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象牙の取れる海岸

 サッカー・ワールド・カップで、途端にコートジボアールという国に注目が集まりましたね。一昔前は、日本でも「象牙海岸」と呼んでいたのですが、数年前から「(フランス語の)Cote d'Ivoireが正式名称だ。(英語の)Ivory Coastはダメ。」と言い始めてから、日本もそのまま邦訳することなく「コートジボアール」と呼ぶようになりました。

 1999年にクーデターがある前は、フランス語圏西アフリカでは最も発展している国でした。石油、カカオ等、豊かな自然と資源で伸びている国でした。経済首都のアビジャンは大都会です。私の住んでいたセネガルとコートジボアールが、何となくフランス語圏西アフリカの中では「ちょっと先に出た存在」でして、しかし、経済的に発展しているのはコートジボアール。フランス語圏本家本流を自任するセネガルはかすかに、しかし確かなライバル意識を持っていました。

 コートジボアールという国は南北対立の存在する国です。南部はキリスト教、北部はイスラム教ということで、あの地域全体に存在する対立の構図と似ています(ナイジェリアで今、世界的な問題となっているボコ・ハラムなんかも同様の構図です。)。建国の父、フェリックス・ウフェ・ボワニ初代大統領は上手くその辺りを収めていました。元々首都はアビジャンでしたが、今は中部都市のヤムスクロに置いています。ヤムスクロ遷都については、ウフェ・ボワニ大統領の生まれ故郷であるということに加え、南部のアビジャンに偏った政治・経済構造を少しでも北部に寄せたいという思いもあったでしょう。

 ただ、コートジボアールはこの15年、ずっとゴタゴタし続けました(ここ2-3年は落ち着いていますが。)。原因は第二代大統領のアンリ・コナン・ベディエが狭量な南北対立を煽ったためです。ウフェ・ボワニが1993年に逝去した後、憲法上の規定により国会議長から大統領になったベディエ、そして、ウフェ・ボワニの晩年首相を務めたアラサン・ウワタラが激しく対立しました。ベディエは、それまでコートジボアールになかった「Ivoirite(イヴォワリテ)」という概念を導入します。直訳すると「象牙性」ですが、何のことはない「コートジボアールの大統領選挙に出る者は、両親共にコートジボアール出身でなくてはならない。そして、選挙前5年はコートジボアールに住んでなくてはならない。」というのを選挙法に入れ込んだのです。

 ウワタラは1993年に首相職を退任した後、古巣のIMFに副専務理事で戻ります。元々が国際金融のエキスパートでして、相当に能力が高いことを伺わせます。逆にこれは「ワシントン在住」ということになります。しかも、ウワタラは巷間父親がブルキナ・ファソ出身と言われていました。つまり、上記の選挙法はベディエが政敵ウワタラを大統領選挙から排除するためのものとされていました。

 これ自体が、北に位置するブルキナ・ファソや、それ以外にもマリ、お隣のガーナといった国出身の移民を差別することに繋がっていきます。特にブルキナ・ファソとの関係は相当に悪化します。イヴォワリテ政策は、結果として北部イスラム地域の差別、移民差別、南北格差といった方向に進んでしまい、全然上手く行きませんでした。丁度このくらいの頃に私はセネガルに居たので、コートジボアールがどんどんおかしくなっていくのを比較的近い所で観察していました。

 そこで1999年にクーデターが起きます。端的に言って、「ベディエはダメだ」と軍がダメ出しをしたということです。その後の経緯はとても長いのですけども、私の眼には「いつも南北で内戦をやっていた。」というふうに見えています。その過程で、(1999年クーデター当事者の)ゲイ第3代大統領、2003年にゲイを放逐して第4代大統領に当選したバボ大統領と、無能な大統領が続いたことはコートジボアールにとってとても不幸な事でした。

 ここからは、少し今回のワールドカップとの絡みで書いていきます。

 エースであるドログバはベテ族という民族出身ですが、彼は幼少時にフランスに行っていますから、少し国内のゴタゴタからは距離が取れる立場です。なお、ドログバは現在、フランスとの二重国籍です。フランス代表として出ようとすれば出られた人物ですが、あえてコートジボアール代表を選んだ所も、国民の尊敬を集めている理由の一つです。

(なお、ドログバというのは英語表記読みでして、実際にはドロバが一番近いです。バボ第4大統領も表記はGbagboです。)

 その他に例えば、トゥーレは北部ブアケ出身、ボカは南部出身、バリーは両親がギニア人です。ちなみにジェルヴィーニョは、名前がボルトガル語っぽいので(ボルトガル語圏の)ギニアビサオ出身かなと思ったら、それは違いました。彼はジェルヴェ・ヤオ・クアシというよくあるあの地域の名前でして、そのジェルヴェの所にポルトガル・テイストを入れただけのようです。

 そうやって見てみると、あのチーム自体が、国全体から選手が集まっていて、しかも、在外ディアスポラのドログバも加わっているということもあり、国全体の融和みたいなものを体現しているといって間違いではありません。「出身が何処であろうが、誰もが応援できるチーム」ということです。

 一番メモリアルだったのは、2006年に初めてコートジボアールがワールドカップ出場を決めた時のことです。当時国内では、政府軍(バボ大統領)とその親衛隊、反乱軍(北部)、国内に展開するフランス軍やPKOとの関係が常に混乱していて、和平への動きが自陣に都合が悪くなると、政府軍と親衛隊が騒ぎ始めて常に散発的にアビジャン市内で戦闘が起こっていました。

 そんな中、チームメンバーがフランスのテレビ局カメラの前で膝まづいて、本国に向け「今日(出場を決めた日)、すべての国民が共存し、同じ目的に向かってプレイできる事を皆さんにお示しした。膝まづいて皆さんにお願いしたい。これだけの財産や豊かさを持つ国が、こんな戦争に落ち込んでいってはいけない。武器を置いて、選挙をやろう。すべては上手く行く。」と語ったのは有名な話です。その中心に居たのはドログバ。最近、TVでも取り上げられましたので見た方もいるでしょう。ドログバが周囲に「お前達も膝まづけ」と言いながら、皆で訴えている姿は感動的でした。これもきっかけの一つになって、いわゆる2003年から続いた第1次コートジボアール内戦は終息に向かいます。

 ドログバは、ペプシとのコマーシャル契約のお金を国内の教育・保健に注いだり、チェルシーに在籍時、ロンドンでチャリティー・ディナーを催して国内の病院建設のために収益金を当てようとしたり、とても立派だと思います。将来、政治の世界に入ってくるのではないかなと思ったりもしますが、彼は「国全体の運命が一サッカー選手に掛かっているなんてあり得ないよ。」と言っているそうです。格好良いではありませんか。

 なお、最終的には、2010年以降のいわゆる第二次コートジボアール内戦を経て、バボ大統領は放逐され、ウワタラ大統領が誕生します。1995年大統領選挙で、イヴォワリテを原因に出馬を阻まれてからですから15年の月日が過ぎました。IMFのナンバー2までやったテクノクラートであり、国内のドロドロも経験した苦労人です。1990-93の首相時代、財政再建を行い、国内では批判されましたが諸外国の評判が高かったです。ドログバが言っていたように、資源、農業、工業どれをとっても西アフリカの中では本来先頭ランナーでなくてはならない国です。

 国の不幸は、第二代(ベディエ)、第三代(ゲイ)、第四代(バボ)と大統領職を務めた人間が悪かったことにあると思います。特にイヴォワリテなんていう概念を作りだし、南北対立を政争の中で煽ったベディエの罪は重いです。

 なお、バボ大統領は、第二次内戦時に「人道に対する罪を犯した」ということで、国際刑事裁判所に送致され、最近、同裁判所で裁かれることが発表されました。これはこれで、アフリカ全体に波紋を呼んでいます。とても興味深いネタなのですが、さすがに長くなってきたのでこれくらいにしておきます。

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