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- 2010年07月12日 00:55
新興衰退国ニッポン:確実に日本が滅びています
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要素還元主義の方法では、生物の形状や機能を分子レベル(遺伝子)に還元していきます。極端に言うと、恋愛の遺伝子とか不倫の遺伝子なんて表現がまかり通ります。経済学では、個人の効用や利得から出発して経済全体を描けるという方法論的個人主義をとります。通常のミクロ経済学や応用ミクロ化しているマクロ経済学がそうです。
しかし、ヒトゲノムの解読は、科学の方法を考え直す必要性を迫りました。よく考えると、ネズミと人間は遺伝子の数が大きく違わないのに、生物としては大きく違っています。しかも、遺伝子は変化していきます。また、しばしば同じ遺伝子が他の遺伝子と重なり合って違う役割を果たすことも分かってきました。実は、遺伝子は複雑な人体の調節制御のメカニズムを担っており、この調節制御の仕組みそのものが進化しているのです。
ダーウィンの「自然淘汰」論は誤解されています。重要なのは、この調節制御を進化させて、環境変化への「適応」の幅を大きくして、「種」が生き残ることです。社会ダーウニズムが想定する単純な弱肉強食ではありません(その点で、さまざまな論争を経た最終版であるダーウィンの『種の起源』第6版(東京書籍)はとても参考になります)。
このゲノムが教える多重な調節制御の世界は、微分方程式で描かれる「均衡」の世界とは違って、「非線形」と呼ばれる状態であり、非連続的な変化をしていく世界です「(ちなみに、この複雑なネットワーク構造の分析については、蔵本由紀『非線形科学』(集英社新書)の最後の部分が参考になります)。」
私の「市場」観は、この「逆システム学」から発想した独特のものです。まず何より、市場は「制度の束」であり、セーフティネットを結節点として制度の体系ができいるととらえます。そして経済学は、その多重フィードバック(調節制御)の仕組みを明らかにすることが新しい課題となります。
今度、2人で出した共著『新興衰退国ニッポン』(講談社)は、この逆システム学の方法の上に立って、「病気」や「衰退」を引き起こすリスクと変化について考察したものです。
実際、生物も経済も周期性をもって変化(たとえば景気循環)しますが、この周期的な波は決して同じ波を繰り返しているのではなく、波が少しずつ変わりながら、突然大きな転換(たとえば石油ショックや大恐慌)をもたらします。人間もガンや脳梗塞のような成人病が増えていきます。このように、水が沸点に達して水蒸気になったり、鉄の棒が折れたりするのと同じように、複雑で非線形的な変化こそが、科学が解明しなければならない先端的課題なのです。
ところが、新しい変化を見ようとすると、複雑な要因が絡んでおり、それが何なのか分かりにくいものです。しかも、データがそろわないので「科学的」には実証できません。
しかし、そんなに難しく考える必要はありません。生命体や社会を観察していると、いつも、「病気」や「衰退」のきっかけは小さな異常事態の発生から始まるものです。それを例外的だと見過ごし、「たいしたことはない」として放置すると、多重なフィードバックの仕組みが効かなくなって「病気」や「衰退」に陥ります。
ところが、厄介なのは、この異常事態の見逃しをエビデンス・サイエンス(実証科学)が正当化する場合があるという点です。これには計量経済学も含まれます。もちろん、計量経済学の有効性全体を否定するつもりはありませんが、その過信には大きな落とし穴があります。それは、非線形的変化の前兆として起きる異常事態をデータ的な裏づけのない「非科学的」な主張であるとして斥ける傾向を生むからです。そして「実証された」時には、すでに取り返しのつかない不可逆な事態に陥ってしまうのです。
システムを揺るがすようなリスクが頻発すると、こうした事態がしばしば引き起こされます。たとえば、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の後、通常100万人の子供に1人しか発症しないはずの小児甲状腺ガンが4000人以上の子供に発生したにもかかわらず、「証拠はない」とされ放置されました。ロシア政府もIEAE(国際原子力機関)も、自らを正当化するために、この実証科学の「成果」を利用しました。
しかし、ヒトゲノムの解読は、科学の方法を考え直す必要性を迫りました。よく考えると、ネズミと人間は遺伝子の数が大きく違わないのに、生物としては大きく違っています。しかも、遺伝子は変化していきます。また、しばしば同じ遺伝子が他の遺伝子と重なり合って違う役割を果たすことも分かってきました。実は、遺伝子は複雑な人体の調節制御のメカニズムを担っており、この調節制御の仕組みそのものが進化しているのです。
ダーウィンの「自然淘汰」論は誤解されています。重要なのは、この調節制御を進化させて、環境変化への「適応」の幅を大きくして、「種」が生き残ることです。社会ダーウニズムが想定する単純な弱肉強食ではありません(その点で、さまざまな論争を経た最終版であるダーウィンの『種の起源』第6版(東京書籍)はとても参考になります)。
このゲノムが教える多重な調節制御の世界は、微分方程式で描かれる「均衡」の世界とは違って、「非線形」と呼ばれる状態であり、非連続的な変化をしていく世界です「(ちなみに、この複雑なネットワーク構造の分析については、蔵本由紀『非線形科学』(集英社新書)の最後の部分が参考になります)。」
私の「市場」観は、この「逆システム学」から発想した独特のものです。まず何より、市場は「制度の束」であり、セーフティネットを結節点として制度の体系ができいるととらえます。そして経済学は、その多重フィードバック(調節制御)の仕組みを明らかにすることが新しい課題となります。
今度、2人で出した共著『新興衰退国ニッポン』(講談社)は、この逆システム学の方法の上に立って、「病気」や「衰退」を引き起こすリスクと変化について考察したものです。
実際、生物も経済も周期性をもって変化(たとえば景気循環)しますが、この周期的な波は決して同じ波を繰り返しているのではなく、波が少しずつ変わりながら、突然大きな転換(たとえば石油ショックや大恐慌)をもたらします。人間もガンや脳梗塞のような成人病が増えていきます。このように、水が沸点に達して水蒸気になったり、鉄の棒が折れたりするのと同じように、複雑で非線形的な変化こそが、科学が解明しなければならない先端的課題なのです。
ところが、新しい変化を見ようとすると、複雑な要因が絡んでおり、それが何なのか分かりにくいものです。しかも、データがそろわないので「科学的」には実証できません。
しかし、そんなに難しく考える必要はありません。生命体や社会を観察していると、いつも、「病気」や「衰退」のきっかけは小さな異常事態の発生から始まるものです。それを例外的だと見過ごし、「たいしたことはない」として放置すると、多重なフィードバックの仕組みが効かなくなって「病気」や「衰退」に陥ります。
ところが、厄介なのは、この異常事態の見逃しをエビデンス・サイエンス(実証科学)が正当化する場合があるという点です。これには計量経済学も含まれます。もちろん、計量経済学の有効性全体を否定するつもりはありませんが、その過信には大きな落とし穴があります。それは、非線形的変化の前兆として起きる異常事態をデータ的な裏づけのない「非科学的」な主張であるとして斥ける傾向を生むからです。そして「実証された」時には、すでに取り返しのつかない不可逆な事態に陥ってしまうのです。
システムを揺るがすようなリスクが頻発すると、こうした事態がしばしば引き起こされます。たとえば、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の後、通常100万人の子供に1人しか発症しないはずの小児甲状腺ガンが4000人以上の子供に発生したにもかかわらず、「証拠はない」とされ放置されました。ロシア政府もIEAE(国際原子力機関)も、自らを正当化するために、この実証科学の「成果」を利用しました。



