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その傷のブルースを見せてくれ――写真家・齋藤陽道のまなざし - 荒井裕樹×齋藤陽道

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今年3月にワタリウム美術館での3カ月半の写真展を終えた写真家・齋藤陽道さんは、あるときから自身の被写体募集ページにある「障害」や「マイノリティ」といった言葉に取り消し線を引いている――その真意とはいったい? 「マイノリティ-マジョリティ」ではない、「その人の傷にまつわるブルース」を見たいと語る齋藤さんのまなざしについて、「心の病」を抱えたひとびとの自己表現について思索した『生きていく絵』の著者・荒井裕樹さんと語り合っていただきました。今回は、荒井さんが手話を使えないため、齋藤さんには筆談で対談に応じてもらいました。(構成/金子昂)

「同じであること」の安心感と息苦しさ

荒井 ワタリウム美術館での個展(注:『宝箱――齋藤陽道写真展』2013年11月30日~2014年3月16日)、お疲れ様でした。大好評でしたね。それから日本写真協会賞新人賞もおめでとうございます。あちこちで「注目の若手写真家」として紹介されていますね。個展の後、仕事や生活で何か変化はありましたか?

齋藤 3カ月半……長かったです。ぼく自身や仕事に変化はないですね。ただそれまでやってきていたことが深まっていったなと思います。

荒井 30歳でワタリウム美術館で個展って、大抜擢だと思いますよ。プレッシャーはありましたか?

齋藤 ねー! なんでできたんでしょうね。ぼくもいまだに不思議です。でも写真を見ていると、そうだね、とも思う。

プレッシャーはもちろんありましたが、「つぶれる~」というような重圧感まではなかったです。短い間でどれだけ写真の声を聴くことができるかが本当にたいへんでした。

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荒井 何度か会場にお邪魔しました。来場者は20~30歳代が圧倒的に多かったような気がします。ちなみに、齋藤さんの写真に敏感に反応してくれる人、「染みやすい人」っていうんですかね、それはどんな人たちですか?

齋藤 円の中には入っていない人…? 絵にすると……

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ここにいるって思っている人が多い気がします。

荒井 この隙間はどんな意味ですか? 孤独?

齋藤 孤独は孤独でそれは当たり前のことなのですが、もっとシンプルに「個」です。

荒井 それは「一人」ということ? 必ずしも「独り」じゃなくて?

齋藤 こないだ撮影した人で印象的なことがありました。その人はしばらく病院に入っていたらしくて、記憶がとぎれとぎれであまり覚えていることがないようです。家族の話では前とずいぶん変わったみたいで……。趣味や考え方、顔つきまで全部変わった、と。

その彼女が、「宝箱」に入っているこのまるい写真を何度もページが擦り切れるくらい見ているそうです。そして、なんでかわからないけど本のページ数を足したり引いたり、かけたりわったり、計算している。そのとき「みんなまるなんだよ。まるはみんな繋がっているの。ほんと、そうなのにな。数字のゼロもまるだよ」って言っていたそうです。

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でもその言葉は直接聞いたわけではなく、通訳のひとの言葉で、本当のニュアンスまでわからないので、あまり確かなこととして言い切れないのがはがゆいのですが……。この話を聞いたときに、意味するところはやっぱりわからないけれど、でもよくわかるとも思ったんです。個というまるが、そこかしこにいて。それぞれの色はまったく違うんだけど、「まる」という形はほんの少し似ている。ぼくの写真をいいなって思ってくれる人は、その「まる」を知っている人なんだなと、ふと思いました。すごくふわふわな話ですが……。

荒井 同じだけど違う、違うけど同じ……。その微妙な距離感を映し出すのが齋藤さんの写真の特徴かもしれないですね。人間関係のなかで「同じであることの安心感」と「同じでなきゃいけないことの息苦しさ」に敏感で、両方を抱えている人に深く染みたのかな。

ワタリウムでの個展の成功が、今後、齋藤さんにどう影響するかが楽しみです。というのは「齋藤陽道的な写真」というイメージがお客さんの中にもできつつある気がするんですね。齋藤さんは、そういうイメージって嫌ですか?

齋藤 どうしてですか?

荒井 たとえば作家って、文章を読んだだけで誰の作品かわかる人っていますよね。「〇〇的な文章」って個性だと思うけれど、そのような受け取られ方をするのが嫌で、文体や作風を変える人もいたりするんですよ。

齋藤 ぼくのスタイル……(笑)。あんまりよくわからないです。写真たちがまだ窮屈そうにしているので、スタイルが定まったとは思っていないです。もっといろんなかたちで見せられるはずです。でも、いつかどこかでガラッと変えて裏切るのも楽しそうって思うかな。

荒井 ああ、それは楽しそうですね(笑)。

「マイノリティの皮をかぶったマジョリティ」

荒井 ずっと聞きたかったことがあるんです。齋藤さんのホームページにある「被写体募集」の文章が書き換えられていますね? 以前は「身体から精神、性的マイノリティまで含め、障害をもつ撮影被写体を募集しています」と書かれてあって、その後、「身体から精神、性的マイノリティまで含め、障害をもつ」に取消し線が引かれています。「障害」とか「マイノリティ」を前面に出していたのに、それをやめている。なぜ書き換えたんですか?

齋藤 変えたのは……いつだっけな。(スマフォで確認する)2012年8月8日ですね。この質問、よくされるんですけど、本当に大したきっかけもなくてどう答えたらいいんだろう……。とりあえずこのときは、前の文章のままだと、差別の構造と変わらないなあと思っていたので、それはやめようと思ったんです。

荒井 「差別の構造と変わらない」というのは?

齋藤 うーんと、マイノリティの皮をかぶったマジョリティになってしまうことです。ぼく自身は自分のことをマイノリティとか障害者だとかそういうふうに自覚してはいないんですが……。でも、ちょっと周りに聴者が増えて、わーって言葉が一気に飛び交っているときに、ちょっとこう……、黙って待っているときに、「あ、さびしいな」とひんやり冷たい壁がすぐそばにあることを思い出しますね。といっても、こう言っておいてズルいけれど、その壁っていうのは別段そんな重苦しい感じでもないんです。真夏の日の、デパートの床みたいな。裸足でぺたっとするとひんやり冷たいでしょう、それって、違いすぎてうれしいということでもありますよね。そんな感じです。そういった違いやさびしさというのはいつも思っています。当たり前のものとして。

でもあの文章だといかにもマイノリティの特権をふりかざしてしまっている。ちょっと有無を言わせないオラオラ感がありますよね。マイノリティ・障害者という皮をかぶって、おまえらにはないだろう、と刃を突きつける。それはやっぱり、ねじふせたがりやさんの心象です。正義の名を借りた戦争の図式となにも変わらないよなあと。違いやさびしさを認めない言葉。自分の立場を正当化したいための理屈に過ぎない。そうではなく……。ぼくが見たい写真のかたちというのは、障害がどうこうというところではなく、もっとひろく人間に向かいたいと思っていたので……。その出発点には確かに障害という面がありましたけれども。

荒井 以前の文章も読めるように消してありますよね、それはなぜ?

齋藤 ぼくの言葉はちょっと……ちょっとじゃないか、キレイごとすぎると思っているので、せめて変化……ゆらぎを見せなくちゃって思って。

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