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終戦記念日に思うこと

 8月15には「戦没者追悼式」が国営で行われる。内閣総理大臣が「弔辞」を述べ、天皇も「お言葉」を述べて献花し祭壇に一礼する。近くの靖国神社では右翼の宣伝カーが大声をあげ、やや静かな千鳥が渕の戦没者墓苑に参拝する人も、いつもよりは多いことだろう。

 「内田樹の研究室」には「終戦記念日に」と題する一文が掲げてあった。
http://blog.tatsuru.com/2014/08/15_0918.php

 戦後69年にして日本の憲法第9条は事実上廃棄されたと述べているのだが、そのあとに日本国民への慰めの言葉がある。集団的自衛権によって日本が再び戦争のできる国になっても、それはアメリカの下働きとしてなのだから、実際に参戦して悲惨なことがあっても、「文句があるならアメリカに言ってくれ」と言い訳ができるというのだ。

 これは日本人の「戦争責任のとり方」に、とてもよく適合している。東京裁判でも、日本の被告は誰ひとりとして「自分が戦争を企画して推進した」と言うものはいなかった。裁判に顔を見せなかった天皇を始めとして、首相経験者も閣僚も軍の指揮官も「自分は平和を願っていたのだが、心ならずも時代の勢いに押されて決断せざるをえなくなった」と弁解したのだった。

 私たちの前には、まだ「改正」されていない日本国憲法がある。この憲法は「戦争の世紀」からの決別を決めた世界的合意の中で制定された。戦争は人間の手に余るほど巨大になり文明そのものを破壊するまでになったから、紛争解決の手段としては使わないことにしようと決めたのだ。戦争が文明を進歩させ、近代国家の成立に役立った時代は、過去のものになったのだ。

 日本の憲法は、時代に合わないのではなくて、時代が少しだけ遅れていると気がつくと、何が間違いで、今はどうすべきかが見えてくる。国家同士の通常戦力による総力戦は非現実的になった。それ以上に非現実的なのは核戦争で生き残る戦略で、備蓄弾頭の10%を使うだけで地球に人は住めなくなる。これから必要なのは地域紛争を抑止するための軍事力に限られる。それ以上の軍事力は無用の長物となり、軍人は失業を運命づけられている。多少の変動があろうと、この大筋に間違いはない。

 これは高遠な理想でも何でもない。人類にとって「そうなるしかない」未来の姿なのだ。

 今さら戦没者に詫びることも、感謝することもないと私は思っている。せめて、世界でもっとも先進的な憲法を持っている私たちが、世界で最後の戦争に巻き込まれる愚かな道へ踏み込まないことを祈るばかりである。

 きょうの沖縄はどうなっているのだろう。辺野古の海を埋めて、新しい基地を作ったりしてはいけない。

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