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- 2014年07月26日 11:39
岡田克也さん「民由合併という苦い水も飲んでいる」小沢一郎自由党と合併の過去を初めて否定
政権交代ある二大政党政治のきっかけとなった田原総一朗さんが司会をつとめる「激論クロスファイア」(BS朝日)に岡田克也さんが出演。
2014年7月26日(土)放送分の中で、田原さんとともに司会をつとめる村上祐子・テレビ朝日アナウンサーが、「民主党内には、(海江田万里代表ら)民主党を再生させようという人と(前原誠司元国土交通大臣ら)野党再編をしようという人がいるようだ」と水を向けると、岡田さんは「党内には両方あって、私は中間派です」と答えました。
さて、22年前から政治少年である私にとっては、あまりにも有名な話だととらえていますが、政治改革派議員は田原さんの前では本音を漏らすセオリーがあります。
この後の、岡田さんの発言は「そりゃそうだろう」という内容ですが、実際に岡田さんの口から出たということで、私はわが耳を疑うほど喜びました。
「自然体で一つになれれば、それでいいのですが、安倍内閣よりもさらに右のみなさんもいる中で、一つになって、また後で上手くいかないということになると、
民由合併といって、私たちは自由党との合併の苦い水を飲んでいますから」
岡田克也さんが、2003年の自由党(小沢一郎党首・藤井裕久幹事長)との「民由合併(みんゆうがっぺい)」に関して、ネガティブな発言をしたのは、これが初めて。
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[写真]田原総一朗さんと語る岡田克也さん、激論クロスファイア、BS朝日、2014年7月26日放送、筆者(宮崎信行)撮影。
これは経緯が、あって、まず鳩山由紀夫代表(自民党経世会・旧周山会(佐藤派)系出身)が、小沢一郎党首・藤井裕久幹事長(自民党経世会・旧木曜クラブ(田中派)系出身)との民由合併を進めようとして代表選に再選。この際、小沢氏とも近い民社協会の中野寛成さんを幹事長、岡田克也さんを幹事長代理にしたところ、代表選に立候補した2期生の野田佳彦さんが政調会長就任を拒んだうえ、「中野さんは労組系(実際には中野さんは野田さんと同じく地方議員出身)なので、労組政党と思われる」などとし、代表外遊中に党内クーデーターを起こして、わずか3か月間で代表を引きずり降ろすという、野党内中2の火遊びに成功。この後の、出直し代表選に、菅直人さんと岡田克也さんが出馬し、菅さんが当選し、岡田さんを幹事長に起用。菅さんは、囲碁を通じて、小沢と仲良くなり、経世会木曜クラブ系の同僚である、岡田幹事長・藤井幹事長のコンビで、事務的に民由合併を成功させました。
ただ、小沢一郎氏は、東日本大災厄(東日本大震災)の80日後に野党提出の内閣不信任案について、与党内造反者数を敵に密通して連絡したり、「国民福祉税7%」を提唱していたのに消費税5%に反対したりと傍若無人ぶりで晩節を汚し、除籍されました。
[画像をブログで見る] [写真]小沢一郎氏、2013年12月22日放送NHKスペシャル「証言ドキュメント 永田町権力の興亡」から、筆者撮影。
この民由合併については、岡田さんの実弟の政治ジャーナリストも「民由合併をしなくても、政権交代できた」と前々から語っています。そして、私も民由合併をしなくても、政権交代できたし、すべきでなかったとの持論を持っていました。
実際、岡田さんは下野後のインタビューでも「民由合併をしなくても政権交代できたのではないか?」と質問されることがイチバン多かったそうです。
2014年7月26日放送で、田原さんの前で、初めて、民由合併が間違いだったことを認めたことになります。
岡田さんはこの後、田原さんに対して、「まず選挙区の調整などできることから、初めて(政権再交代後の)4年間でやる政策の調整をしていかないといけない」と語り、295小選挙区での候補者のすみわけと、第47回衆院選の共通マニフェスト作成が野党再編の「歯止め」となるとの考えを強調しました。まあ、田原さんに向かって話しているのだから、本音でしかありません。
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伊吹文明衆議院議長は、議長のもとにおかれる、衆議院選挙制度に関する有識者会議の座長に、佐々木毅21世紀政治臨調(旧民間政治臨調)共同代表を充てる人事を固めました。来週、各党幹事長らに伝達する見通し。