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百歳と九十歳の旅、台湾とシベリヤ

    語らざる 悲しみもてる 人あらむ 
           母国は青き 梅実る頃

   英国にて元捕虜の激しき抗議を受けしより、
   かつて「虜囚」の身となりしわが国人の上も
   しきりに思はれて
 これは、皇后陛下の御歌である。
 平成十年五月、天皇皇后両陛下は、英国を御訪問された。
 その時、沿道に日本軍の捕虜であった元イギリス軍老兵士が立ち並び、抗議のプラカードを掲げ尻を向けて両陛下を出迎えた。
 この時に、皇后陛下は、抗議をするイギリスの老兵を眺められながら、イギリス軍の虜囚となった元日本軍兵士のことを思われていたのだった。
 
 他方、わが国内では、何を思っていたのか。
 橋本総理が、イギリスの大衆紙SUNに日本軍の「蛮行」を謝る謝罪文を寄稿していた。
 イギリスからそのSUNを取り寄せると、次の通りの大見出しがあった。
「Japan Says Sorry To The SUN」(日本は、サンにごめんなさい、と言った)
 そして、その裏ページ一杯には裸の女の子のカラー写真があり「私は食べ頃よ(Dishy)」と書いてあった。

 この情けなさ、今も心に甦る。
 
 私は、ビルマでイギリス軍の虜囚となった会田雄次氏の実体験を書いた「アーロン収容所」を引用して、ここまでわが虜囚はイギリス軍から残虐なことをされ続けたのに、何故、それを無視してイギリスに謝るのか、と予算委員会で総理大臣に質した。
 会田氏が書いていた二つの例を挙げた。

①イギリス軍は豚小屋に接して日本軍虜囚の小屋を造った。そして、ブタの餌を虜囚より上等にした。
 将校が代表してイギリス軍にせめてブタ並みの食糧を支給してくれと要請すると、次の通り答えた。
「イギリス人は、人道意識に富んでいる。人間にブタと同じものを食わせることはできない」

②イギリス軍は、一日一回は水没するイラワジ川の中州に日本軍捕虜を閉じ込めた。水没中は、捕虜は皆、衣服を頭に乗せて腰から下を水に漬かりながら立っていた。夜は水浸しの中に寝た。
 イギリス軍は、日本軍捕虜に食糧を与えず、「赤痢になるから中州の蟹や魚は生で食べるな」という標識を中州に掲げていた。

 しかし、水没を繰り返す中州で火をおこすことは不可能だった。そこで、飢えた捕虜は、我慢できずに生の蟹を食べた。そして次々倒れていった。イギリス軍は、その有様を岸から望遠鏡で観察していて、最後の一人が倒れたのを見届けてから、次の通り、布告した。

「我が軍は捕虜の健康を維持するために配慮を怠らず、生食はするなと表札を立てて注意していたが、日本人は衛生観念に乏しく、我々の注意に背いて生で蟹を食べて赤痢にかかって全員亡くなった。まことに遺憾である」

 さて、現在、
 敗戦後の満州に於いてこの事態を経験した二人の方々が、それぞれ台湾とシベリアに行っておられる。このお二人の旅をご紹介し、我々戦後の者が失った視野と、この世代の「語らざる悲しみ」をお伝えしたい。

 (門脇朝秀さんの台湾)
 蕨市在住の門脇朝秀さんは、本年百歳であるが、本日(六月三十日)、台湾の台北から東海岸の花蓮に入られる。そして、台東、潮州、高雄を時計回りに廻られて七月中旬に帰国する予定だ。

 その目的は、戦前から結ばれていた台湾の原住民である各地の高砂族との人脈を、我が国の宝として大切にする為である。
 国民党蒋介石の四十年に及ぶ戒厳令下、高砂族は「語らざる悲しみ」を秘めて生きてきたが、門脇さんに会うと、その瞬間に、高砂義勇隊の日本軍兵士に戻る。彼らは、日本軍兵士としての誇りを失っていない。

 二年前に、門脇さんに同行して台湾の東海岸を旅したが、その時会った二人の元日本軍兵士は、まさに今も日本軍兵士だった。その方々を紹介したい。二人とも、日本名を名乗って日本語しか話さなかった。
 
 九十歳を超える岡田さんは、フィリピンのモロタイ島から戦後三十年経って生還してきた高砂義勇兵の中村さんの上官で同じ村から出征した。
 岡田さんは、門脇さんを家の前で待っていて、車から降りた門脇さんの肩に顔を埋めて泣いた。門脇さんはその時九十八歳だから、明らかに岡田さんは、上級者に対する礼儀を維持していた。

 食事の前に、岡田さんは「海ゆかば」を歌った。食事中の歓談の時には、耳が遠いこともあってあまり話さなかった。ジーッと黙って皆を見ていた。何か凄味があった。
 彼らは夜目がきく。それ故、ニューギニアのジャングル戦でアメリカ軍が最も恐れた。それで、岡田さんの仕草と小柄ながら剽悍な体つきを見ていて、九十歳を超えた今でも、この人と夜のジャングルで遭遇したら、確実に殺されると思った。

 岡田さんに聞いてみた。
「モロタイ島から村に帰ってきた中村さんに会ったか」と。
彼は答えた。「会ってない」。
何故ですかと再度聞くと。
「彼は歩哨に立っていたときに脱走したんです。歩哨の交代要員を連れて歩哨地点に行くと彼は脱走していなかった。脱走兵とは会わない」ときっぱり答えた。

 次の宮本さんも九十歳を超えた方だった。腕を骨折したのできれいな娘さんに日常の世話をされていた。温厚なお年寄りだった。
 門脇さんが、「あなた方には、ずいぶんとご苦労をかけたのに、何も日本は報いていない。
 これは、私がもっている天皇陛下からの勲章だが、貴方が、高砂族の部下を代表して持っていてくれないか」
 と言って、宮本さんに勲章を渡すと、宮本さんは、勲章を押し頂き、額に掲げ頭を下げて肩を振るわせて泣いた。家の壁には富士山の額が飾られていた。
 この宮本さんは、既に亡くなっているという台湾からの知らせが今朝入った。門脇さんが気を落としているという。
 心からご冥福を祈るとメールを返した。

 この度の門脇朝秀さんの台湾行きには、私は都合がつかず同行できなかったが、二年前と同様に、私と共に記録担当で尖閣諸島魚釣島に上陸した映像教育研究所主催の稲川和男さんが同行し、
門脇さんの動向を撮影している。
 その貴重な記録であるDVDができあがったら、ご紹介する。
 
 この度は、同行できなかったが、出発に当たって、蕨のご自宅から羽田までお見送りした。
 お嬢さんが私に言った。
「父は、毎回、毎回、これがこの世で最後の旅だというんです。」
 羽田で、稲川さんが航空会社の女性に、門脇さんに車椅子を持ってきて欲しいと言った。女性が車椅子を必要とする理由を尋ねた。
 稲川さんが理由を言った。
「百歳だから」
 直ちに車椅子が来た。

 なお、門脇朝秀さんは、如何なる人物か。自らは語らない方なので記しておく。
 関東軍特務機関員として満州で終戦を迎えた。

 その時、関東軍は直ちに武装を解除したので、在留邦人をソ連軍から守る術を失い、数十万の満州の邦人はソ連軍による虐殺と迫害に曝され多くの悲惨な犠牲者がでた。

 これに対して、西隣の駐蒙古軍の司令官である根本博中将は、邦人を守るために、断固としてソ連軍に屈しないと決意し、武装を解かずに追撃してくるソ連軍を撃破しながら南下し、四万の邦人を無事日本に帰還させてから、北京で武装解除に応じた。

 しかし、武装解除した満州にも、身に寸鉄を帯びずとも、断じて邦人を日本に帰還させるために命の危険を顧みず行動を起こした人物がいた。それが門脇朝秀特務機関員だった。

 門脇さんは、その時、大連にいた。従って、大連から船に乗り日本に帰還することは容易だった。そして、大連には、へとへとになりながら大勢の邦人が日本へ帰ろうと続々と逃れてきていた。
 しかし、門脇さんは、ただ一人、北上して奉天に向かう。

 そして、どういうルートであるか聞いていないが、奉天に来ていたアメリカ軍司令官に面談し、邦人を速やかに帰国させるよう説得し、司令官にその措置を執らせた。
 その結果、アメリカ軍にはソビエト軍も逆らえず、大連の数万の邦人が日本に帰還できた。
 これが、門脇さんの語らざる偉大な功績である。

 (荒木正則さんのシベリア)
 荒木正則さんは、本年九十歳になる。
 本日から七月十六日まで、シベリヤのハバロフスクより北に三百キロのコムソモリスクとハリガンに行き、
「今年も戦友の屍を我が手に抱いて祖国に連れ戻さんと」される。本年でシベリア行きは十一回になる。
 
 このコムソモリスクは、関東軍兵士であった荒木さん等が、ソ連軍に抑留され、シベリヤ第二鉄道建設に従事させられたところで、荒木さんが、「伐採作業で頭部裂傷の血の海で気絶し、重自動車に轢かれ、かかれば必ず死ぬという盲腸炎に罹り、三度も死の淵を彷徨ったところ」である。

 この度の出発に際して、荒木さんから私に送られた手紙を氏には無断ながら次に紹介する。

 世の中、小理屈等何の必要無いと思います。
 只、悠久、幾千年と続く大和民族の歴史、伝統、道徳・・・、
之に仇なす輩は、先生の日本刀で叩き斬ってくださいませ・・・

 どう足掻きましても、残り幾ばくも無き人生、
1、あの大東亜戦争に於いて、日本民族の若い男達総て七百八十万人が世界を相手に闘った。男子の本懐そしてその栄光。
2、民族屈辱苦難「シベリヤ強制抑留」たるものは、国家領土と引き替えに行われた生け贄の悲劇である。
3、戦後祖国というものは、常に一貫して「棄兵棄民の政策」をとり続け、更にそれらの一日も早い風化消滅を積極的に計り執り続けてきた実態というものは・・・

 栄えある大和の民族としては、決してこれ等は許されまじき破廉恥な醜態と、心中、耐え難きものがあり、私、不肖一回の素浪人にしか過ぎませんが、向後とも、命ある限り、これら反軍反日の輩と戦い抜く所存でございます。

 この文面にも顕れているように、荒木さんと話していると、内面に帝国陸軍兵士としての激情が煮えたぎっているのが分かる。
 それを煮えたぎらせている火は、極寒のシベリヤで倒れた戦友への変わらざる思いと「語らざる悲しみ」である。

 先年、マレー沖で帝国海軍に撃沈されたイギリス海軍の巡洋艦から海に投げ出されて泳いでいた多数のイギリス水兵を救助した帝国海軍の駆逐艦艦長のことが「海の武士道」として紹介され、この艦長が賞賛された。

 このことが話題になった時、荒木さんが、目に涙をためて声を挙げた。
「我々は、敵を撃滅せよ、敵を殺せと教えられ、敵を殺す猛烈な訓練を受けていた。それを、何かーーー!敵を助けた奴だけが、褒め称えられるのかーー!それでは、敵を殺しに行って任務を果たして亡くなっていった、俺たちの戦友は、どうなるんだ!」

 荒木さんと話していると、昔の日本人と帝国陸軍が如何に強かったかが実感できる。

 以上、百歳と九十歳の方々が、現在、台湾とシベリヤを旅されていることをご紹介した。
 このことをお知らせせずにはいられなかった。

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