマ

 さらに中国共産党にとって、一種のトラウマともいえるのが、一九七九年二月に始まった中越戦争だ。表向きは中国政府は勝利宣言をしたが、抗日戦争、国共内戦、朝鮮戦争などでは、その後も繰り返し勝利を強調し、自らの支配の正統性に結び付けているのに対し、この中越戦争については、中国共産党が積極的に触れたがらない戦争として知られている。

「中国はもちろん正式に負けたなどとは言っていませんが、現実はベトナムの思わぬ抵抗に根負けしたことに変わりありません。兵士のなかにも中国政府の発表した死者数に疑問を持っている者が少なくなく、みな意図的に被害を小さく見せようとしていると話しています。実際の戦地は地獄だったようです」(党の関係者)

 この戦争のそもそものきっかけは、七九年一月、ベトナムが隣国カンボジアを攻撃、中国が支援していたポル・ポト政権を崩壊させたことだった。

 これは当時の中国にとっては、二重の〝裏切り〟だったのである。
 それまで中国は、毛沢東の失政とされる大躍進により数千万人単位の餓死者が出るという惨状から立ち直っていない状況下にもかかわらず、国内で飢えに苦しむ人々をよそに、ベトナム戦争を戦うベトナムに対して、せっせと武器などの援助を続けてきた。

 ところが、そのベトナムは、最終的に中国が最も警戒するソ連に急速に傾いていった。そしてカンボジア侵攻である。?小平がベトナムに向けた怒りは凄まじいものだった。来日時の記者会見で、?小平が「ベトナムを懲らしめる」と発言したように、中国としては鎧袖一触の戦いを予想していたのだろう。

 開戦当初、中越戦争を指揮した許世友大将も、「一週間ですべてを終わらせる」と豪語していたが、国境に約二十万人の大部隊を展開した中国軍が、まさか長期戦に引きずり込まれるとは、中国の指導者たちのほとんど誰も考えなかったに違いない。

 しかし、現実には、大きな戦闘はほぼ一カ月で終結したが、その後十年にわたり国境を挟んで対峙する我慢比べの消耗戦となったのである。

「山を行軍して現地に着いたときに、何人かの隊員がいなくなっていることがあり、そこでやっとベトナム兵にさらわれたことに気付くといった状況がつづき、銃弾が飛び交わなくとも精神的に追い詰められていったといいます。ベトナム兵の強さはアメリカとの戦争で培ったジャングルでの神出鬼没さでした」(中国の戦史研究家)

 ゆえに中越戦争は、中国人民解放軍が一敗地にまみれた戦争だと捉えられているのだ。

 このときベトナムはアメリカとの戦いを終えたばかりで、すぐにもう一つの大国・中国との戦端を開き、打ち破っている。ベトナム軍(必ずしも軍人だけではない)の持久力と精神力、そして戦術の巧みさを認めないわけにはいかないだろう。

「硬」と「軟」の使い分け

 しかし、ベトナムから学ぶべきは、それだけではない。ベトナムの持つ真の強さの源泉は「硬」と「軟」の顔を使い分けて大国を振り回す術なのだ。

「硬」が戦術や、苦しい戦争を戦い抜く精神力だとすれば、「軟」にあたるのが外交力である。
 たとえば十三世紀の対モンゴル戦争においても、戦争の前に、朝貢を通じて外交の限りを尽くしている。
 これは実は、ベトナム戦争でも同様だった。ベトナムは対米戦を最も低いレベルに抑えるために、様々な外交的なアプローチを展開していた。また同時に、国民に対しては、和解のタイミングを失わないよう、過剰な反米意識を植え付けないよう努めたのである。
 この点、対立か宥和かの単純な二分法に陥りがちなわが国の外交は大いに見習うべきだろう。
 もうひとつは、大国と対峙する際に、必ずもうひとつの大国を引き込むことだ。ベトナム戦争においては、ソ連と中国の両国をたくみに競争させ、対米戦争のための援助を引き出した。
 また中越戦争では、中国はベトナムと戦いながら、その裏側でずっとソ連の脅威に怯え続けなければならなかった。

 ひるがえって、現在の南シナ海問題を見てみよう。ベトナムは中国の軍事的圧力に押されているように見えながら、アメリカやASEAN諸国などを引き込んで、国際世論をいかに味方につけるかに余念がなかった。そのひとつのあらわれが、五月末、シンガポールのアジア安全保障会議だろう。日本の安倍首相、米ヘーゲル国防長官があいついで中国を批難、中国は防戦に追い込まれた。

 こうした「硬」と「軟」の使い分けこそ、大国に対峙するとき、最も有効な武器となる。それがベトナムから学びうる最大の教訓なのではないか。

プロフィール

富坂聰
とみさか さとし 1964年愛知県生まれ。北京大学中文系に留学。週刊誌記者などを経てフリーに。著書に『中国の論点』(角川oneテーマ21)など。

「文藝春秋SPECIAL 2014秋」

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