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- 2014年06月04日 07:17
日清戦争・百二十年目の真実〔2〕 - 戸高一成(呉市海事歴史科学館館長)×石 平(拓殖大学客員教授)
〔1〕はこちらから→日清戦争・百二十年目の真実〔1〕
戸高:まるっきりの作り話ではないでしょう。軍艦は外国に自国の力を示すための大事なツールでもあり、人の目に触れるような場所はつねにきれいにしておく必要がある。大砲に洗濯物が干してあるのを見て、「清国海軍は士気が足りない」と東郷は判断したのです。
石:やはり、そんなことがあったのですね。中国の知識人は日清戦争でなぜ負けたのか、100年以上議論してきました。そして出た結論の一つが「清国王朝も北洋水師も腐敗しきっていた」というものです。たしかに当時の清国は、大金をつぎ込んで西洋から一流の武器を買っていた。しかし、それは外国との戦争に勝つためではなかった。政府から調達費をもらっても、弾薬を買わずに懐に入れた不届き者がいたことがわかっています。最初から日本と戦う態勢になっていなかった。おそらく東郷は、それを直感的に見抜いたのでしょう。
戸高:清国海軍は強大だったので、軍艦を並べて威圧すれば、日本は引くと考えたのかもしれません。一方、自国が弱小であるという認識をはっきり抱いていた日本は、近代的な陸海軍の整備に必死になった。ある意味でプライドを捨てて、西欧文明の吸収に励んだのです。
石:清国とは危機感が違ったのですね。いまの話を中国の知識人に教えたら、彼らも少しは反省するかもしれない。「自国の文明こそ最高」と思う中国人の習性は、いまも抜けていないのですから。
清国では1898年に「変法運動」といわれる政治運動が起こります。千年にわたる中国の政治体制を根本から変えようとする運動で、代表的なものが科挙制度の廃止でした。伝統的な官僚制度の否定につながる改革で、官僚たちは自分がクビにならないかとビクビクした(笑)。この運動の先頭に立ったのが康有為という政治家です。彼が歴史の表舞台に登場するのは、じつに日清戦争の直後から。下関で結ばれた講和条約の内容が伝わったとき、ちょうど北京では科挙試験をやっていました。
戸高:中国各地から何千人ものエリートが北京に集まっていた。
石:はい。康有為もその一人で、下関条約の内容を知ると、屈辱だとして憤激した。そして「公車上書」という有名な事件が起きます。康有為を中心とする未来のエリートたちは、当時の皇帝であった光緒帝に対して日清講和の拒否と、政治体制を近代化するための改革案を上奏したのです。その意味では、中国近代化の発端をつくったのは日本だったといえます。
戸高:日清戦争後、清国から留学生が日本にたくさんやって来ましたね。これはある意味で意外というか、不思議な現象だったと思います。
石:じつは、清国から日本にいちばん留学生が来た時期は、日清戦争後に変法運動が起きてからで、すでに清国の滅亡(1912年)の足音が近づいていたときでした。もはや清国の財政は逼迫し、ヨーロッパに大量に人材を留学させるのは無理になっていた。
戸高:それなら日本のほうが近いし、安い(笑)。
石:ええ(笑)。加えて当時の日本には、世界最先端の知識がすべて集まっていました。明治維新以来、日本人は西洋から大量の文献を持ち帰って、日本語に翻訳していましたからね。
戸高:日本に行けば、いちおう揃っていると。
石:中国人にとって日本語を勉強するのは、それほど難しくありません。同じ漢字を使っていますからね。実際に当時の中国人は、日本語を通じて西洋の概念を学んだのです。たとえば、現在中国語で使用している「政治」という言葉は、もとは日本人がつくった言葉です。あるいは「経済」「社会」「哲学」などもそう。じつは「共産党」も日本人がつくった言葉です(笑)。
戸高:ヨーロッパの文化や概念を日本語に直す際、日本人は大いに苦労しましたが、いまみてもオリジナルの思想とうまくフィットさせている例が多いですね。中国人がそれを取り入れたのは、効率的だったといえるかもしれません。戦争において重要なのは講和条約後、両国の交流をいかに進めるかである――いまの話を聞いていても、つくづくそう感じます。
石:日清戦争後、しばらくして清王朝は潰れてしまい、新しく中華民国ができましたが、誕生に際しては日本の力が大きかった。ご存じのとおり、孫文を支援したのは日本人です。その後、両国は新しい連携の時代に入る可能性もあったにもかかわらず、実際はそうならなかった。ボタンの掛け違いはどこにあったのでしょうか。
戸高:それはほんとうに難しい問題です。日本側のまずさを指摘すれば、明治維新以来の謙虚さを失ったことに原因があったのではないか。日清戦争に続き、10年後の日露戦争にも勝ったことで、驕りの意識が生まれてしまった。中国人に対しても、どこか上からみるような目線があったのではないでしょうか。
石:ただし、日清戦争に勝たなければ、日露戦争にも勝てなかったわけですよね? だとすれば、やはり日清戦争は日本の独立を守った戦いだといえる。
戸高:それはそうです。日清戦争の勝利というステップがなければ、10年後の日露戦争の勝利もなかったでしょう。即物的な話をすれば、清国からもらった莫大な賠償金によって、日本は国家のインフラなり、軍備なりを整備することができた。
もう一つ、重要な点を指摘すれば、日清戦争のときの現場指揮官、あるいは中堅指揮官を務めた人間たちが日露戦争を指導したことです。日清戦争でひととおり国家戦争というものを経験したのち、日本は日露戦争に臨むことができた。この経験は大きかったと思います。
石:逆にいえば、幕末維新以来の生き残りたちにとって、日露戦争が最後の舞台だったわけですね。
戸高:日露戦争時は上の司令官クラスに就いていて、現場に「しっかりやれよ」という立場でした(笑)。
石:なるほど。日本は人材の面でも、日露戦争で一つの時代が終わったわけですね。
戸高:ほんとうにそのとおり。まさに奇跡的な幸運で勝てたとみるべきです。
石:いろいろな要素が重なった。
戸高:ですから、「ほんとうは危なかった」という事実を教訓として、日清、日露後の後世にきちんと伝えるべきだったのです。とくに日露戦争後の軍人は、成功体験から「俺は強い。誰とやっても負けない」という気持ちになってしまった。
石:そのままアメリカとの戦争に突き進んでしまったわけですね。
戸高:国も人間も、歴史に対して謙虚でなければ、次代の道を誤ると考えるべきです。
石:それはいまの中国にとっても同じことです。一部のエリートたちは、日清戦争の屈辱をいまこそ晴らさなければいけない、という気持ちになっている。海軍力を増強して、日本を叩くべし、と。しかし、あの当時に中国(清国)が日本に負けたのは、歴史の必然であって、いまこそ仇をとるなどという低次元な発想で国家を運営すべきでありません。
戸高:そもそも、大陸国が海軍をもってうまくいった例はありません。
石:ロシアがそうですね。日露戦争時、日本海海戦で日本の連合艦隊相手に文字どおり壊滅させられた。
戸高:海洋国として大海軍をきちんと運用できたのは、イギリス、アメリカ、日本。世界広しといえども、この3カ国しかありません。ドイツやフランス、イタリアは本質的に大陸国であり、海軍をうまく運用できなかった。逆にいえば、本来、海洋国である日本が日露戦争後、大陸に出て行ったのが失敗の始まりでした。
石:まったく同感です。明治日本の興隆をもたらしたのは「脱亜入欧」の文明思考と戦略思想でしたが、日本人はこのような賢明な国策をあっさりと捨てて、正反対のアジア主義という幻想に飛びついてしまった。そして中国大陸への関与と進出を一直線に進めたことが、近代日本の破局を招いた最大の原因でしょう。
翻って、現在の中国は海軍力の強化に努めていますが、どうしてもシーレーン(海上輸送路)を確保したいというのなら、関係国と協議して「法的秩序」をつくればいい。それが中国にとっていちばんコストが安く、関係国と共存共栄できる道です。
戸高:ヨーロッパから中国に至る沿岸諸国を全部、友好国にしてしまえばよい。
石:それがいちばん賢いやり方です。
戸高:いまや大国となった中国にはそれにふさわしい振る舞いがあるはずで、世界から尊敬される道を選んでほしいと思います。よく中国は日本に対して「歴史を正しく認識せよ」といいますが、私にいわせれば、「一緒に正しく勉強しましょう」ということです。
石:それが今回の対談のいちばんのキーワードになりますね。
石:まさにそうですね。私が日本史を勉強していちばん驚いたのは、16世紀半ばに種子島に鉄砲が伝来してから十数年も経たないうちに、西洋を凌ぐほどの量の鉄砲を国産化していたことです。
戸高:1万挺や2万挺は、あっという間につくってしまう。ペリー来航時にも同じようなことがありました。ペリーは先端技術のサンプルとして蒸気機関車の模型などをもってきたのですが、それから1年も経たないうちに同じモノを日本人はつくってしまった。日本では職人の地位が伝統的に高く、サムライが偉いといっても、刀工が気に入らなければ、刀をつくらないこともあった。職人は支配階級の武士といわば互角の立場で仕事ができたわけです。だからこそ、優秀な人材が職人の世界に集まった。一方、中国では能力のある子供は学者や政治家になろうとする。モノづくりをする職人の地位は伝統的にそれほど高くないように思うのですが。
石:ご指摘のとおりです。中国における立身出世の近道は、科挙にパスして官僚になること。全員が東大法学部をめざすような制度です(笑)。おそらく朝鮮でも、事情はまったく同じだったでしょう。
戸高:日本海軍が明治維新からわずか七十数年で、史上最大の戦艦「大和」「武蔵」を建造する能力をもつに至った原点は、日本が早くから軍艦の「国産化」をめざし、この分野に優秀な人材が集まった点にあるというべきでしょう。第二次大戦後、日本が世界一の造船・鉄鋼王国になった根源もここにあるのです。
石:日本の若い世代にぜひ学んでもらいたい点ですね。実際、大和ミュージアムを見学して思ったのは、けっこう若い人が来ているんですね。
戸高:おかげさまで、幅広い世代にご来館いただいています。開館してから9年になりますが、入場者数は日本の博物館のベストテンにつねに入っています。私が展示で気を付けているのは、史料に誤りがないこと。思想に偏りがなく、ニュートラルな立場であることです。正しい史料を提供して、自分なりの判断をしてもらう。この繰り返しが歴史を教える、あるいは学ぶということだと思います。
石:今後も、日本の若者たちに正しい歴史を伝えるようがんばってほしいと思います。
(『Voice』2014年6月号より)
■戸髙一成(とだか・かずしげ)呉市海事歴史科学館館長
1948年、宮崎県生まれ。多摩美術大学卒。財団法人史料調査会理事、厚生労働省所管「昭和館」図書情報部長などを歴任し、2005年より現職。海軍史研究家。著書に、『海戦からみた日清戦争』(角川書店)ほか多数。
■石 平(せき・へい)拓殖大学客員教授
1962年、中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。1988年来日、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。著書に、『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』(PHP新書)ほか多数。
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■『Voice』2014年6月号
【総力特集:しのびよる中国・台湾韓国の命運】 今月号の総力特集は、「しのびよる中国・台湾、韓国の運命」と題し、中国の脅威を論じた。武貞秀士氏は、中韓による「反日・歴史共闘路線」で中国が朝鮮半島を呑み込もうとしていると警鐘を鳴らす。一方、宮崎正弘氏は、台湾の学生運動の意義を説き、中国経済の悪化でサービス貿易協定の妙味は薄れたという。また、上念司氏と倉山満氏は、中国の地方都市で不動産の値崩れが始まっており、経済崩壊が目前で、日本は干渉しないことが最善の策だと進言する。李登輝元台湾総統の特別寄稿『日台の絆は永遠に』も掲載。ぜひご一読いただきたい。
第二特集は、日清戦争から120年、日露戦争から110年という節目の今年に、「甦る戦争の記憶」との企画を組んだ。また、硫黄島での日米合同の戦没者慰霊式に弊誌が招待され、取材を許された。遺骨収集の現状を含め、報告したい。 さらに、世界的に著名なフランスの経済学者ジャック・アタリ氏とベストセラー『帝国以後』の作者エマニュエル・トッド氏へのインタビューが実現。単なる「右」「左」の思想分類ではおさまらない両者のオピニオンに、世界情勢を読む鋭い視点を感じる。一読をお薦めしたいインタビューである。
清国とは危機感が違った
石:以前、何かの本で読んだのですが、清国の北洋水師が日本に軍事力を見せつけるため、日本に来航したことがありましたね。しかし東郷平八郎(日清戦争時の巡洋艦「浪速」艦長。日露戦争時は連合艦隊司令長官)は招待された「定遠」の大砲に洗濯物が干してあるのを見て、「清国軍、恐るるに足らず」とした。のちの東郷元帥の偉大さを強調するものとして、あまりに出来すぎの感もある逸話ですが、ほんとうの話なのですか。戸高:まるっきりの作り話ではないでしょう。軍艦は外国に自国の力を示すための大事なツールでもあり、人の目に触れるような場所はつねにきれいにしておく必要がある。大砲に洗濯物が干してあるのを見て、「清国海軍は士気が足りない」と東郷は判断したのです。
石:やはり、そんなことがあったのですね。中国の知識人は日清戦争でなぜ負けたのか、100年以上議論してきました。そして出た結論の一つが「清国王朝も北洋水師も腐敗しきっていた」というものです。たしかに当時の清国は、大金をつぎ込んで西洋から一流の武器を買っていた。しかし、それは外国との戦争に勝つためではなかった。政府から調達費をもらっても、弾薬を買わずに懐に入れた不届き者がいたことがわかっています。最初から日本と戦う態勢になっていなかった。おそらく東郷は、それを直感的に見抜いたのでしょう。
戸高:清国海軍は強大だったので、軍艦を並べて威圧すれば、日本は引くと考えたのかもしれません。一方、自国が弱小であるという認識をはっきり抱いていた日本は、近代的な陸海軍の整備に必死になった。ある意味でプライドを捨てて、西欧文明の吸収に励んだのです。
石:清国とは危機感が違ったのですね。いまの話を中国の知識人に教えたら、彼らも少しは反省するかもしれない。「自国の文明こそ最高」と思う中国人の習性は、いまも抜けていないのですから。
中国近代化の発端となる
石:中国のほんとうの近代化の動きは、アヘン戦争の敗北ではなく、日清戦争の敗北から始まった、私はそう考えています。西洋のみならず、「東夷」と侮っていた日本との戦争に負けたことで、中華帝国のプライドは完全にズタズタになってしまう。しかし同時に清国の知識人たちは、明治日本の力の源泉がどこにあるかがわかったのですね。要するに日本は、明治維新という「体制」の変革をやった。戸高館長のいう近代化に対する姿勢の差をようやく認識したわけです。清国では1898年に「変法運動」といわれる政治運動が起こります。千年にわたる中国の政治体制を根本から変えようとする運動で、代表的なものが科挙制度の廃止でした。伝統的な官僚制度の否定につながる改革で、官僚たちは自分がクビにならないかとビクビクした(笑)。この運動の先頭に立ったのが康有為という政治家です。彼が歴史の表舞台に登場するのは、じつに日清戦争の直後から。下関で結ばれた講和条約の内容が伝わったとき、ちょうど北京では科挙試験をやっていました。
戸高:中国各地から何千人ものエリートが北京に集まっていた。
石:はい。康有為もその一人で、下関条約の内容を知ると、屈辱だとして憤激した。そして「公車上書」という有名な事件が起きます。康有為を中心とする未来のエリートたちは、当時の皇帝であった光緒帝に対して日清講和の拒否と、政治体制を近代化するための改革案を上奏したのです。その意味では、中国近代化の発端をつくったのは日本だったといえます。
戸高:日清戦争後、清国から留学生が日本にたくさんやって来ましたね。これはある意味で意外というか、不思議な現象だったと思います。
石:じつは、清国から日本にいちばん留学生が来た時期は、日清戦争後に変法運動が起きてからで、すでに清国の滅亡(1912年)の足音が近づいていたときでした。もはや清国の財政は逼迫し、ヨーロッパに大量に人材を留学させるのは無理になっていた。
戸高:それなら日本のほうが近いし、安い(笑)。
石:ええ(笑)。加えて当時の日本には、世界最先端の知識がすべて集まっていました。明治維新以来、日本人は西洋から大量の文献を持ち帰って、日本語に翻訳していましたからね。
戸高:日本に行けば、いちおう揃っていると。
石:中国人にとって日本語を勉強するのは、それほど難しくありません。同じ漢字を使っていますからね。実際に当時の中国人は、日本語を通じて西洋の概念を学んだのです。たとえば、現在中国語で使用している「政治」という言葉は、もとは日本人がつくった言葉です。あるいは「経済」「社会」「哲学」などもそう。じつは「共産党」も日本人がつくった言葉です(笑)。
戸高:ヨーロッパの文化や概念を日本語に直す際、日本人は大いに苦労しましたが、いまみてもオリジナルの思想とうまくフィットさせている例が多いですね。中国人がそれを取り入れたのは、効率的だったといえるかもしれません。戦争において重要なのは講和条約後、両国の交流をいかに進めるかである――いまの話を聞いていても、つくづくそう感じます。
石:日清戦争後、しばらくして清王朝は潰れてしまい、新しく中華民国ができましたが、誕生に際しては日本の力が大きかった。ご存じのとおり、孫文を支援したのは日本人です。その後、両国は新しい連携の時代に入る可能性もあったにもかかわらず、実際はそうならなかった。ボタンの掛け違いはどこにあったのでしょうか。
戸高:それはほんとうに難しい問題です。日本側のまずさを指摘すれば、明治維新以来の謙虚さを失ったことに原因があったのではないか。日清戦争に続き、10年後の日露戦争にも勝ったことで、驕りの意識が生まれてしまった。中国人に対しても、どこか上からみるような目線があったのではないでしょうか。
石:ただし、日清戦争に勝たなければ、日露戦争にも勝てなかったわけですよね? だとすれば、やはり日清戦争は日本の独立を守った戦いだといえる。
戸高:それはそうです。日清戦争の勝利というステップがなければ、10年後の日露戦争の勝利もなかったでしょう。即物的な話をすれば、清国からもらった莫大な賠償金によって、日本は国家のインフラなり、軍備なりを整備することができた。
もう一つ、重要な点を指摘すれば、日清戦争のときの現場指揮官、あるいは中堅指揮官を務めた人間たちが日露戦争を指導したことです。日清戦争でひととおり国家戦争というものを経験したのち、日本は日露戦争に臨むことができた。この経験は大きかったと思います。
石:逆にいえば、幕末維新以来の生き残りたちにとって、日露戦争が最後の舞台だったわけですね。
戸高:日露戦争時は上の司令官クラスに就いていて、現場に「しっかりやれよ」という立場でした(笑)。
石:なるほど。日本は人材の面でも、日露戦争で一つの時代が終わったわけですね。
歴史に謙虚でなければ次代の道を誤る
石:戸高館長のご著書を読んでいると、日清戦争にしても、日露戦争にしても、その勝利は敗北と隣り合わせというか、実際には「運」いう要素も大きかったという印象を受けます。戸高:ほんとうにそのとおり。まさに奇跡的な幸運で勝てたとみるべきです。
石:いろいろな要素が重なった。
戸高:ですから、「ほんとうは危なかった」という事実を教訓として、日清、日露後の後世にきちんと伝えるべきだったのです。とくに日露戦争後の軍人は、成功体験から「俺は強い。誰とやっても負けない」という気持ちになってしまった。
石:そのままアメリカとの戦争に突き進んでしまったわけですね。
戸高:国も人間も、歴史に対して謙虚でなければ、次代の道を誤ると考えるべきです。
石:それはいまの中国にとっても同じことです。一部のエリートたちは、日清戦争の屈辱をいまこそ晴らさなければいけない、という気持ちになっている。海軍力を増強して、日本を叩くべし、と。しかし、あの当時に中国(清国)が日本に負けたのは、歴史の必然であって、いまこそ仇をとるなどという低次元な発想で国家を運営すべきでありません。
戸高:そもそも、大陸国が海軍をもってうまくいった例はありません。
石:ロシアがそうですね。日露戦争時、日本海海戦で日本の連合艦隊相手に文字どおり壊滅させられた。
戸高:海洋国として大海軍をきちんと運用できたのは、イギリス、アメリカ、日本。世界広しといえども、この3カ国しかありません。ドイツやフランス、イタリアは本質的に大陸国であり、海軍をうまく運用できなかった。逆にいえば、本来、海洋国である日本が日露戦争後、大陸に出て行ったのが失敗の始まりでした。
石:まったく同感です。明治日本の興隆をもたらしたのは「脱亜入欧」の文明思考と戦略思想でしたが、日本人はこのような賢明な国策をあっさりと捨てて、正反対のアジア主義という幻想に飛びついてしまった。そして中国大陸への関与と進出を一直線に進めたことが、近代日本の破局を招いた最大の原因でしょう。
翻って、現在の中国は海軍力の強化に努めていますが、どうしてもシーレーン(海上輸送路)を確保したいというのなら、関係国と協議して「法的秩序」をつくればいい。それが中国にとっていちばんコストが安く、関係国と共存共栄できる道です。
戸高:ヨーロッパから中国に至る沿岸諸国を全部、友好国にしてしまえばよい。
石:それがいちばん賢いやり方です。
戸高:いまや大国となった中国にはそれにふさわしい振る舞いがあるはずで、世界から尊敬される道を選んでほしいと思います。よく中国は日本に対して「歴史を正しく認識せよ」といいますが、私にいわせれば、「一緒に正しく勉強しましょう」ということです。
石:それが今回の対談のいちばんのキーワードになりますね。
世界一の造船・鉄鋼王国になった根源
戸高:最後に、日清戦争で日本側の勝因として触れておきたいのは、技術分野に優秀な人材が集まったことです。明治日本は早くから「軍艦の国産化をしたい」という願望が強かった。これには財政上の理由に加えて、もともと日本人はモノをみると、自分でつくりたくなる習性があるんですね。石:まさにそうですね。私が日本史を勉強していちばん驚いたのは、16世紀半ばに種子島に鉄砲が伝来してから十数年も経たないうちに、西洋を凌ぐほどの量の鉄砲を国産化していたことです。
戸高:1万挺や2万挺は、あっという間につくってしまう。ペリー来航時にも同じようなことがありました。ペリーは先端技術のサンプルとして蒸気機関車の模型などをもってきたのですが、それから1年も経たないうちに同じモノを日本人はつくってしまった。日本では職人の地位が伝統的に高く、サムライが偉いといっても、刀工が気に入らなければ、刀をつくらないこともあった。職人は支配階級の武士といわば互角の立場で仕事ができたわけです。だからこそ、優秀な人材が職人の世界に集まった。一方、中国では能力のある子供は学者や政治家になろうとする。モノづくりをする職人の地位は伝統的にそれほど高くないように思うのですが。
石:ご指摘のとおりです。中国における立身出世の近道は、科挙にパスして官僚になること。全員が東大法学部をめざすような制度です(笑)。おそらく朝鮮でも、事情はまったく同じだったでしょう。
戸高:日本海軍が明治維新からわずか七十数年で、史上最大の戦艦「大和」「武蔵」を建造する能力をもつに至った原点は、日本が早くから軍艦の「国産化」をめざし、この分野に優秀な人材が集まった点にあるというべきでしょう。第二次大戦後、日本が世界一の造船・鉄鋼王国になった根源もここにあるのです。
石:日本の若い世代にぜひ学んでもらいたい点ですね。実際、大和ミュージアムを見学して思ったのは、けっこう若い人が来ているんですね。
戸高:おかげさまで、幅広い世代にご来館いただいています。開館してから9年になりますが、入場者数は日本の博物館のベストテンにつねに入っています。私が展示で気を付けているのは、史料に誤りがないこと。思想に偏りがなく、ニュートラルな立場であることです。正しい史料を提供して、自分なりの判断をしてもらう。この繰り返しが歴史を教える、あるいは学ぶということだと思います。
石:今後も、日本の若者たちに正しい歴史を伝えるようがんばってほしいと思います。
(『Voice』2014年6月号より)
■戸髙一成(とだか・かずしげ)呉市海事歴史科学館館長
1948年、宮崎県生まれ。多摩美術大学卒。財団法人史料調査会理事、厚生労働省所管「昭和館」図書情報部長などを歴任し、2005年より現職。海軍史研究家。著書に、『海戦からみた日清戦争』(角川書店)ほか多数。
■石 平(せき・へい)拓殖大学客員教授
1962年、中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。1988年来日、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。著書に、『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』(PHP新書)ほか多数。
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■『Voice』2014年6月号
【総力特集:しのびよる中国・台湾韓国の命運】 今月号の総力特集は、「しのびよる中国・台湾、韓国の運命」と題し、中国の脅威を論じた。武貞秀士氏は、中韓による「反日・歴史共闘路線」で中国が朝鮮半島を呑み込もうとしていると警鐘を鳴らす。一方、宮崎正弘氏は、台湾の学生運動の意義を説き、中国経済の悪化でサービス貿易協定の妙味は薄れたという。また、上念司氏と倉山満氏は、中国の地方都市で不動産の値崩れが始まっており、経済崩壊が目前で、日本は干渉しないことが最善の策だと進言する。李登輝元台湾総統の特別寄稿『日台の絆は永遠に』も掲載。ぜひご一読いただきたい。
第二特集は、日清戦争から120年、日露戦争から110年という節目の今年に、「甦る戦争の記憶」との企画を組んだ。また、硫黄島での日米合同の戦没者慰霊式に弊誌が招待され、取材を許された。遺骨収集の現状を含め、報告したい。 さらに、世界的に著名なフランスの経済学者ジャック・アタリ氏とベストセラー『帝国以後』の作者エマニュエル・トッド氏へのインタビューが実現。単なる「右」「左」の思想分類ではおさまらない両者のオピニオンに、世界情勢を読む鋭い視点を感じる。一読をお薦めしたいインタビューである。
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