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コメントの作法〜恥ずかしくないコメントをするために

ブログをアップする側の悩み

ぼくがブログを運営し、BLOGOSに転載され、コメント欄も設けていることを知人が知ると、しばしばこんな指摘を受ける。

「コメントの誹謗中傷によく耐えられるね?自分は、あんな感じで罵詈雑言を浴びせられるのにはとてもじゃないけれどガマンできない!」

そういえば、BLOGOS上でコメントを受け付けていないブロガーも散見される(コメント欄の設置については任意ゆえ、拒否することも出来る)。

僕の答えは、

「まあ、鈍感力で(笑)」

というもの。

書き込まれるコメントのうち、三割程度は完全に的を外してしまっているか、あるいはブロガーに対する誹謗中傷(ブロガーの属性に基づいて、そこから憶測するかたちで行われるものが多い。さしずめ僕の場合は「大学教員」という肩書きを踏まえての攻撃だ。「大学なんて“象牙の塔”にいるから、オマエは世間のことを全然知らない」みたいなモノノイイがそれ)になる。

僕がこういった「誹謗中傷系」のコメントが三割くらい入ってしまうこと(コンテンツにもよるが)について、前述したように「鈍感力」で適当にスルーすることにしているのは、議論やコメントはなんであれ、ある程度こういったピントはずれの発言・コメントが含まれること、他者を自己満足の道具にとする輩が含まれるのはやむを得ないと考えているからだ。これはネットではないが、大学では授業改善を目指して「授業評価アンケート」を実施する。アンケートなのでほとんどが選択式だが、終わりに筆記回答式の自由記述欄があり、ここでは、しばしば「声がヘン」「容貌がおかしい」といったような、質問事項とは直接関連のない誹謗中傷のコメントが寄せられる(脆弱性の高い教員の中には、怒りはじめるものすら現れる。まあ、これもまた「大人げない」のだが)。で、やはりこの割合が似たようなものなのだ(つまりコメントの三割くらい)。双方に共通するのは「匿名性で責任性の回避が担保されていること」。それを逆手にとって言いたい放題をやってしまう人間が残念ながら必ず一定の割合で存在するのだ(ちなみに実名になったら、これは限りなくゼロになる)。

こういったブログに対する誹謗中傷コメント。第三者的な視点、つまりニュートラルな視点からこのコメントを読み返してみると、かなりみっともないものにみえる。コメントを書き込む側の「リテラシーの低さ」、そして「痴性」つまり「知性が存在しないこと」を世間一般にさらけ出してしまっていることになるからだ。いわばTwitter上でコンビニの冷蔵庫に入った写真をアップするのと基本的に同じ構造。「みっともない」「やってはいけない」ということに自覚がない。

そこで、今回はメディア論、とりわけ記号論の概念を用いつつ、この「痴性溢れるコメント」がなぜ発生するのかについて分析してみたい。

テクスト、コンテクスト、知識体系

分析に当たって「テクスト」「コンテクスト」「知識体系」という三つの概念を説明しておく。

先ず、次の問題を解いて欲しい。
問題1:以下の空欄を埋めなさい。


(a)□肉□食

(b)品□方□

(c)天□大□

問題2:カタカナの部分を漢字になおしなさい。


派手なカッコウをした男

問題3:長さ16㎝の角材があります。これを4等分すると一つは何㎝になりますか。

この三つの問題、それぞれの答えは「一般的」には次のようになる。

問題1-(a):弱肉強食

問題1-(b):品行方正

問題1-(c):天下大平

問題2:派手な「格好」をした男

だがこれは唯一の回答とは言えない。それぞれ別の回答例を提示してみよう。

1-(a):焼肉定食→定食屋でこの問題を出したら、たぶんこっちだろう。

1-(b):品川方面→駅での出題だと、多分こうなる

1-(c):天丼大盛→これも定食屋、天照大神→神の国の宮崎県民に出題するとこうなることがある(これ、実話です)。ちなみに「天下大平」は誤表記で、正しい綴りは「天下太平」で「大」のところが「太」になるが、同じような問題を連続して出題された場合(この場合は三番目)、ほとんど誰も疑うことなく「下」と「平」を入れてしまう。

2:派手な「滑降」をした男→スキー場でこの問題を出したら多分こちらの熟語が入るだろう。

3:16㎝、8㎝→角材を縦に切れば16㎝の角材が四本とれる。角材を横に2等分し(それぞれ8㎝)、次にそれぞれを縦に2等分すれば8㎝の角材が四本とれる。いずれも当分であることに代わりはない。

さて、以上の問題に対して複数の回答が出現すること。これはテキスト、コンテクスト、知識体系が絡み合うことに起因する。

わかりやすいように一番最初の問題を例に取ってみよう。「□肉□食」がテクスト、つまり「書かれたもの」。この□欄に埋める文字を考えるにあたり、この問題が出題されるコンテクスト=文脈が候補として上がってくる。つまり「弱肉強食」「焼肉定食」の二つ。このどちらを選択するのかが、コンテクストをテクストとした広義のコンテクストである「知識体系」ということになる(ちなみに、これは記号論ではさらにスキーマとフレームに分類されるが、細かくなるので省略)。知識体系は、いわばコンテクストをチョイスするメタコンテクスト=「空気」に該当するもの。つまり、前者の場合は「これは国語の問題であり、こういったところに埋める内容は「四字の故事成語でなければならない」」と考え、後者は「食堂ではいろんな定食があり、その中のひとつが選ばれる」と知識体系が判断するのだ。ちなみに逆の知識体系に基づいてコンテクストを充当した場合(試験で「焼肉定食」、定食屋で「弱肉強食」を選択した場合)は「空気が読めない」(言い換えれば知識体系が誤ったコンテクストを選択した)ということになる。で、このようなメカニズムが、先ほどの全ての問題に該当している。

さて記号論における意味のこの三つのレベル、そのままブログ記事とコメントの関係、そしてそのコミュニケーションの齟齬にピッタリとあてはまる。

先ずテキスト(先ほどの例だと”設問”)がブログ記事に該当する。これをコメント者は読み込むのだけれど、その際、この文面がどういったコンテクスト=文脈で語られているかについて想定する。前述の例だとテクスト「□肉□食」を「弱肉強食」「焼き肉定食」どちらのコンテクスト(狭義のコンテクスト)で読むのかを判断する。そして、この二つのどちらかを選択するかは(あるいは他の選択肢もあるかも知れないが)本人の知識体系=広義のコンテクストに基づいている。だからブロガーとしては「弱肉強食」と読ませたくても、コメント者が「焼肉定食」というコンテクストを支持すると言った状況が発生する。これがブログ発信者のメッセージとコメント者の受信、つまりブログ解釈の齟齬となる。

齟齬を避けるためにブロガーとコメント者がすべきこと

こういった「齟齬」を避けるためにはブロガー、コメント者双方が”テクストに対する周到性=用心深さ”を備えるが必要となる。

ブロガー=発信者としては、コメント者に自らのテクストが意図した知識体系=広義のコンテクスト(=空気)に基づいてコンテクスト(狭義)を選択してもらうために、1.可能な限り平易かつ曖昧性を排除した表現を心がける、2.自らの属性を公開し、コメント者にその知識体系=広義のコンテクストに基づいて読んでもらえるよう方向付けを行うといった工夫をする。僕の場合、1については文章は偏差値50程度の大学が入試で出題している国語の論説文程度の難易度にするということ、言葉の定義を明瞭にすると言うこと(たとえば「□肉□食」なら、設問に「四文字の『故事成語』を完成させよ」と明記すること)、2についてはプロフィールに「大学教員」であること、「メディア論、記号論」等を専攻していることを明記する(もっとも、これが逆目に出る場合もある。大学研究者であることを示し、そちらの分野のプロパーであることを示すつもりが、前述したように「大学教員だから世間を知らない」というかたちでコンテクストを読み込まれてしまうこともあるからだ)。

一方、コメント者としては、1.テクストを丁寧に読む、2.コンテクスト(狭義)を適切に選択するためにブロガーの知識体系(コメント者の側からこれを表現すれば「ブロガーの意図」)が何なのかを斟酌すること、となる。

自らの知識体系を最優先=絶対視する

ところが誹謗中傷、ピントはずれになってしまうコメント者は、この手続きを踏もうとはしない。

先ず、ちゃんと読んでいない。これはマナーとしては問題外だろう。で、ブロガーの立場からすればこのレベルならばコメントする資格はないとみなし、完全にスルーしても構わないだろう(要するに、この読み方では偏差値50程度に達していないので「足切り」させてもらっている。実際に本人が偏差値50であるかどうかはともかく、まともにテストを受けていないのだから、こちらも相手にするわけにはいかない)。

しかし、これよりも問題なのは、テクストを読解する力はあるのだけれど、こちらが意図した知識体系=広義のコンテクストが意図している狭義のコンテクストとは異なるコンテクストがチョイスされてしまう場合だ。つまり、前述の「□肉□食」の問題ならば、設問が国語の問題であり、従ってここでは「故事成語を埋める」ことを「空気」として読んでもらうことが前提されるのだが、その空気を読まず「焼肉定食」と埋めてしまう場合だ。

こうなってしまうのは、コメント者の方に先ず自分が主張したいことが先にあり、それを絶対視し、それに基づいてテクストに対するコンテクストが埋めてしまうからだ。言い換えればブロガーと意図などどうでもよく、とにかく「言いたい放題」を展開したいという動機が前面に出ているというわけだ(この辺の「不用心さ」を促進してしまうのが、責任性回避を可能にする「匿名性」にほかならない)。

このレベルだと、本人はブロガーの鬼の首を取ったような気分にはなっても、冷静にブログを読んでいる一般の読者からは、このコメントが「勘違い」「自己顕示」に読めるわけで、結果として痴性をまき散らす、きわめて恥ずかしいコメントになってしまうのだ。

相手を尊重する姿勢

結局、こういった「痴性溢れるコメント」をしないようにするためには、コメント者はあたりまえの話だが、1.ブログを丁寧に読むこと、2.コメントの際には自らの立ち位置、つまり知識体系から導き出したコンテクストが、ブロガーの知識体系と合致しているか、つまり独りよがりの意味づけになっていないかについて敏感さを持つことがポイントとなるだろう。言い換えれば、自らがコンテクスト(狭義)をチョイスする知識体系=広義のコンテクスト(=空気)をも対象化=相対化する作業が必要なのだ(ブロガー側がわかりやすい文面を心掛けることが重要であることは、あたりまえだけれど)。

ただし、こういうふうに言ったところで、こういった「空気の読めない」誹謗中傷系のコメントがなくなるとは思えない(実名のみの議論とすればなくなるだろうが、それでは匿名であることのよさが失われてしまう)。僕が言いたいのは、コメント者はそういった痴性をまき散らさないように心掛けた方が身のためだと言うことだ。ROMである膨大な数の第三者の閲覧者が、それを見ているのだから。

※オマケ:ちなみに「どうせコメントする奴なんてそんなもんなんだから、そんなことをゴチャゴチャ言う方が間違っている」と言う、いわゆる「ちゃぶ台返し=ニヒリズム」のコメント、実は最も質の悪いものとなる。これは「秋の味覚は松茸かそれとも秋刀魚か?」と論じ合っているときに「いずれどっちもクソになるのだから同じ」という「議論を無化する詭弁」であり、議論の場での典型的なルール違反であり、生産性がないからだ。まあ、そう思ったときには沈黙しておくのがマナーだろう。

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