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日清戦争・百二十年目の真実〔1〕 - 戸髙一成(呉市海事歴史科学館館長)×石 平(拓殖大学客員教授)

明治維新後、西洋文明の吸収に努めた日本は「眠れる獅子」清国と戦い、勝利する。 近代化の多くを負ったのが海軍だった。120年前の歴史から何を学ぶか。

日本の防衛戦争だった

石:今年は1894年の日清開戦(中国では甲午戦争)から120周年。干支も同じ甲午に当たることから、中国のネット上では「日本をやっつけろ」「今度は負けるな」といった勇ましい発言が目立ちます。実際、日清戦争の敗北は、近代史上最大の屈辱として中国人民に記憶されており、国防部の楊宇軍報道官は「決して歴史の悲劇を繰り返すことは許さない」とコメントしました。中国の歴史学者たちのあいだでは「なぜ日本に負けたのか」ということが延々と研究されてきたのですが、呉市海事歴史科学館(通称・大和ミュージアム、広島県)館長の戸高さんは海軍史研究の第一人者。その理由について、とことん議論したいと思います。

戸高:わざわざ当館までお越しいただき、ありがとうございます。石さんの勇姿はテレビなどでよく拝見していますが、お会いするのは今回が初めてですね。私も中国で日清戦争がどう捉えられてきたのか、たいへん興味があります。

石:中国での“盛り上がり”と比べると、日本での日清戦争に関する関心はいまひとつですね。戦後の風潮のなかで、戦争の歴史について語ること自体が一種のタブーとされてきたことも、関係しているのかもしれません。しかし、明治日本が清国との戦争に踏み切ったのは、民族の存亡をかけてのことだったのでしょう。

戸高:当時の世界はまさに弱肉強食。弱いところをみせると、あっという間に植民地にされる時代でした。現代のように国際連合のような組織があって、世界のなかで外交ができる時代ではなかったのです。

石:自分の国は自分で守るしかない。かなり残酷な時代でした。

戸高:当時、アジアは欧米列強による切り分けがだいたい済んでいて、日本と一部の太平洋の島々が「最後の地」として残されていました。1886年、帆船で南洋を回った評論家・地理学者の志賀重昂が旅行記(『南洋時事』)を出すのですが、ヨーロッパの強国がアジアの国々の主権をどんどん奪っていく様子を書いています。そして次は日本が危ないと警告した。幸いなことに、日本は島国で地理的に独立を保つのに有利だった側面はありますが、目と鼻の先にある朝鮮半島が他国の勢力下に落ちる恐怖は大きかったでしょう。

石:日清戦争時、日本はすでにロシアをかなり警戒していたという説もありますね。

戸高:当時の朝鮮は清国に付いたり、ロシアに付いたり、ふらふらしていた。朝鮮がどちらに付いても、日本は不安だった。日清戦争で日本は「朝鮮の独立を守るため」という大義名分を掲げて戦いますが、すなわちそれは日本の防衛戦争だった。一種の予防戦争といえるもので、そういう現実のなかに日本人は生きていたわけです。

素直に西洋に学んだ日本海軍

石:日清戦争は豊島沖の海戦(1894年7月25日)から始まり、陸、海とも日本の連戦連勝。戦争は8カ月間という短期間のうちに日本勝利で終わり、翌95年4月、下関で講和条約が結ばれました。

戸高:なかでも、明治日本の実力を示すものとして諸外国に注目されたのが、黄海海戦(1894年9月17日)です。日本の連合艦隊は優勢な清国の北洋水師(艦隊)を撃破。日本は周辺海域の制海権を握り、やがて遼東半島・山東半島上陸が行なわれて旅順・威海衛が陥落し、勝利を決定的なものにした。日本の近代化の成功が国際社会、とくに欧米列強に認識されたのは、日清戦争における戦闘を通じてだといってよい。そして黄海海戦の勝利に象徴されるように、その大きな部分を海軍が負っていたのです。

石:清国も日本も、欧米列強の脅威というものに接し、軍艦の保有・整備、すなわち海軍力の増強に努めていた。それでも勝敗に差が出たのは、なぜでしょうか。

戸高:ひと言でいえば、近代化に対する両国の姿勢の差にあったと思います。1853年のペリー来航をきっかけとして、幕府は海防の重要性を強く認識。洋式軍艦を購入するとともに、諸藩に軍艦の建造を奨励するようになった。これが日本の海軍創設の出発点です。1863年の薩英戦争でイギリス艦隊と交戦した際には、海から来る艦隊はこちらも艦隊で防ぐしかないということを、攘夷の志士たちは身をもって学んだ。日本も洋式の海軍をつくるべきだ、そのためには開国しかないということを、素直に受け入れたのです。

石:ただ、同じ時期に清国も日本と同じような「近代的体験」をしていますね。アヘン戦争(1840~42年)やアロー戦争(1856~60年)で英仏に敗れ、清国は半植民地化の状態に陥る。これを機に始まったのがいわゆる「洋務運動」で、排外主義をやめて西洋の技術を導入しようとしました。

戸高:日本でいう「和魂洋才」のようなものですね。

石:そう。いわば「華魂洋才」です。日清戦争のころには、この洋務運動をもう30年間も続けていた。しかも、当時の清国は日本とは比較にならない大国ですから、「定遠」「鎮遠」のような巨艦をドイツから買い、軍備の面では日本を上回っていました。ところが日本といざ一戦を交えてみると、完敗してしまう。

戸高:清国はお金がありすぎて、軍艦購入の費用を西太后が頤和園(現在、北京市にある庭園公園)に流用してしまうなど、無駄遣いもありましたが、最新鋭の戦艦をすぐに買える国力があった。対する日本は財政が厳しく、一流の艦がなかなか手に入らない。清国の主力艦「定遠」「鎮遠」が排水量8000t級の巨艦であったのに対し、日本の主力艦「浪速」や「高千穂」は4000tでしかなかった。

もっとも、優れた軍艦があっても、それを使える人がいなければ無意味です。そこで明治の海軍は、人材の養成に非常に力を入れた。どんな方法だったかといえば、素直に西洋の知識に学ぶということです。日本の海軍の初期の教育は完全にイギリス式で、食事もすべて洋食。最初のうちはこんなもの食えるかと、支給されたパンを捨ててしまう水兵もいたらしい(笑)。しかし、とにかく一度は「先生」の言うとおりにしようと、ヨーロッパの海軍の伝統に学んだ。海軍の分野にとどまらず、明治日本には国家全体としてそうした姿勢があった。

石:つまり、そうした近代化に対する姿勢の差が清王朝と明治日本の明暗を分けたと。

戸高:清王朝には「いまさら西洋に頭を下げられるか」という意識があったのかもしれませんね。

石:清国からすれば、自分たちこそが文明の中心であり、アヘン戦争やアロー戦争で負けたのは、武器の差によるものだ。武器さえ西洋から買えば、あとは恐れるものは何もないと考えたのでしょう。教育から食事の仕方まで西洋に学んだ日本と比べれば、近代化に対する認識にはそうとうな差があったといえそうです。

戸高:黄海海戦では、日本側軍艦の被弾数が多くても30発程度であったのに比べ、清国側はほとんどの艦艇が100発以上、あるいは数十発の命中弾を受けたといわれます。たしかにハードウェアの部分では、清国海軍は日本海軍より進んでいる面があった。しかし、カタログスペックに現れない制度や組織、人員の質に関する欠陥が、実戦において明らかになったといえるでしょう。

ちなみに当時の日本海軍は、戦術もイギリスあたりから先生を呼んで勉強していました。ネルソン提督の時代のような、複雑な艦隊運動を要求する戦術を教わっていたわけです。ところが、いざ訓練でやってみると、難しくてできない(笑)。実際の戦場でそんな複雑な戦術で戦ったらたいへんだということで、日本の連合艦隊がとったのが「単縦陣」です。先頭の艦に後続艦が一本の棒のように連なって進む戦術で、先頭の艦が右に行けば右、左に行けば左と、単純な艦隊運動しか要求されない。それで黄海海戦に勝つことができた。

石:前に倣えと。じつに日本的な戦い方ですね(笑)。

戸高:現実的な戦い方がそれだったのです(笑)。

石:あるいは、日本の剣術にもありそうな、武士的な戦い方ともいえそうです。

戸高:そうですね。最後はとにかく踏み込んで戦うんだと。対する清国の北洋水師は、各艦が左右に展開する複雑な横陣を採用しました。しかし、各艦の速力に差があり、統一の艦隊行動を取ることができなかった。結果的に、シンプルな戦術を採用した日本の連合艦隊を利する要因となりました。

石:いまの対比は面白い話ですね。清国の北洋水師の将官は、科挙試験に合格したエリート。もとを辿れば学者で、簡単なものでも難しい言葉を駆使して作文にする術に長けた秀才たちだった。一方、日本の連合艦隊の将官たちは、江戸時代の武士教育を受けた人間たちで、死ぬべきときに死ねばいいという、ある意味でシンプルな哲学をもっていた。同じ西洋の技術を使っていても、日清戦争は日本の「武士」たちと、清国の「学者」たちの戦いだったということができますね。

戸高:そうですね。明治の海軍は「見敵必戦」の精神が見事なまでに徹底していました。武士上がりの将官や士官たちは戊辰戦争や西南戦争の生き残りでもあり、いわば戦い慣れしていたのです。

(『Voice』2014年6月号より/〔2〕につづく

■戸髙一成(とだか・かずしげ)呉市海事歴史科学館館長
1948年、宮崎県生まれ。多摩美術大学卒。財団法人史料調査会理事、厚生労働省所管「昭和館」図書情報部長などを歴任し、2005年より現職。海軍史研究家。著書に、『海戦からみた日清戦争』(角川書店)ほか多数。

■石 平(せき・へい)拓殖大学客員教授
1962年、中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。1988年来日、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。著書に、『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』(PHP新書)ほか多数。

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■『Voice』2014年6月号
【総力特集:しのびよる中国・台湾韓国の命運】 今月号の総力特集は、「しのびよる中国・台湾、韓国の運命」と題し、中国の脅威を論じた。武貞秀士氏は、中韓による「反日・歴史共闘路線」で中国が朝鮮半島を呑み込もうとしていると警鐘を鳴らす。一方、宮崎正弘氏は、台湾の学生運動の意義を説き、中国経済の悪化でサービス貿易協定の妙味は薄れたという。また、上念司氏と倉山満氏は、中国の地方都市で不動産の値崩れが始まっており、経済崩壊が目前で、日本は干渉しないことが最善の策だと進言する。李登輝元台湾総統の特別寄稿『日台の絆は永遠に』も掲載。ぜひご一読いただきたい。

第二特集は、日清戦争から120年、日露戦争から110年という節目の今年に、「甦る戦争の記憶」との企画を組んだ。また、硫黄島での日米合同の戦没者慰霊式に弊誌が招待され、取材を許された。遺骨収集の現状を含め、報告したい。 さらに、世界的に著名なフランスの経済学者ジャック・アタリ氏とベストセラー『帝国以後』の作者エマニュエル・トッド氏へのインタビューが実現。単なる「右」「左」の思想分類ではおさまらない両者のオピニオンに、世界情勢を読む鋭い視点を感じる。一読をお薦めしたいインタビューである。

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