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なぜ「日の丸」を背負うと変わるのか - サッカー解説者・元日本代表 秋田豊

※本シリーズは、5月27日発売の「文藝春秋SPECIAL」との共同企画です。本誌掲載記事の一部を4週にわたって配信いたします。(BLOGOS編集部)
<テーマ:サッカーワールドカップ 僕らが「日の丸」に感動するのはなぜなんだろう>

試合前、サッカー日本代表チームのロッカールームに「おい、お前らみんな、ケツついてないぞ」の声が響いた


サッカー解説者・元日本代表 秋田豊

 サッカー日本代表として、国を背負って闘うその重さは、やった者しか分からないものだと思います。

 Jリーグが華々しく開幕した一九九三年に鹿島アントラーズ入りした私は、九五年に初めてA代表に呼ばれて以降、W杯アジア予選を初突破した九七年の"ジョホールバルの歓喜"、九八年のフランスW杯出場、二〇〇二年の日韓W杯ベスト十六など、様々な経験をしてきました。

 しかし最初から代表の重さを知っていたわけではありません。徐々にというか、段々と感じていったのです。

 鹿島のセンターバックを務め、九六年には初めてJリーグチャンピオンにもなりましたが、クラブと代表では反響の規模も違ってきます。高校や大学では選手の家族や学校にかかわる人々が応援してくれていたのが、Jリーグになると今度は何万人という地域のサポーターが後押ししてくれます。そしてこれが日本代表になると、何十万、いや何百万と、大きな広がりを見せることになります。日本代表でプレーするようになってからは、音信不通になっていた知人から突然連絡があったり、道を歩いているだけで人々の視線を感じたり、「代表って凄いんだな」って痛感させられることが多くありました。

 注目度が高くなるにつれて、代表の重さを感じていきました。そうなると当然、プレッシャーが、のし掛かってきます。Jリーガー一年目、約一万五千人収容のカシマスタジアムでプレーしていると「酸素が薄いな」と思っていました。二年目になってその感覚がなくなると「あっ、俺は緊張していたんだな」って後になってプレッシャーがあったことに気づいたものです。しかし代表になると国立競技場に集まる五万人のファン、サポーターに加えて、ゴールデンタイムのテレビ中継で凄い数のファンが見ていることになります。その巨大なプレッシャーを感じてしまえば、闘えなくなると思いました。

一回でも妥協すれば自信は失われてしまう

 プレッシャーに負けないよう、代表に入ってからは、今まで以上に練習して、自信を植え付けていくためのベースづくりに励みました。「きょうはちょっとぐらい手を抜いてもいいだろう」といった心の甘えには一切、耳を貸しませんでした。この一回を妥協してしまえば、大事な場面で自信を生み出せなくなるからです。

 試合前になると、不安と自信が交互に押し寄せてきます。「大勢のファンの前でミスをするんじゃないか」「バッシングを受けるんじゃないか」……こういった不安の後に「俺は妥協なくやってきた。絶対に成功する」という自信の声が届いてきます。練習を妥協なくやってきた自負があるので、ピッチに入るときは必ず自信が不安を凌駕します。これが私のメンタルコントロール法でした。プレッシャーをはねのけて日本の勝利に持っていくためには、まず己に打ち勝たなければなりませんでした。

 日本代表のなかで最も影響を受けたのが、"闘将"と呼ばれた柱谷哲二さんでした。九五年に代表入りを果たした当初、私は出場機会にあまり恵まれませんでした。しかし同じセンターバックの哲さんの背中から多くのことを学びました。

 今でも覚えているシーンがあります。代表チームの調子が良くないとき、当時の加茂周監督がミーティングの最後、キャプテンの哲さんに「何かあるか?」と聞くのです。そうしたら哲さんが、みんなを見渡して言うんです。「おい、お前らみんな、ケツついてないぞ」って。"ケツついてない"というのはスライディングタックルに行ってない、相手と激しくやり合えていないということです。この言葉を聞いて、全身に鳥肌が立ちました。国を背負って闘う意味を、哲さんは言葉や態度で教えてくれました。

 ヴェルディ川崎の黄金期を築いた哲さんはこんなことも言っていました。

「俺は自分のプレーがどうかなんてどうでもいい。要はヴェルディを勝たせられるかどうか、だ。俺がいくらいいプレーしようが、チームが勝てなかったら何の意味もない」

 私がこの言葉を聞いたのが二十五歳のとき。「まずは自分」という考え方を、ガラリと変えることになりました。

 鹿島でブラジル代表を背負ってきたジーコからも多くのことを得ました。ジーコは四十歳を超えていても、試合終了の笛が鳴るまで力いっぱいのプレーを続け、声を出し続けていました。勝利に対する執着心が凄まじく、ミーティングでは戦術的なことを指示した後に、顔から湯気が上がるぐらいまでチームメイトにハッパを掛けていました。ジーコさん、哲さんの教えが自分のなかでリンクして、チームを勝たせたい、リーダーになっていきたいと、己の目指すべき道がはっきりと見える思いがしていました。

 日本代表のレギュラーになって最も苦しかった時期が九七年のフランスW杯アジア最終予選です。

 アウェーのカザフスタン戦が一対一の引き分けに終わって加茂監督が更迭されたり、岡田武史監督になってからも国立のUAE戦では引き分けて罵声を浴びせられたり、試合後、選手バスに生卵をぶつけられたりもしました。

 でも、そういったこともバネにしようと思いました。予選突破をあきらめたことは一度もありませんでした。日本に起こっていることが、これから他の国に起こっても不思議ではないと考えていましたから。韓国にアウェーで勝って、続くホームのカザフスタン戦に五対一で勝利したとき、アジア第三代表決定戦(イラン戦)を前にして「俺たちはW杯に行ける」という確固たる自信が芽生えていました。

 ジョホールバルでは多くのサポーターが日本から応援に駆けつけてくれました。私はケガもあって決していいコンディションではなかった。でもイランのエース、アリ・ダエイを相手に、すべての力を出し切りました。同点に追いつかれようとも、絶対に勝てると信じていました。

 試合終了のホイッスルが鳴り、チーム、サポーターが一体となって喜べたあの瞬間を、忘れることができません。体はもうボロボロでしたが(笑)。苦しんで勝ち取った出場権だからこそ、その分、喜びも大きかった。プロセスは"ドーハの悲劇"から始まっていましたし、だからファン、サポーターも、あれほど熱狂してくれたのでしょう。

"サプライズ選出"で課せられた役割

 夢にまで見たW杯は、日本を背負って、世界で闘うという喜びを感じさせてくれた舞台になりました。

 グループリーグではアルゼンチンのガブリエル・バティストゥータ、クロアチアのダヴォール・スーケルら世界的なストライカーを擁する国々と対戦しました。ギリギリのところで体を当てたりして好きなようにプレーさせなかった自負はあるのですが、結果的にバティストゥータ、スーケルには一ゴール奪われて日本は敗れました。ここぞのチャンスをものにしてチームを勝ちに導くその集中力というのは、国を背負う気持ち、ストライカーとしての責任感を強く持っているからなんだと感じました。ただ、彼らからはいい意味での開き直りというものも伝わってきましたが。

 私自身、思っていた以上に、自分の力を出せた感触はありました。結果的には三連敗に終わってしまいましたが、自信を深めることができた大会でした。

 フランスから四年後、三十歳を超えていた私は○二年の日韓大会も代表メンバー入りを果たしました。このときはメディアに"サプライズ選出"と報じられました。

 フィリップ・トゥルシエ監督のもと、私の立場はレギュラーでも二番手でもありませんでした。初戦のベルギー戦で(レギュラーの)森岡隆三が負傷したときに、宮本恒靖が試合に出たときは正直、悔しい思いでいっぱいでした。

 でもあらためて自分の立ち位置を考え直したんです。日本が勝つために何をすべきか、チームのためにどう役に立つか、己に課せられた役割というものを。

 そう、自分のためじゃなく、日本のためー。哲さんの教えは、ずっと肝に銘じてきたことでもあります。チームのためにもっと働こうと、自分に言い聞かせました。

 ゴンさん(中山雅史)に相談しながら、二人でチームを盛り上げ、先頭に立って練習に打ち込んでいくことにしました。サッカーは十一人だけでやるものではありません。サブに控えるメンバーが心身ともにいい状態になっておくことが、チームの成功につながるカギだと思っていました。

 サブの選手は、クラブチームでは中心選手です。代表で一カ月間も試合に出られなくなるとモチベーションを維持するのが難しくなります。我々が先頭に立って、闘う姿勢を見せていくことで、チームを一つにしておきたかった。

 自分たちの思いが、チームメイトにも伝わったかなという手応えはありました。そしてこのチームは、フランスW杯で成し遂げられなかったグループリーグ突破を、成し遂げることができました。

今でも君が代を聞くと鳥肌が立つ

 あれから十二年。

 日本代表は六月、五大会連続出場となるブラジルW杯を迎えます。私は引退した今でもピッチに流れる君が代を聞けば、鳥肌が立ちます。日本を背負う気持ち、闘う気持ちが呼び起こされる感覚になります。

 日本の守護神である川島永嗣は名古屋グランパス時代の後輩ですが、彼の表情からは闘う姿勢が常に見てとれます。私が伝えたことを、彼なりに表現してくれていて、とても嬉しく、とても頼もしく思います。もちろん川島だけでなく、本田圭佑ら中心選手に感じることでもあります。

 昔、我々の時代はみんながみんなうまいというわけではありませんでした。でも一対一では絶対に負けないぞって、気持ちで闘うベースがありました。でも今はどちらかと言うとうまいレベルが上がっている反面、闘うベースが弱くなっていると感じるところもあります。

 ブラジルが何故、強いかと言えば、セレソンと呼ばれる代表チームのことを考えている選手が多いから。鹿島で一緒にプレーしたジョルジーニョ、レオナルドもそういった選手でした。国を背負って闘える選手の数が多ければ多いほど、チーム強度は増すというのが私の持論です。

 日本代表としての誇り、国を背負い、チームのために闘う意識……。ブラジルの地でこれらを力いっぱい表現してくれれば、自ずと結果もついてくるように思います。(取材・構成 二宮寿朗)

(同じテーマの記事を読み比べる:サッカーワールドカップはナショナリズムの決戦場 - スポーツライター 熊崎敬

プロフィール

秋田豊
あきた ゆたか 1970年愛知県生まれ。93年、鹿島アントラーズ入団。95年、日本代表に初選出。98年、フランスW杯出場。2002年、日韓W杯でも代表に選出。07年に現役引退。京都サンガ監督、F.C.町田ゼルビア監督などを歴任。現在はテレビや雑誌など多方面でサッカー解説者として活躍中。

「文藝春秋SPECIAL」編集長から


自分の頭で考える人の新しい雑誌をつくりました。
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