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ゲーム史的に正しい「マリオが米国で生まれなかったわけ」

ゲーム史的に正しい「ドラクエが日本で生まれたわけ」

に引き続き、「マリオ」正確には「スーパーマリオブラザーズ」が、本当に日本で生まれる必然性があったのかについて考察してみたいと思う。ところで考察すべき点は2つあって

  • 日本初のアクションゲームはレイヤーで考えられているのが、米国発のはパースペクティブで考えられているのが多い
  • 「マリオ」が日本で生まれる必然性はどこから来るか

になる。

まず最初に前者をさっさと済ませてしまうと、スクロール系アクションなどで多重レイヤーで奥行き表現を出す手法を日本人が得意としたか、というと完全にそのとおりである。

「ラスタースクロール」と呼ばれる手法などを駆使し、美しい多重スクロールを実現したのは横スクロールでは、ムーンパトロールが最初と言われている。また縦においてはゼビウスこそ使ってなかったが、その後の雨後の筍のように出てきたものの中には、そういったゲームが大量にある。こういう多重スクロールを駆使した二次元シューティングゲームは、当時の日本人の独壇場とも言え、スーパーマリオブラザーズの時代にはもう確立していた。ただ一つだけ突っ込みたいとすれば、これは元々はマルチプレーン・カメラという戦前のセルアニメなどで使われた技法からの発展で、米国の方で元々は使われていたと思う。

しかし、次の問いになると首を傾げてしまう。ドラクエの場合、RPGでは米国がはっきり先行しており、WizとUltimaのいいとこ取りという日本独自の取り込み戦略が、あの形に結実したのがはっきり分かるため、順序がはっきりしている。アメリカは先に本格的な方向に進み、日本はそれをデフォルメしながら追いかけた。

ところが、アクションゲームは日米双方でしのぎを削っていた分野である。同じプラットフォーム系のアクションゲーム、というくくりにおいてもマリオ程ではないとしても歴史的大ヒット作のPitfall!がある。例えばPitfallシリーズからスーパーマリオの地位を占めなかった可能性は、決して少なくなかったかもしれないと思うのである。そこにはいかなる必然があったのか?無いとしたら、単純に偶然競争に勝てただけなのか?

だから今回は「マリオに匹敵するエポックメイキングなゲームが米国で生まれなかったわけ」を考察したい。

ところで仮に必然であったとすると、以下の様な選択肢が考えられる。

  1. 米国人は、別のカテゴリを開拓するのに夢中だった。
  2. 米国人は、日本人開発者より優秀ではなかった
  3. 米国人は、マリオにチャレンジできるようなゲームを作れる状態になかった。

潰せるものから潰していくと、(2)の優秀な人材というのは、もちろん居なかったわけではない。例えばマリオの宮本氏に匹敵する評価を今日受けている数少ないゲームデザイナーの一人であるWill Wrightのデビュー作は1984年の「バンゲリングベイ」である。後にプラットフォームゲームのプリンス・オブ・ペルシャで評価を受けるJordan Mechnerも同じ年にあの「カラテカ」を出している。

そして(1)の別カテゴリだが、アクション系については、これがたいして見当たらないのである。この頃のアメリカから出てきた2次元アクションのゲーム、などというものはなかったかのようなぐらいないのである。残るは(3)だが、そんな状態になるような大きな出来事がなかったかというと、実はあったのである。スーパーマリオブラザーズのデビューは1985年。その2年前にあの「アタリショック」。その衝撃から米国のコンソール業界が立ち直ることは、ついぞなかったのである。

一応説明しておくと、この当時のゲームが出来るプラットフォームは、だいたい3種類に分けられる。安価なゲーム機は、貧弱なCPUとメモリしか積まなかったが、ROMカートリッジと、アクションゲームを動かすためのハードウェアスクロール機能やスプライト機能、つまりはグラフィックのハードウェア支援が強力だったため、アクションゲームを作るのに非常に適していた。高価なPCは、CPUとメモリは強力だが、ハードウェア支援は貧弱で、絵は綺麗だが高速な画面書き換えは苦手。そしてその中間に、ホビーにも適したPCというものが存在している。当時の日本で言うと、順にファミコンやセガMk3のようなゲーム機やアーケード、PC-8801/9801などのパソコン、MSX、と言ったあんばいだ。当然作られるゲームも棲み分けされ、ゲーム機ではアクションが、PCでは演算能力を活かしたRPG,シミュレーション,3Dアクションなどが主流であった。

この状態でゲーム機が全滅したのだから、まともなアクションゲームが作れるはずもない。例えば先程のカラテカは、最初にAppleIIでリリースされている。当時のAppleIIはリリースから何年も経っており、控えめに言ってもファミコンより大分貧弱だった。それを使わざるを得なかったのである。

実際にどんなゲーム機で、どんなゲームが当時リリースされたか、ちょっとWikipediaで調べてみると、愕然とする。

List of console game franchises

は、コンソールゲームで有名なシリーズ物ゲームが、最初に登場したハードウェアごとにまとめられている。ちなみにアタリショック以前のものは米国では第二世代、2nd generationに、ファミコン(=米国ではNESと呼ばれる)は、3rd generationに属する。2nd generationで、日本には有望なゲーム機があまりないとはいえ、それなりに日本初のシリーズが見て取れる。しかし3rdになると、米国産のゲームの数は絶望的なほどに少ない。試しに知らないシリーズを調べてみると、結構な割合で日本のもののローカライズ品だったりする。

このように、マリオに匹敵するアクションゲームを作る余地は、当時のアメリカには全くなかった。むしろ、優秀なアクションゲームを作れる基盤は日本にだけあったといえる。宮本氏が素晴らしいデザイナーであった以前に、もう戦略的圧勝、マリアナの七面鳥状態。

というわけでマリオについても独自の考察をしてみた。日本文化と2Dの親和性の存在を補強する証拠はあるものの、それはあくまで副次的要因にすぎず、それ以上に外的要因が大きかった、という印象である。L.starはそもそも最初のコンソール機がプレステで、コンシューマー方面はあまり得意でなかったので、PC方面が最前線だったRPGに比べて苦戦するだろうなと思ったら、意外な方面から回答をもらってしまった。

しかし、アタリショックの原因とかはいろいろ言われているが、影響の大きさには今更ながら驚いた。この失敗を挽回できるコンソールの発表まで結局20年かかっている計算になる。日本メーカー凄い、と思っていたが、実際にはアメリカの自滅っぷりがもっとひどかったんだなあ、と今更ながらに思わされた次第である。

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