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その傷のブルースを見せてくれ――写真家・齋藤陽道のまなざし - 荒井裕樹×齋藤陽道

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「痛み」の世界を押し広げること

荒井 ぼくは精神科病院のなかのアトリエで絵を描いている人たちの手伝いをさせてもらっているんですけど、そのアトリエが展示会をやると、時々「“心を病む人たちのアート”なんていう説明は不要なんじゃないか」という感想が寄せられるんですね。「アートはアートなのであって、作者の障害のあるなしは関係ない」っていう意見なんだと思うんですけど、ぼくは、それもちょっと違う気がしていて……。ちなみに、齋藤さんは「耳の聞こえない写真家」として紹介されることについて、どう思っていますか?

齋藤 自分の身体を引き受けた上でうまれたもののはずなのに、障害者という冠をかぶせられると途端にいびつになりますね。そこに「感動」を加えられるともう酷いありさまという例をたくさんみてきたので、耳のことをいちいち紹介されることにためらいはあります。でも、それは……うーん。

荒井 以前『生きていく絵――アートが人を〈癒す〉とき』(亜紀書房)という本を書いたんですけど、そのなかでは、紹介させてもらった人たちのことを「精神障害者」とは書かなかったんです。あくまで「心を病む人」と書きました。というのは、アトリエの人たちが日常的に「病む」と言っていたからなんです。

「精神障害(者)」というのは、医療者や福祉関係者たちが治療や支援を行うために外からつけるもの。「外からつけられること(=分類されること)」と「自分のうちから名乗ること(=自称すること)」は、基本的に違うことだと思います。

アートって、もっと単純に自己表現って、自分のうちから名乗ることだから、そこにある誇りやこだわりや思い入れを大切にしないといけない。これは別に観る人に強制するわけじゃなくて、そこからこんな表現が生まれたって事実は伝えたいと思うんです。

似たような問題で、障害のある人を撮ると「障害(者)をネタにしていいのか?」っていう反応が返ってくることもあるんじゃないかと思うんですけど、齋藤さんの場合はどうですか?

齋藤 直接言葉でいわれたことはないです。

荒井 障害を持つ人をアートなり文学なりで取り上げると、よくある反応なんです。特に目立った障害のない人が取りあげたりすると。ぼくも同業の研究者から「障害当事者でない荒井がどうして障害者の文学をやるんだ」ってよく言われてきました。

「障害を持つ人の悩みや苦しみは、同じ障害の当事者にしかわからない」という意見ってありますよね。歴史的にそういう意見が出てこざるを得なかった事情もあります。障害を持っている人って、専門家(医療者)や親(保護者)にずっと自分の意見を代弁されて、本人が置き去りにされてきた。だから自分のことは自分で決めたい。「当事者」という言葉の背後には、そういった歴史的な事情がある。

「当事者性」を重んじることは大切だけど、でも、行き過ぎるのも問題だと思うんです。というのは、「障害を持った人は障害の問題を語って当然(語るべき)」とか、「障害をもった学生だったら障害のことを学んで当然(学ぶべき)」とか、過度な押し付けをしてしまいかねないですから。

「当事者」という言葉や考え方が出てきた歴史的な経緯を知ることは必要だし、「当事者」が自分について語ることができる権利や環境は守らなければいけない。それを踏まえた上で、それでも「障害のあるなし」は「描きたい世界」や「知りたい世界」を選ぶのに、そんなに大きな要素じゃないというのが個人的な意見です。「そこにある痛み」「そこにある大変さ」「そこにある生きにくさ」というのは、それを見つけた人で、いろんな環境や条件が整ってそれを書くことができる人が書くしかない。

それは「出会い」や「縁」であって、当事者性はその確率をあげるだろうし、「出会い」や「縁」を引き寄せる思い入れが増すことも事実だろうけれど、でも、それがなければ書いてはならないという絶対の条件ではないと思う。

もちろん、「痛み」を抱えた本人が書けたらそれに越したことはない。でも、たとえ本人が書けたとしても、それをまた別の角度から他の人が書いて、「痛み」の世界を押し広げることにも、きっと意味はある。さっきの「境界線」をこえて出会えるか、という話と似ていますね。

傷にまつわるブルースを見せてくれ

齋藤 当事者しか語ってはいけないって意見は暴力的ですよね。マイ皮マジの典型的な例だ。ホームページの文面の話にもつながるのですが、「マイノリティ」「障害者」と言ってしまうと、そこで当事者有利の差別が始まってしまっている。それは違うと思っていた。みんなキズはあるはずだし、その傷からの痛みを拡大していけば、必ずどこかでほんのすこしは触れ合う部分もあると思います。

だからといって傷の舐め合いをするような関係がいい、というわけでもなく……。セラピーをするわけでもないし……。うーん。その傷にまつわるブルースを見せてくれ、という受け止め方があってもいいんじゃないかなあと。ブルースを歌える人と、そうじゃない人はやっぱりいますね。歌える人っていうのは、覚悟がある人。今、ぼくは歌える人にこそ会いたいと思う。念のためにいっておくけれど、音楽じゃないですよ。声でもないです。言葉でもない。佇まいとして、ブルースを歌っている人。そういう人って、やっぱり、かっこいい。

そういう思いもあってホームページも「みんな何かしらの断片でしかない」という文面になりました。

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荒井 「傷にまつわるブルース」かあ……。

いま、お話伺っていて思ったんですけど、「傷ついていることにさえ気づかない傷」っていうのもあるんです。ものすごく深い傷って、「痛い」とさえ感じられなかったり、「痛いと感じさせない力」が加わっていたりするんです。いじめとか差別とか虐待とか、自尊心の根幹に食い入るような傷って、そういったことがあります。

それと「傷ついた自分」を認めたくない、ということもあります。「傷つく」というのは「弱さ」の表れで、「弱い」ことは「いけないこと」だと思い込んでしまう。でも、人って「弱い」から傷つくんじゃなくて、「傷つけられた」から傷つくんです。

難しいのは、第三者の立場から「あなた自分じゃ気づいてないかもしれないけど、本当は傷ついてますよ!」って言うのが、どこまでできるのかという点です。時には言葉をつくして「傷」に気付かせることも必要なのかもしれない。でもやっぱり、最終的には本人が「自分は傷ついている」と受けとめることが大切なんだと思います。

齋藤さんが言う「ブルース」って、自分が傷ついていることを自覚していて、その傷を抱えながら生きている人の存在感っていう感じですかね。それは決して傷を見せびらかすのではなく、自分の一部として引き受けている、といったイメージかな。

「傷ついていることにさえ気づかない傷」って、もしかしたら、そういった「ブルース」に触れることで、自然なかたちで気づくことができるのかもしれないですね。医療とか福祉とか介護の現場を見ていると、どんなに技術が高度化しても、どんなにマニュアルやプログラムが合理化されても、「人には人の体温でしか温められないものがある」って思うことがあるんです。同じように、「他人の傷に触れることで、はじめて気づける自分の傷」っていうのもあるのかもしれません。

自分の傷を見つめることや、傷ついた自分を認めることって、それなりに勇気が必要なんだと思うんです。でも、そんな「ブルース」に触れることで勇気づけられるのかもしれません。

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「ただそこにいるだけ」

荒井 最後に齋藤さんにリクエスト。ワタリウムでの対談の時、齋藤さんは『生きていく絵』のタイトルが「ダサいところが良い」と言ってくれて、それがとても嬉しかったんです(笑)。手短でいいので感想を聞かせてください。

齋藤 ドキュメンタリーでもアート論でもなくて……出されたものを「その人が生きのびる術」として紹介してくれているというのが読んでいて伝わってくるので、こちらまでなんだか嬉しくなってきます。

言葉にしてくれた人たちはもっと嬉しいんじゃないかなあと思う。一般的には障害者の作品を、社会の抑圧に押しつぶされた正常の産物として作品を見る。だから「可哀想」とか「よくやっている」という感想が出るんだと思う。

でも「生きていく絵」の文章は、押し寄せる社会の抑圧に対してバランスをとるための、正常な狂気の産物として作品を見てくれていることがわかる。それが嬉しい。また、これは表現することの根源に横たわっていることだな、と気付かされて、つい、自分がもっている傷と照らしあわせてしまう。そうして、やさしく侵食される。これが、嬉しいなと思う。

荒井 「やさしく浸食」かぁ……嬉しいです。そのうち齋藤さんについても書かせてほしいです。いいですか?

齋藤 もっと写真が出たら!

荒井 あはは(笑)。じゃあ最後に、齋藤さんの写真の「いいところ」を教えてください。

齋藤 ただそこにいるだけ。

荒井 なんか、齋藤さんらしいです(笑)。

(※最後に、お互いのことを撮っていただきました。)

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宝箱
著者/訳者:齋藤 陽道
出版社:ぴあ( 2014-01-08 )
定価:¥ 3,240
Amazon価格:¥ 3,240
単行本 ( 199 ページ )
ISBN-10 : 4835618661
ISBN-13 : 9784835618661

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感動
著者/訳者:齋藤 陽道
出版社:赤々舎( 2011-11-04 )
定価:¥ 3,240
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単行本(ソフトカバー) ( 140 ページ )
ISBN-10 : 490354575X
ISBN-13 : 9784903545752

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生きていく絵――アートが人を〈癒す〉とき
著者/訳者:荒井裕樹
出版社:亜紀書房( 2013-09-24 )
定価:¥ 2,376
Amazon価格:¥ 2,376
単行本 ( 290 ページ )
ISBN-10 : 475051330X
ISBN-13 : 9784750513300

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荒井裕樹(あらい・ゆうき)
日本近現代文学 / 障害者文化論

2009年、東京大学大学院人文社会系研究科修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員、東京大学大学院人文社会系研究科特任研究員を経て、現在は二松学舎大学文学部特別任用専任講師。東京精神科病院協会「心のアート展」実行委員会特別委員。専門は障害者文化論。著書『障害と文学』(現代書館)、『隔離の文学』(書肆アルス)、『生きていく絵』(亜紀書房)。

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齋藤陽道(さいとう・はるみち)
写真家

1983年、東京都生まれ。写真家。石神井ろう学校卒業。第三十三回キヤノン写真新世紀・優秀賞受賞。平成26年日本写真協会賞・新人賞受賞。著書「感動」(赤々舎)、「宝箱」(ぴあ)、岩崎航詩集「点滴ポール」(ナナロク社)

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