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中国はなぜ尖閣にこだわるのかー中華思想あるいは「上から目線」の研究 - 京都府立大学准教授 岡本隆司

※本シリーズは、5月27日発売の「文藝春秋SPECIAL」との共同企画です。本誌掲載記事の一部を4週にわたって配信いたします。(BLOGOS編集部)
<テーマ:中国の膨張を止められるか>

近くて遠い国、中国。尊大とも思える外交上の振る舞いの理由はかの国の長き歴史の中で培われた、ある思想にあった


京都府立大学准教授 岡本隆司

 「ナショナリズム」は扱いが難しい。政治や外交の局面でもそうだろうが、学問上の考察や討論においても、そうである。「ナショナリズム」とは何か、と聞かれて、どこの誰にでも納得できる説明を用意するのは、至難のわざだといわざるをえない。

 ひとつは、好むと好まざるとにかかわらず、国民国家という制度・体制が、現代の世界を覆っており、それに不可分、不可欠な構成要素がナショナリズムだからである。あらゆる国にその国なりのナショナリズムがあるといってよい。極論すれば、二百に近い国の数だけ、異なるナショナリズムが存在する、という現象を呈するので、その間には、ほとんど同じ、近似する事例もあれば、径庭ただならぬ大きな差異もありうる。

 そこで、分析を容易にするため、一般に通じる学問的な定義がなされる。とはいえ、こちらもディシプリンによって、あるいは論者によって、その論理や措辞、表現がまちまちで、説明の数だけ定義がある、といっても過言ではない。かくて多岐にわたる事象と理論が重なり合い、かえって扱いにくさを増幅している。

 そのためここでは、ごくわかりやすく、たとえば司馬遼太郎の表現を借りて、「土俗的」な「自己愛」という「感情」の延長に、一国規模のナショナリズムがあると考えてみたい。これなら、どんな国にも共通するだろう。

 ただし今日、それを「自己愛」とか「贔屓」とかいわずに、「ナショナリズム」という語彙で表現するのには、やはり理由がある。当然ながら、現在あらゆる国が採用するnation(国民国家)という西欧の発明物と不可分だからである。いかに「自己愛」や「贔屓」の延長ではあっても、そうした「土俗」の「感情」だけで、「ナショナリズム」を考え、語ることはできない。西欧的なnationの属性を離れるわけにはいかないのである。

 そうすると、まず前提として、nationの基本をおさえる必要がある。画定された領土、ついでそこに住む国民、そしてそれらに及ぼされる主権。いずれも一体・均質・一元的というのが原則、条件である。

 くわえて、外との関係がある。そもそも自己と他者との関係の持ち方というものは、ひとつにかぎられない。ただし上のような西欧的なnationの場合、自他ともにnationであれば、両者は対等であって、それをベースに国際関係・国際社会が存在しうる、というのが特徴である。もちろん、現代世界の通則でもある。

 「ナショナリズム」という以上は、要件の主権・領土・国民をそなえたnationどうし、対等の関係が前提にならねばならない。そのうえでの「自己愛」である。さもなくば、他者と区別される国家の規模でまとまり、かつ国際関係のなかで存立できる「自己愛」にならない。それなら、「土俗」がそうした属性・原則と矛盾する「自己愛」だった場合、果たしてどうなるか。

 以上は眼前にある国民国家・国際関係をごく平易に説いたにすぎない。なぜこんなわかりきったことをクドクドいわねばならないのか。そうした事情が必ずしも明確に自覚、もしくは実践されていない場所・世界が厳存するからである。中国大陸である。

「土俗」の中華思想

 中国の「土俗的」な「自己愛」は、一般に中華思想と呼ばれる。「フランスの中華思想」などと、譬喩に使われることの多い概念なので、こちらも扱いにくい。ひとまず歴史的な、本来の意味をおさえておきたい。

 この考え方は「礼」を基軸とする。礼儀というのは、お辞儀する、頭を下げる動作からもわかるとおり、上下関係をベースとする。そこに対等の関係は、ほとんど想定されない。自分はへりくだり、相手をもち上げる。ごく卑近な人間関係なら、われわれも日夜実践していて、すぐわかるところだが、それを集団・国どうしの関係でも同じく適用するのが、東アジアの伝統だった。nationどうしの対等を原則とする国際関係とは、あたかも正反対、対極に位置する。

 では、その上下はいかに決まるのか。より「仁」「徳」を有する、いいかえれば、儒教の教義をより身につけている、ということが第一の基準である。その地位は中国の天子・王朝が史上ほぼ独占していた。「中華」というのは、それをあらわす概念表現なのである。  そんな「中華」に礼を履行する具体的な手続・パフォーマンスとして、たとえば「朝貢」というものがあった。貢ぎ物をもって頭を下げにいくことであり、これを実践しておけば、上下関係が明確になって、礼にかなう。

 現代のわれわれでも、礼儀作法を知らないと、白い眼でみられるし、ひどければ、批判・指弾を受ける。以前の東アジアでも、礼にかなわず、上に立つ者に頭を下げない場合は、その非を鳴らし、制裁を下してもかまわないことになっていた。これを「問罪」といったり、もう少ししかつめらしく「尊王攘夷」といったりする。「夷」とは「中華」の対立概念、野蛮人の謂だが、礼を知らない、無礼だということで打ち払ってよいわけである。

「中華」あるいは「朝貢」といって難しければ、ごくひらたく「上から目線」と解すればよい。ただ、それを思いあがった傲慢とみては、やや違う。この「上から目線」は、朱子学的なイデオロギーの基準からすれば、説得力ある態度である。その教義・基準は長く数えれば二千年、短く数えても六百年ものあいだ、思想として信ぜられ、秩序として働いてきた。したがって、それに応じた態度・行動、つまり「上から目線」も、歴史的な属性をなしている。DNA的というべきか、それこそお国柄なのであって、そうしたいきさつを理解しておかねばならない。

 もっとも、中国大陸も現在、国民国家の体制を採用している。nation、国際関係の観念が中国大陸に入ってきたのは一九世紀の後半、中華思想やそれにもとづく秩序を放棄してnationになりはじめたのは、さらにそのあと、二〇世紀に入ってから。まだ百年あまりしか経ていない。いかにも板についていないのである。

歴史的な展望

 「ナショナリズム」は、中国語で「愛国主義」「民族主義」とかいう。いずれもオリジナルの漢語・漢文にあったことばではない。二〇世紀に入るころにできた語彙であって、ようやく中国がnationを作りはじめたのと揆を一にしている。

 それまでの中国は、清朝の統治のもとにあった。それが及んだ範囲は、いまの中華人民共和国の「領土」にほぼひとしい。つまり歴史的に順を追ってみると、清朝の統治範囲がほぼそのまま、中国の「領土」に転化しているわけである。

 しかし清朝の統治は、決して一元的な、一体化したnationのそれではなかった。種族・習俗によって異なる支配をおこない、それぞれ相互の関わりもごく希薄であった。中華王朝の皇帝制・官僚制の漢人、ダライ・ラマによる祭政一致のチベットはその典型であって、まったく別個別種で無関係、たまたま同一の君主を戴いているので、同じ清朝だった、というにすぎない。

 ここにnationの観念が入ってきた。しかもまず最も人口が多く、生産力の高い漢人がそれを摂取し、既存の清朝と重ね合わせて、nationの領土・国民・主権を構想する。つまり、清朝の統治範囲全体をnationの主権が及ぶ領土であり、そこにすむ他の種族をも同じ国民であるとみなして均質化、一元化を強いたのである。「中華民族」の「多元一体」や「復興」とは、そういう意味にほかならない。それに反してモンゴルが一つのnation、チベットが一つのnationという考え方もできるし、いまも厳存する。けれども、比較して後発微弱で圧倒されてしまい、なお実現してはいない。

 こうなったのは、ひとつには外から圧迫をうけ、内から分立してバラバラになってしまいかねない、という恐怖感が根柢にある。二〇世紀のはじめ、各地は列強の勢力範囲に分けられ、以後も英・露の影響でモンゴル・チベットは独立しかけ、「満洲」は日本の手で分離してしまった。中国本土も軍閥乱立のありさまだった。中華人民共和国以降も、その経験がトラウマとなって、為政者の脳裏にこびりついて離れない。いま現実に、台湾という存在もある。かれらがつねに居丈高なのは、恐怖感の裏返し、怖さのあまり、思わず声を荒らげてしまうのである。

 いまひとつは、中華思想のイデオロギーである。いまや儒教の教義・規範は通用しないけれども、身についた「上から目線」の行動様式からは、容易に脱却できない。むしろ主権の確立・領土の画定・国民の形成は、それをテコにすすめられた。たとえば、モンゴル・チベットは自分たちより下位に属するので、上位の漢人の「領土」に編入して同化すべきだ、といった論理になる。ほかも同断、かつて中国に従属したことがあれば、「領土主権」を有す、という言い分であり、「尖閣」ももちろん例外ではない。  それが反撥をまねき、中国のいわゆる民族問題を醸成しているのは周知のとおり、つまりnationがなお完成していないことのあらわれである。nationのないところに、「ナショナリズム」は存在しえない。「自己愛」のみが先にたつ。「愛国無罪」のスローガンなど、その典型である。モンゴル人やチベット人、あるいは朝鮮人・日本人に対する漢人の態度が、往々にして独善的で、中華思想にみまがうのも故なきことではない。

日本人にとって

 「反日」あるいは「尖閣」とは、こうした中国のナショナリズムになりきらない「自己愛」の、日本への発現形態である。後者はnationの要件たる「領土」にかかわるので、いよいよ譲れない問題になる。

 頭ごなしに自らが正しく、反論・議論を受け付けようとしない姿勢は、われわれからみれば、異形のナショナリズムともいえよう。しかしそう断じてしまうと、ややお国柄をわきまえない議論になりかねない。「土俗的」な中華思想の「上から目線」と考えたほうが、むしろ説得的である。そしてそれが、nationを作ろうとする営為に由来することも忘れてはならない。

 しかしそれが異形と映るのにも理由がある。中国とは隣り合い、文字も顔も同じだから、自分とよく似ている。それが日本人のごく一般的な感覚だとすれば、およそ錯覚というほかない。距離が近くとも、言語はまったく異なるし、顔かたちが同じでも、考え方は全然ちがう。交流もごく希薄で、日本以上に中国と交わりの密な国や集団は、ほかにいくらでもある。そこに思い至らないので、いよいよ奇異にみえてしまう。

 日本人はそもそも、中華思想に乏しい。それを旺盛にもちうるには、物質的にあまりにも後進国であったし、精神的には儒教イデオロギーを身につけることもなかった。江戸時代にようやく摂取しかけたものの、やがてアレルギーをおこして、西洋文明に乗り換えた、というのが歴史的プロセスである。

 しかもnation形成の艱苦を味わった経験に乏しい。これは大陸から離れた、西欧のnationとほぼ同じ規模の島国という地勢によるところが大きく、およそ偶然の産物である。一つにまとまりやすかった条件があり、いったんまとまってしまうと、一元的な権力と均質な民衆をもちえた。すでに江戸時代から「日本人」という観念は存在しており、西欧のnationの観念も、いわばすんなり受け入れることができた。もちろんそれに見あう物質・制度・精神を作りあげる苦闘はあり、それを日本の近代化とよぶけれども、それはおよそ大陸とは異なる道を歩んでいる。日本にとってnationは、ほぼ所与のものであって、そうであればこそ、中国の「愛国主義」が理解しがたい。

 その裏返しとして、たとえば「国民国家論」がある。これなどはごく日本的な命題、日本人的な思想風景だといってよい。国民国家なるものに思い切って批判的になれるのも、その前提として外来のnationが、それなりに板についている、という事情がある。日本がバラバラになるはずはない、という無意識の安心感が根柢になくては、およそこんな言説が力をもつことはゆるされまい。

 それもnationがほとんど所与、あたりまえのものだからである。その希少性が見えていないし、nation形成途上のありようもわかっていない。他方、容易にnationを形成できないほかの国々は、そんな日本に畏怖を抱き、羨望嫉視せざるをえないわけである。

 「汝自身を知れ」とは哲学的な、精神的な命題にとどまらない。国際関係においてもしかり、自国を知ってこそ、外国を知ることができる。それは当然、けれどもそれ以上に、他者を知らなくては、自己が何たるかもわからない。こちたき「ナショナリズム」論議や「国民国家論」もけっこうだが、しかし日本人が自身を知るには、海の向こうの大陸をまず知らねばなるまい。それは日中対立が深まった今、もはや観念論議ですまない、現実に切迫した課題なのである。

(同じテーマの記事を読み比べる:中国の著名「反日活動家」童増インタビュー - 時事通信社北京特派員 城山英巳

プロフィール

岡本隆司
おかもと たかし 1965年京都府生まれ。2000年、『近代中国と海関』で大平正芳記念賞を受賞。05年、『属国と自主のあいだ』でサントリー学芸賞を受賞。著書に『世界のなかの日清韓関係史』『中国「反日」の源流』(いずれも講談社選書メチエ)、『李鴻章』(岩波新書)、『近代中国史』(ちくま新書)などがある。

「文藝春秋SPECIAL」編集長から


自分の頭で考える人の新しい雑誌をつくりました。
世界はいま、大きく変わりつつあります。イデオロギーの砦の中にいれば、深く考えなくても暮らせる時代は終わりました。われわれは目の前の課題をいちいち議論し、解決していかなくてはならない、実に"面倒な"時代を生きているのです。
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簡単な正解の代わりに、簡単に読める工夫をしました。忙しい現代人の生活スタイルにあわせ、一本の論考を四ページから六ページにしてあります。ちょっとした移動時間でもまるまる一本読めてしまう分量です。さらに深く知ることができるように関連書籍も示しました。
みなさんが自分自身の正解へたどちるくための思考の補助線になればと願っています。



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