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母親が娘を蹴り倒す動画をめぐって

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※できるだけ端折らずに書こうと思ったら、7000文字以上の長文になってしまったことを最初にお伝えしておく。それでも舌足らずでお叱りを受けるところは多々あるだろう。しかも結論はない。また、これは現時点での私の考えであり、また時間が経つと意見が変化する可能性があることも断っておく。

駅構内で、母親が娘を蹴り倒す動画が拡散している。さらにここに来て、SNS上で、「触れまいと思ったのだけど……」と断ったうえで、コメントする人が増えている。私も同じパターンである。

あの動画には触れないようにしようと私も思っていたのだが、あの動画そのものではなくて、それに対するリアクションやコメントが気になったので、そこに対する意見もしくは観点の整理として、この記事を書くことにした。いつもは私と近い意見を表明する人も、今回の件については私とはだいぶ違う意見を表明していることもあった。今回の件は、それだけ難しいテーマだということだろう。

まず、話の前提として、動画の概要を描写する。1度しか見ていないのでうろ覚えの部分も多いが、わざわざ動画を見たくないという人も多いと思うので。

母親がものすごい剣幕で娘に怒鳴りつけている。「このやろう」みたいな乱暴な口調になっている。娘は壁際の床に座り込んで号泣している。母親の顔を見上げる気力もない様子だ。怖くて見られないのかもしれない。「行くの、行かないの?」のようなことを母親が言い、乱暴に娘の手を引っ張り立ち上がらせる。母親は娘の3-4メートル先をすたすたと歩き、娘は泣いたままとぼとぼとついていく。ほんの5メートルほど進んだところで、母親はおもむろに振り向き、罵声を浴びせながら、娘の後頭部のあたりを蹴る。格闘技のKOシーンのように、娘は頭から床に倒れる。駅構内の雑踏の中でも、娘が床に頭を打ち付けるゴツンという鈍い音が響き渡っていた。そこで、撮影者が、「おい、警察呼ぶぞ!」と警告する。母親は娘を抱えて雑踏に消えていった。ちなみに、母親の身なりも子どもの身なりもちゃんとしている。

明らかに度を超しており、母親の行為に対する賛成の意見はさすがに見ないが、インターネット上のリアクションはさまざまだ。当然、「なんだこの鬼親!」みたいな批判もある。それに呼応するように、「何が原因かはわからないけれど、母親がストレスフルになっていることは間違いないのだから、母親を非難することでは解決にならない」と指摘する意見も多い。動画の中で投稿者が「警察呼ぶぞ!」というシーンがあるが、「それは違うんじゃないか」という意見もある。「こんな動画をインターネットに載せること自体が違うんじゃないか」と、動画の投稿者に対する批判も多い。

私も、最初にシェアが回ってきたときには無視をした。「そんなもの、撮影するなよ。投稿するなよ」というのが最初のリアクションだった。しかしこれだけシェアが出回ると、無視できなくなる。見てみた。想像以上のひどさだった。正直、涙が出た。子どもがどんな気持ちでいるのか、そっちに気持ちが行って、泣けてきた。子どもの虐待死のニュースに触れて、思わずあふれてしまう涙と同質のものだ。もう一度見ることはできない。

そして、なぜ投稿者がこの動画を投稿しようと思ったのか、その心理に興味が湧いた。まずあの手の動画を投稿することの是非について論じたい。

オリジナルの投稿を見ると、その葛藤が詳しく書かれていた。投稿者本人も、こういう動画をシェアすること自体が新たな問題を引き起こす引き金になりかねないことを重々承知しているようだった。動画に映っているのは途中からで、その前から母親は何発も蹴っていたということも書かれていた。投稿者がもともと投稿を目的として撮影したわけではないことは、それを読めばわかる。今回の動画が、母親を非難するために投稿されたと思っている人がいるようだけど、投稿者のコメントを読む限り、違う。「さらす」ために投稿したわけではなさそうだ。「自分はこの現場に出くわして、どうしたらいいかわかりませんでした。撮影した動画を警察にまでもっていきましたが、結局何にもなりませんでした。無力感が残りました。みなさんならどうしますか」という問いが、この動画投稿には込められていたように私は感じる。見るまではそうは思っていなかった。実際に見てみて、投稿者の気持ちが少しわかったような気がしたのである。

壮絶なものを目撃してしまったのである。投稿者だって相当なショックを受けたわけだ。目撃してしまっただけではない。目の前で小さな子どもが蹴り倒されているのに、どうしていいのかわからない戸惑いや無力感を味わったのだ。投稿者の心にも、このシーンは大きな傷を残したに違いない。心の異物は、吐き出されなければ、心の中でどんどん毒を吐く。その毒に耐えきれず、投稿者は投稿という形で毒を吐き出す手段を選んだのかもしれない。それが正しかったかどうかはわからないが、彼の置かれた状況、心境を考えれば、一概に彼を責めることは私にはできない。

見てしまったもの、知ってしまったものに対して、何らかの解釈を加えて吐き出さないと気持ちが悪くなってしまうというのは、まさに今私が体験している心理である。こうやってこの記事を書くことで、自分の頭を整理し、この問題を「もうこれ以上考えなくていいパッケージ」の状態にして、吐き出そうとする行為である。この文章を書いた時点で、一応パッケージ化は完了する。それをブログとして掲載するかどうかには、また考慮の余地がある。そこで載せると判断するのはそれによって何かを感じ取ってくれる人が居るのではないかという期待があるからだ。動画の投稿者も同様の心理を経たのだろうと私は推測する。

つまり、この動画についてインターネット上などパブリックな場所でコメントをしたすべての人は、実際に動画を見たか見ていないかにかかわらず、投稿者と同じ心理的葛藤を経て、本質的に同じことをしているのである。「こんな動画投稿するな」と思うのなら、自分も完全スルーを貫けばいいのだ。今後こういう動画が出回らないように意見を発しているという理屈があるかもしれないが、であれば、あの動画の投稿者が、今後子どもを蹴り倒す人が減るようにと願ってあの動画を投稿したのも同じ理屈である。

あるいは投稿者の心には、目の当たりにした現実を、みんなにも知らせる義務があるという思いもあったのかもしれない。自身のコメントにもそのようなニュアンスは表れていた。その意味でいえば、たとえば戦争ジャーナリズムなども同じだと私は思う。目を背けたくなるような現実を、誰かが伝えなければならないという使命感に基づいている。あの動画は、少なくとも私にここまで深く具体的に考えさせてくれた。あの動画を見て、「自分だったら……」を考えた人は私だけではないはずだ。その意味においては、結果的に、あの動画を投稿した社会的意義はあったんじゃないかと思う。

本人が見たらどう思うかという意見もある。そりゃ苦しいだろう、恥ずかしいだろう。でも自分を客観的に見るいい機会になるかもしれない。もしくは彼女の近くの誰かが、「あ、あのお母さんだ」と気付いて、さりげなくサポートをしてあげられるかもしれない。夫が見て、自分の至らなさを反省するかもしれない。実際のところ、そこまで個人が特定できるような鮮明が画像ではなかったが。とにかく、拡散したことが、悪いことだけとは限らない。

動画も見ていないし、投稿者が動画に添えたコメントも読んでいない人が、問題を一般化し、思い込みで投稿者を非難し、動画をシェアしたりそれについてSNS上で議論したりする人を横目で見下し、自分だけ訳知り顔することは、今回の件に関してはフェアではないなと感じた。

さて、もうひとつの論点に移ろう。

動画の中で、投稿者が「警察呼ぶぞ!」と警告することに対する批判も多い。「母親はいっぱいいっぱいになっているのであって、いつもそんな悪い親であるとは限らない。母親自身の自己肯定感が低下していることが本来的な問題であり、母親を非難すればさらに事態は悪化する」という主旨だ。

もし自分がその場にいたらどうするかという論点での議論である。

上記の指摘は、理論的にはまったくその通りではある。しかしここでも私は投稿者の心理が理解できる。投稿者だって、パニクっているのだ。母親がたまたま何かの原因で正気を失っていることは感覚的にはわかるだろう。しかし、目の前で子どもが蹴り倒されているのだ。そのときにとっさに投げかけるべき有効な語彙を予めもっている人などそうそういないだろう。私も、今回この動画を見て、自分ならどうするかを考えたのでそれはこの記事の最後に書こうと思うが、そのようなイメージトレーニングがなければ、とっさにこのような状況に出くわして、適切なことを言う自信はない。もしかしたら私も突然この状況に出くわしたら、しかもたとえば向かい側のホームだとか、ちょっと距離のあるところからそれを見ていて、近づくことができなければ、「警察呼ぶぞ!」とか「いい加減にしなさい!」と叫ぶかもしれない。

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