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「出自を知る権利」をいかに保障するか――発展する生殖補助医療による新たな「家族の問題」 - 南貴子

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法施行前に生まれた子の出自を知る権利の保障

日本においては、1949年に慶應義塾大学病院で初の提供精子による人工授精(donor insemination: DIまたはartificial insemination with donor’s semen: AID、以下DIと略す)による子(DI子)が生まれて以来、多くのDI子が出生しており、DI 子によって出自を知る権利を求める活動もなされている[*15]。

[*15] 朝日新聞, 2004.9.21,「第三者との人工授精で誕生の『子どもの会』結成へ 出自知らぬ悩み」

しかし、その子たちは、ドナーの匿名性のもとに生まれており、出自を知る権利は保障されていない。日本産科婦人科学会の会告「『非配偶者間人工授精と精子提供』に関する見解」(1997年;2006年に改定)においても、「精子提供者のプライバシー保護のため精子提供者は匿名とする」とされており、生殖補助医療部会報告書においても、すでにドナーの匿名性のもとに生まれた子の出自を知る権利の遡及的な保障について、どのような法制度の整備が必要なのかについては示されていない。

最近、血液検査で父親と血のつながりがないことに気付いたDI子(男性)が、DI を実施した病院に自らの出自についての情報開示を求めたことが報道された。同病院からは「提供者の特定は難しい。特定できたとしても、(精子提供は)匿名が条件なので情報は開示できない」との回答がなされた[*16][*17]。

[*16] 毎日新聞(東京夕刊),2014.3.25,「精子提供者開示請求:開示されず 慶応大病院、横浜の医師に回答」

[*17] 毎日新聞(東京朝刊),2014.3.26,「人工授精:遺伝上の父、捜し続ける 40歳の医師、情報開示のルール化訴え」

このように、ドナーの匿名性のもとに生まれた子たちには、ドナーの情報にアクセスする道が閉ざされている。このような現状をどのように考えればよいのであろうか。

ビクトリア州でも、1984年法の施行前までは、ドナーの匿名性のもとに、配偶子提供が行われており、その子たちの出自を知る権利は、1984年法の施行後も認められていなかった。このような状況に対して、2012年、ビクトリア州の法改正委員会(Victorian Law Reform Committee)は、ドナーの匿名性のもとに生まれた子の出自を知る権利を遡及的に認めることを勧告した内容の報告書を議会に提出した。しかし、この勧告に基づいた法律の導入にはドナーの匿名性が保障されている事実を克服する必要がある。

日本では、現在もドナーの匿名性の保障のもとにDIが行われている。日本産科婦人科学会は1997年の会告「『非配偶者間人工授精と精子提供』に関する見解」以降、「実施医師は精子提供者の記録を保存するものとする」としているが、それ以前に行われたDIについては、記録が残っていたとしても、時を経るにつれて破棄されるなど、ドナーの情報を得ることが困難になることが予想される。ドナーの匿名性の保障が精子提供の前提とされてきたことから、ドナーの情報開示には、ドナーの同意など、多くの困難を伴うことが予想されるが、自己の出自を求める子のためにも、情報開示の道が開かれることが望まれる。

ドナーの権利についての検討

日本においては、DIはドナーの匿名性のもとに行われている。子の出自を知る権利を認めることは、ドナーの匿名性の廃止を意味する。

しかし、生殖補助医療部会報告書では、ドナーによって生まれる子の出自を知る権利を認めている一方で、ドナーが子について知る権利は認めていない。「出自を知る権利については、精子・卵子・胚の提供により生まれた子が、提供者に関する情報を知るものであるが、提供者については、希望した場合、提供を行った結果子どもが生まれたかどうかだけを、公的管理運営機関から知ることができることとする」としている。

また親子法制部会中間試案でも、「女性が自己以外の女性の卵子(その卵子に由来する胚を含む。)を用いた生殖補助医療により子を懐胎し、出産したときは、その出産した女性を子の母とするものとする」「(生殖補助医療部会報告書が示す生殖補助医療の)制度枠組みの中で行われる生殖補助医療のために精子を提供した者は、その精子を用いた生殖補助医療により女性が懐胎した子を認知することができないものとする」としている。

このように、子には出自を知る権利、つまりドナーの身元を特定する情報へのアクセスを認めているが、ドナーには、法的親子関係とともに、子の情報へアクセスする権利を認めていない。

ビクトリア州でも1984年法制定前には、配偶子提供(主に精子提供がなされていた)は、ドナーの完全な匿名性が必須とされ、ドナーも提供した配偶子の使用や結果について追求しないことが提供の条件とされていた。

しかし、子の福祉の立場から子の出自を知る権利が認められるようになり、ドナーの匿名性の廃止とともに、子や家族にとって、また、社会的にも、ドナーは可視的存在になろうとしている。法的には、ドナーは子との親子関係になくても、子と血縁関係にある存在である。ドナーを単なる配偶子提供のボランティアとしてではなく、将来、子や家族とのつながりを持つ可能性を有する存在としてみなす必要がある。現在、ビクトリア州では、ドナーにも子(18歳以上)の同意のもとで子の身元を特定する情報へのアクセスが認められている(子が親から出自を知らされていない場合、公的機関を通じて送られるドナーからの情報開示の同意を求める通知は、家族にとって「倫理的地雷原」「潜在的時限爆弾」になるとの批判もあったが、親から子への真実告知を促す結果につながった)。

日本においても、子の出自を知る権利の議論とともに、ドナーの権利やドナーと家族との関係性についての議論がなされることが望まれる。子の出自を知る権利が保障され、子がドナーにアクセスする可能性のあるなかで、子を特定できない範囲での情報(例えば、出生子数、性別、出生年など)であれば、ドナーにも子の情報へアクセスする権利が認められてもよいのではないかとの議論も必要だと考えられる。

制度の整備と専門機関の設置

生殖補助医療の法制度化に向けての課題は、生殖補助医療を利用する当事者の問題であると同時に、生殖補助医療を認める社会の問題でもある。社会全体で課題に取り組むことが求められており、法制度化には社会的合意を必要としている。

とくに、日本においては、DIが半世紀以上にわたって法制度の整備がなされることなく既成の事実として行われてきた現実がある。これらの問題は、一朝一夕に解決できるものではない。現に2003年の生殖補助医療部会報告書の公表以来、10年以上が経過している。

ビクトリア州の事例でも、1984年に法制度ができて以来、約10年毎に法改正が行われ、社会全体で生殖補助医療の利用に伴う課題に取り組んできた。ビクトリア州では、1995年法に基づき、生殖補助医療の円滑な運用と実施のための援助、生殖補助医療に関連した情報収集、情報提供、議会への年次報告等を目的として1996年にITA(Infertility Treatment Authority)が設立された(現在、ITAのこれらの役割は2008年法に基づき設立されたVARTA(Victorian Assisted Reproductive Treatment Authority)に引き継がれている)。

日本においても、このような専門機関の設置が望まれる。現在も多くの家族にとって、生殖補助医療によって子をもうけたことは、家族の秘密であり、子や家族の意見を得ることが困難な状況にある。また、匿名性のもとに配偶子を提供したドナーからの意見や情報を得ることも困難である。子の出自を知る権利が、単なる記録の保存にとどまることなく、実質的に機能するためには、生殖補助医療や生まれてくる子の福祉についての公教育活動、子の出自に関する情報の収集と管理、及び、子とドナーやその家族とのコンタクトやコミュニケーションをサポートするための制度とそのための専門機関の設置が望まれる。

おわりに

生殖補助医療が他の医療と異なる点は、その医療が生命の誕生にかかわるということである。生殖補助医療の法制度は、生まれてくる子の権利にかかわるものでありながら、生まれてくる子は意見を述べることができないという矛盾をかかえている。

生殖補助医療の利用は、(権利を主張することのできる)親の視点からこれまで不妊治療としてみなされてきたが、(権利を主張することのできない)生まれてくる子の視点に立った医療でもあることが望まれる。とくに、子の出自を知る権利の保障は、子の福祉の立場から、日本の法制度化の議論において優先されるべきものと考えられる。

生殖補助医療の利用は、親子関係など法的関係のみならず、家族の在り方にも深くかかわっている。子は生まれてくる環境を選ぶことはできない。生殖補助医療の利用に伴って生じる「家族の問題」は、その利用を認めた社会の問題でもある。子の出自を知りたいとの願いに、社会が誠実に向き合うことが求められている。

参考文献

南 貴子, 2009,「人工授精におけるドナーの匿名性廃止の法制度化の取り組みと課題―オーストラリア・ヴィクトリア州の事例分析を中心に―」『家族社会学研究』21(2): 175-187.

南 貴子, 2009,「オーストラリア・ヴィクトリア州における生殖補助技術へのアクセス権―シングル女性、レズビアン女性による人工授精の利用を巡って―」『日本ジェンダー研究』12: 69-83.

南 貴子, 2010,『人工授精におけるドナーの匿名性廃止と家族―オーストラリア・ビクトリア州の事例を中心に―』 風間書房

南 貴子, 2012,「オーストラリア・ビクトリア州における生殖補助医療の法制度化による子の出自を知る権利の保障」『海外社会保障研究』179: 61-71.

南 貴子, 2013,「生殖補助医療の法制度化において『取り残された子』の出自を知る権利―オーストラリア・ビクトリア州の新たな試み―」『保健医療社会学論集』24(1): 21-30.

南 貴子, 2013,「配偶子ドナーと家族の統合をめぐる近未来の制度設計」、日比野由利編『グローバル化時代における生殖技術と家族形成』日本評論社 180-199.

サムネイル「Who Am I?」Ahmad Hammoud

http://www.flickr.com/photos/ahmadhammoudphotography/5212868148

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