記事

セキュリティのプロに学ぶ 在外邦人の守り方

※本シリーズは、8月27日発売の「文藝春秋SPECIAL 2014秋」との共同企画です。本誌掲載記事の一部を4週にわたって配信いたします。(BLOGOS編集部)
<テーマ:日本経済を守る究極の危機管理>

海外でテロや戦争から身を守るためになすべきこととは?


国際政治アナリスト 菅原出

 2013年1月16日にアルジェリアのイナメナスで発生した痛ましい人質・テロ事件は、一年半経った今でも我々日本人の記憶に新しい。

 この壮絶な事件から半年後の7月15日には、ケニア南東部のモンバサで、日本の建設会社社員が銃を持った強盗団に襲われて殺害される事件も発生。また8月には、エジプトで非常事態宣言が発令され、日本企業の多くが国外退避を余儀なくされた。

 その後も、タイでの民衆暴動や軍事クーデター、ボストン・マラソンでの爆弾テロ、トルコにおける反政府デモ、スウェーデンにおける移民の暴動、ウクライナでの政変や一部地域での内戦、イラクでのイスラム過激派の躍進など、日本人の安全を脅かすような事態が世界中で発生している。

 こうした時代にあって、海外に進出する日本企業や日本人の安全をどのように確保すべきなのだろうか? 欧米企業の事例を参考にしながら、在外邦人の守り方について考えていきたい。

欧米企業は「自分の身は自分で守る」が原則

 先のイナメナス・テロ事件における英石油大手BP社の対応は、海外企業の安全対策について多くの示唆を与えてくれる。BPはテロに遭った天然ガス施設のオーナーで多くの英国人をこの施設に送っていたが、テロで殺害されたのは4名だけであった。

 同社は自社のセキュリティ体制について一切明らかにしていないが、生き残った社員たちの証言から、同社が緊急時の避難マニュアルや避難シェルターを整備しており、社員がそれに従って迅速に隠れたため、被害が少なかったとされている。

 筆者はかつて英国のセキュリティ会社に属していたが、同社では当時からBP社のような英国の石油会社の社員向けに赴任前セキュリティ訓練を実施していた。「危険地におけるセキュリティ意識向上訓練(HEAT)」と呼ばれるこの種の訓練では、銃弾の脅威から逃げる動作、爆弾テロの脅威やその対策、救命救急法や地雷原から離脱する方法、それに非常時の防衛運転訓練など、危険地でのサバイバルに最低限必要な知識と技術を身につけさせていた。

 また欧米企業はアルジェリアで事業を行う際に、現場に「事業連絡調整官(OLC)」というセキュリティの専門家を配置するのが普通である。アルジェリアでは法律で欧米人は「セキュリティ」の仕事に就いてはいけないので、「セキュリティ・マネージャー」とは呼ばずにOLCという変わった名前を付けて、実質的なセキュリティ管理の仕事をさせている。

 こうした総合的な「備え」が、イナメナス・テロでの欧米人の被害軽減につながったと考えられている。

 現場にセキュリティの専門家を置いて避難計画や避難ルートを綿密に計画させ、社員たちには万が一の時を想定した訓練をさせる。今日本企業でも欧米企業を参考にしながらこうした取り組みが徐々に取り入れられ始めているが、そもそもこれだけセキュリティ対策に違いがあるのは、「最終的には自分の身は自分で守る」という意識の差があるからだと思われる。

 欧米人は長い植民地の歴史から海外で襲われる経験をたくさんしているためか、「自力で何とかする」というマインドを強く持っている。「セキュリティ・マネージャーはダメ」と言われても、OLCと名前を変えてその代役をさせようとするのはそのためである。

 多くの日本企業は、現地の政府や治安機関から「大丈夫、我々の警察が守りますから」と言われると、「宜しくお願いします」と「安全対策」を簡単に他者(他国)に委ねてしまう。現地政府でなかったとしても、例えば現地にいるパートナー企業や提携会社が現地における安全対策を手配するという場合、日本企業はそのパートナーや提携会社に「お任せ」してしまうことが多い。いわば自分たちの安全を他者に簡単に「丸投げ」してしまうのである。

 欧米人は決してホスト国やパートナー企業に100%安全を委ねることをせず、法的に許される範囲内で「自分たちの安全対策を自分たちで構築し、維持・管理する」体制をつくろうとする。もしその国で、自分たち自身で物理的な警備をすることが許されていないのであれば、現地の治安機関が提供する警備を「管理もしくは監督する」ことだけは自分たちでやろうとする。

 もしくは治安情報の収集や分析だけでも自分たちでやり、自分たちが信頼できる情報に従い、自ら判断して行動できる体制をつくろうとする。また現地の治安機関の警備が機能しなくなるという最悪のケースを前提にして、自力で現場から退避・離脱する手段を考え、その計画を秘かに策定しておくものだ。

 筆者が欧米人たちとの付き合いの中で強く感じるのは、こうした用意周到さや「自助」へのこだわりの強さである。

 最近改善されてきたものの、少し前まで「万が一の時はなるようにしかならない」、「困るときは皆一緒なので他社の動向を見ながら決める」などと言ってまともな危機管理計画すら持たない日本企業が多かった。

 今でも日本企業の担当者と話していると、「外務省はあてにならない、情報を持っていない」とか「外国のセキュリティ会社は高いだけ」といった批判をよく耳にする。しかし、情報面で外務省をあてにすること自体が誤りだ。事業を行う地域や活動エリアにはそれぞれ固有の事情があり、そのようなローカル情勢を現地の大使館や領事館がすべてカバーできるはずがない。

意識改革こそ日本企業最大の課題

 情報とはどこかから自動的に入ってくるものではなく、自ら必要な情報源を開拓し、集めた情報を分析・評価するという一連の作業を経て、やっと物事を判断するために使える「インテリジェンス」ができる。これは各企業が、自社のニーズに応じてそれぞれ能動的に構築しなければならず、受動的に待っていても誰も与えてくれはしない。

 この一連のプロセスを全て欧米のセキュリティ会社に丸投げするのであれば、がっぽりと手数料をとられるから高くなるのは当然。しかもよく事情がわからないまま丸投げし、本当に欲しいと思っている自分たちの「ニーズ」を明確に伝えていないため、提供される情報にも不満。だから「高いだけ」と感じてしまう。

 実際の物理的な警備においても同じようなことが言える。警備ポスト毎の人員の業務内容を明確にして、それがしっかりと履行されているかを監督する仕組みができていなければ、現場の警備員や警察は働かない。日本の優秀な警備会社とは違い、こちらからうるさく言わなくても警備会社自身でしっかりと管理してくれるようなことは、途上国ではまずあり得ない。そもそも警備員にしても治安機関の要員にしても、しっかりとした教育もできていないのが普通であり、適切な管理・監督ができていなければ働かないのは、途上国では常識でさえある。

 そうしたことを前提にしながら、セキュリティ体制が機能するように動かしていくには、詳細なオペレーション計画と管理体制の構築が必要であり、そうしたことに日本企業自身が能動的に関与しなければ、セキュリティ会社に丸投げをしただけでは満足な警備など受けられない。

「これをすれば万全」といった魔法のような対策があるわけではない。常にリスクは存在し、100%のセキュリティなどあり得ない。様々な既存のリスク軽減策が確実に機能するように日々その精度を高めていくしかないのだ。そのためには、自社の事業に対する脅威は何かを特定し、その脅威に対する対策としてどのようなものがあるのか、そのセキュリティ対策を履行する上でどのような管理が必要なのか、日々の脅威情報をどのように収集・分析すればいいのか、万が一既存の警備が破られたら自社の社員たちにどのように危険情報を知らせ、どこに避難させるのか等々を、自ら考え自らセキュリティ体制をつくって維持・管理する以外にない。

 こう考えていくと、企業の中で危機管理やセキュリティに通じた人材を養成し、自分たちの安全は自分たちで守るという意識を高めていくしかない。「自力でやる」……、そのマインドを社員一人ひとりに根付かせることが、日本企業にとっての最大の課題だと言える。

プロフィール

菅原出
すがわら いずる 1969年東京生まれ。97年アムステルダム大学政治社会学部国際関係学科修士課程修了。著書に『民間軍事会社の内幕』『リスクの世界地図』など。

「文藝春秋SPECIAL 2014秋」

最高の執筆陣が「忙しすぎるビジネスマンのための新戦争論」をテーマに語り尽くします。
▼<特別対談 戦争を知らなければ世界は分からない>情報、ニュースの達人が論じ尽くす 宗教、民族、経済、軍事のすべて(池上彰×佐藤優)

▼商社マンが見た紛争とエネルギーの内幕(岩瀬昇)
▼悪魔の投資戦略 尖閣有事には日本株を空売り(橘玲)

<日本経済を守る究極の危機管理>
▼2030年最悪のチャイナリスクに備える(川村雄介)

▼日本の領土と魚を狙う中国1000万漁民の正体(山田吉彦)
▼セキュリティのプロに学ぶ 在外邦人の守り方(菅原出)
▼今こそサハリンからパイプラインを(藤和彦)
▼日本の株式市場は地政学的リスクに弱い?(吉崎達彦)

<「今世紀最も重要な経済書」>
▼オバマも注目『21世紀の資本論』が米国で40万部も売れた理由(広岡裕児)
▼緊急寄稿 世界的な歴史人口学者が絶賛 ピケティ 鮮やかな「歴史家」の誕生(エマニュエル・トッド)

▼VISUALひと目でわかる戦争マップ2014(監修:能勢伸之/福好昌治/菅原出)
▼徹底比較・米中日露NATOホントの実力/主要国の防衛費推移/「優良企業」はどこか?

▼<国家緊急権をめぐって>非常事態 安倍総理は決断できるか(橋爪大三郎×大澤真幸)

▼自衛隊員に聞く 海外派遣の真実(森健)

▼集団的自衛権、慰安婦、靖国 朝日・読売の戦争観を問う
(若宮啓文(元朝日新聞主筆)/橋本五郎(読売新聞特別編集委員) 聞き手・宮崎哲弥)

▼「世界三大戦略家」が予言、牙をむいた大国の運命それでも中国は自滅を止められない
 (エドワード・ルトワック/インタビュー・構成 奥山真司)

<東アジアは世界の火薬庫>
▼元自衛隊参謀が警告する 尖閣激突シミュレーション(福山隆 元陸将・西部方面総監部幕僚長)
▼北朝鮮 拉致再調査とミサイルの論理(五味洋治)
▼韓国女性学者が解読「朴槿恵と中国」 イ・サンスク(国立外交院客員教授)
▼日米中 戦争の「損益分岐点」(星野了俊)
▼人民解放軍幹部「言いたい放題」過激発言のウラ側(富坂聰)
▼集団的自衛権と日米ミサイル防衛(能勢伸之)
▼大国に負けないベトナムのしたたかな戦略(富坂聰)

▼中学生に教える戦争Q&A(杉井敦・星野了俊/別宮暖朗任を問われるのか

▼<世界覇権の文明史>アングロサクソンはなぜ最強なのか(中西輝政)

▼戦後七十年目の国体論(小川榮太郎)
▼アブない隣国からの核攻撃に「想定外」はない(清水政彦)
▼特別講義 エンタメ国防論(辻田真佐憲)
▼特攻の遺書とハムレット―'78 年生まれの靖国体験(浜崎洋介)

▼<気鋭の女性国際政治学者による大胆提言>日本に平和のための徴兵制を 三浦瑠麗(東京大学・日本学術振興会特別研究員)

▼<日本人主夫の涙目日記>モスクワの空の下、戦争のニュースが流れる(栗田智)
▼防大生が読んだ戦略論の名著(杉井敦・星野了俊)
▼<コラム>戦争を変える新兵器(能勢伸之)


あわせて読みたい

「アルジェリアの邦人拘束」の記事一覧へ

トピックス

議論新型コロナウイルスに向き合う

ランキング

  1. 1

    ナイキ多様性広告 日本で大反発

    BBCニュース

  2. 2

    行政批判した旭川の病院に疑問点

    中村ゆきつぐ

  3. 3

    富岳が分析 ウレタンマスクはNG?

    諌山裕

  4. 4

    扇動行為ない周庭氏を封じた中国

    新潮社フォーサイト

  5. 5

    渡部会見に厳しい声 児嶋も重圧

    女性自身

  6. 6

    日本の外交に感じられる弱体化

    ヒロ

  7. 7

    「TVより動画」霜降り明星の感性

    放送作家の徹夜は2日まで

  8. 8

    欧米との差 医療崩壊は政府次第

    青山まさゆき

  9. 9

    秋篠宮さま誕生日に職員2名辞職

    文春オンライン

  10. 10

    科学軽視の感染症対応変われるか

    岩田健太郎

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。