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- 2010年11月24日 17:23
一人一票実現訴訟の違憲判決について(1) - 伊藤真
1/2●17年ぶりに出た違憲判決
11月17日(水)のニュースや翌日の新聞に大きく出ていたので、ご存知の皆さんも多いと思います。私が今年5月から、伊藤真の 「けんぽう手習い塾・リターンズ」で連載していた「一人一票実現訴訟」において、東京高等裁判所は11月17日(水)午後に違憲判決を出しました。これは今年7月に実施された参議院選挙が一人一票を実現しておらず、無効であるとして、全国8高裁6支部に提起した訴訟の最初の判決です。
この違憲判決は、12月以降に順次なされる判決(2010年12月10日広島高裁、12月16日広島高裁 岡山支部、12月24日仙台高裁、2011年1月25日高松高裁、同日仙台高裁 秋田支部、1月26日広島高裁 松江支部、1月28日福岡高裁、同日大阪高裁、2月24日名古屋高裁、同日札幌高裁、2月28日名古屋高裁 金沢支部)にも大きな影響を与えると思っています。なぜなら、参議院選挙の無効訴訟について、違憲判決を下したのは1993年の大阪高裁以来17年ぶりであり、東京高裁では初めてでだからです。
この判決において、裁判所は「特に近年においては、年金問題、雇用問題、税制問題といった、国民が等しく影響を受けるべき問題が国会での課題となっており、代表民主制において国民の意見を等しく反映すべき必要性が増大している」、「十数年にわたる投票価値の不平等状態の積み重ねの結果であることを視野に入れると到底看過し得るようなものではなく、国会の裁量の限界を超えたものというべきであり、既に本件定数配分規定は違憲の瑕疵を帯びていたと判断せざるを得ない」、「選挙は、憲法の定める選挙人の平等原則に違反し、違法たるを免れない」としました。
まさに、その通りと皆さんも思いませんか。
おさらいになりますが、この訴訟は今年7月に実施された参議院選挙において、鳥取の人は選挙権を1人1票持っているのに、神奈川県の人は0.2票、東京都在住の人は0.23票分の価値の選挙権しか持っていないのはおかしい、ということを訴えたものです。例えば、選挙において「男性は1票だけど、女性は0.2票です」としたら、女性のみならず、男性でもそれは平等ではなく、理不尽ではないかと思うことでしょう。
つまり、性別において選挙権の価値の差別が許されないのなら、住所による差別も当然許されるべきではない、日本は民主主義国家なので、一人一票が実現されるべきだ、という当たり前のことを主張している訴訟なのです。
●同じ東京高裁で、異なる二つの判決が出た理由
次に、ニュースや新聞を見て、同じ日に下された同じ東京高裁の判決なのに、なぜ違憲と合憲と判決結果が異なるのか?ということに疑問をもたれた方もいると思います。実はこの日に、別の弁護士グループの提訴した事件や本人訴訟といって弁護士をつけないで提訴した人の事件についての判決もあったのです。それらは同じ参議院選挙の無効を争っていながら5倍の格差を合憲としたものでした。
まずそもそも東京高裁の中には、民事1部とか民事2部といった具合にいくつかの裁判体があるのです。それぞれの裁判体はすべて異なった裁判官3人から構成されています。つまり同じ東京高裁といっても、事件によって裁判する裁判官が違うのです。すると、それぞれの裁判官ごとに判断が違ってくるという現象が当然のように生じることになります。
もちろん、どの裁判においても、原告は参議院選挙が投票価値の平等を実現していないので、無効であると主張しているのですから、同じ結論の方が国民の皆さんには分かりやすいかもしれません。しかし、憲法上は何ら不思議なことではないのです。なぜなら、憲法において裁判官は一人ひとりが独立してその職務を行うことになっているからです(憲法76条3項)。
ではなぜ他の東京高裁の裁判体では合憲と判断し、私たちの事件を判断した第17民事部では違憲と判断したのでしょうか。
もちろん、裁判での主張の違いはあります。しかし一番の違いは、裁判長だと思います。2009年9月30日の最高裁判例をさらに後退させて、5倍の格差、つまり0.2票の価値しかないものを「著しい不平等とはいえない」と理解不能のあきれるような判断を堂々としてしまう裁判長か、第17民事部の南敏文裁判長のように「著しい不平等状態が長期間継続していて違憲」というきわめて常識的な判断をする裁判長かの違いによるところが大きいです。
●国民の手で「一人一票」を実現するとは?
この判決後、「違憲判決が出てよかったですね」という声をかけていただくことがあります。もちろん、違憲判決が出たことは嬉しいのですが、仮にこの先、最高裁で違憲判決が出たとしても、それではまだ不十分だと考えています。



