- 2014年06月24日 19:02
母親が娘を蹴り倒す動画をめぐって
2/2「母親を責めるのではなく、『どうしたのですか?』とか『大丈夫ですか?』という言葉を投げかけるべきだろう」という意見もある。実は私はこの意見がいちばん気になった。理屈としては理想的だ。しかし、母親は完全に我を失っている。その状況で「どうしたのですか?」「大丈夫ですか?」という声に込めた思いはきっとすぐには届かない。むしろとっさには、自分に対する攻撃だと受け止めるのではないかと思う。「警察呼ぶぞ!」も、「どうしたのですか?」「大丈夫ですか?」も、相手に伝わる内容としてはさほどの差はない。いやむしろ、このような精神状態では、「大丈夫ですか?」という言葉こそ「上から目線」と受けとられてしまう可能性だってある。であればまだ「警察呼ぶぞ!」のほうが、子どもに向かっていた怒りがこちらに向かう分、ましかもしれない。ちなみにこの動画の撮影者は改札の中にいて、近くに歩み寄ることができない状況で声を発している。近くに歩み寄れるならともかく、遠くから「どうしたのですか?」「大丈夫ですか?」と大声を発する状況はあまりイメージできない。
このような状況に接して、すぐさま母親への同情がわき起こるというのは、子育ての大変さをよく知っている人のさすがのリアクションで素晴らしいと思うのだけど、ちょっと優等生すぎて本質を見失ってはいないか。冷静に考えてほしい。目の前で子どもが暴力を振るわれているのである。理屈をこねる余裕などない。当たり所が悪ければ、命を落としていてもおかしくない展開だった。まさかと思うかもしれないが、虐待死ってそういうタイミングで起こるのだと、あれを見て私は思った。
だってもし目の前でカップルが喧嘩を始め、体力に勝る男性が、派手に女性を蹴り飛ばしたり、殴り飛ばしたりしていたら、男性に「大丈夫ですか?」などと声を掛けたりはしないだろう。なんとか女性の身の安全を守らなければと思い、警察を呼ぶなどの具体的処置をとるだろう。事件に発展する可能性も考え、それこそ警察に見せるために証拠写真を撮影をする人もいるだろう。
この状況においても、第一にすべきは子どもの身を守ることであって、その次に母親へのフォローをすればよいのではないか。動画の投稿者が、遠くから「警察呼ぶぞ!」と言ったのは、母親の追い詰められた心情もへったくれも何もなくて、とにかく母親の攻撃を制し、子どもを守らなければいけないという、ほとんど本能だったのだろうと私は思うのだ。応急処置としてはやむを得なかったと思うのだ。これは、たとえばご近所の家で、「虐待かも……」と思ったときに勇気をもってしかるべき機関に通報する心境にも似ているだろう。母親に対する同情だけでは、どうにもならない。母親へのフォローは絶対に必要だが、背に腹はかえられないのだ。
ちょっと論点がずれちゃうかもしれないけれど、蹴っている女性と蹴られている子どもが親子でも何でもなかったら、さすがにみんな間に入って止めるはず。そして女性を警察に突き出すはず。それなのに、それが親子でのことなら、対応が違うのか。やはりファーストリアクションは同じでいいんじゃないだろうか。違うのはそのあとだろう。それが赤の他人なのであれば、逮捕である。それが母親であれば、母親が心の余裕を取り戻せるように、フォローし、再び同じ状況にならないように、継続的に見守ることが必要になる。
別の見方もしてみよう。この動画の状況で、「大丈夫ですか?」とか「大変ですね」などと言って、母親に同情的に歩み寄ったとしたら、子どもはどう思うのだろうか。子どもは、「自分が悪いんだ」という気持ちを強くしてしまうかもしれない。子どもの心に対する母親の支配を余計に強めてしまう結果になる恐れがある。それは絶対に避けなければならない。肉体的な意味でも、精神的な意味でも、子ども守りつつ、母親も落ち着かせなければいけないという難しい状況なのだ。一度には対処は無理だ。何段階かにわけて対処しなければいけない。
さらに本音を語らせてもらう。目の前で子どもが無惨に蹴り倒されているというのに、母親の心情ばかり気遣うのは、あくまでも親の立場でこの事件を目撃してしまっているからではないだろうか。やや客観性を欠いた視点ではないか。自分も同じ立場であるからと、背景理解にばかり意識が向かい、目の前の現実が直視できなくなっているのではないか。もしかしたら、その心理が、結果的に虐待死にいたるまで、虐待を放置してしまう社会のムードを成り立たせてしまっているのかもしれない。
あの母親が、我を失うほどにストレスフルな状況にいることは間違いない。そういう親をサポートしたいと思って、私もできる範囲での活動をしている。そうなってしまう親を責めるつもりはない。しかし、暴力を振るわれている子どもを守ることと、我を失ってしまった母親を思いやることとは、別々に考えなければいけない問題ではないだろうか。その中で、優先順位を付けて取り組んでいかなければならないのではないだろうか。今回の件に関しては、そこがごちゃごちゃになったまま、母親と投稿者、およびそれぞれの行為に対する批判と擁護が入り乱れてしまったような気がする。
私は母親も投稿者も非難しない。ただし、母親の行為は非難する。投稿者が投稿したということには、議論の余地があると思う。が、投稿者がそれを必要と考えたのであれば、その判断自体は尊重されるべきだと思う。
というわけで、私ならどうするかを書こう。ただし、この動画を見たあとで、落ち着いてイメージしたことであることを最初に断っておく。いきなりこの状況に際して、同じ行動がとれるかということには自信がないということだ。
仮に私がこの投稿者とまったく同じ状況にいたら。
まず、撮影はしない。
たぶん、改札の柵を跳び越えて、まず子どものほうに駆け寄る。それ以上蹴られないように、子どもの体をまず保護する。そして、泣き崩れる子どもの肩を軽く抱えるようにしながら、母親のほうを振り向き、「ちょっ、ちょっ、ちょっ。ちょっと落ち着きましょう」と、意識してできるだけ穏やかな表情で、母親の目をのぞき込むと思う。
我を失っている母親である。「うちの子に触らないで!」と私をはねのけようとするかもしれない。でも私は子どもをかばうように身を挺すると思う。「警察呼びますよ!」と言われるかもしれないが、気にしない。母親がちょっとでも黙って、動きを止めてくれるのなら、その間に子どもに「大丈夫?痛かったねぇ。お母さん疲れてるのかな。ちょっと怒り過ぎちゃったみたいだね」とかなんとか、その状況になってみないとわからないけど、子どもを安心させるようなことを話しかける。ただし、母親を非難するようなことは言わないように気をつける。
その会話を聞いて、母親が少しでも我を取り戻してくれればしめたものだ。もしその場で母親が我を取り戻すのだとしたら、きっと涙を流すに違いない。それくらいにいっぱいいっぱいなのだから。そうしたら、そこではじめて「大丈夫ですか。大変ですね」と母親にねぎいらいの声をかけるだろう。そこから先、もし母親が何かを語ってくれそうなら、時間が許す限り、話を聞く。ここから先は私なら、慎重に心理カウンセラーとしての技術を使う。
でも、たいていの場合、「なんなのこのおやじ」という風に、母親は私を睨みつけるだけだろうと思う。大勢の通行人の前で、赤の他人に諭されちゃって、本当は穴があったら入りたいくらいの心境でいるときに、人はそんなに簡単に我に返ることができないから。それでも、母親の目に少しは冷静さがとりもどせたように思えたら、母親の目をまっすぐ見据えて、「大丈夫ですか?」と「約束させるニュアンス」を込めて確認し、子どもを母親に渡すだろう。そして最後に「大丈夫ですよね」という信頼の気持ちを込めて会釈をしてその場を去るだろう。
それで何が変わるのかわからない。もしかしたらあとで「アンタのせいで私が恥をかいたじゃない!」と、子どもはさらにひどい仕打ちにあうかもしれない。それでも、小さな子どもが目の前で蹴り倒されていたら、それを見て見ぬ振りをすることはきっとできない。「世の中にはこんなおっさんもいるんだ」ということを、その子に知ってもらいたい。
動画投稿はしないのはもちろん、実況中継のような文章も書き起こさない。
そこまでイメージトレーニングをしてみた。ただし、これは、自分が、昔取った杵柄で、体力的にはそこそこの自信があって、かつ、心理カウンセラーとして、アップセットした人とコミュニケーションをする技術をもっているという自信が前提にあるからこそ選択する作戦であって、この対応が万人にとって正解であるとはまったく思っていない。下手に割り込めば、自分が怪我をするかもしれないし、状況をさらに悪化させるかもしれないことはいうまでもない。
あの親子が今、笑顔でいることを祈る。



