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ケインズ復権とインフレ目標政策──「転換X」にのっとる政策その2 - 松尾匡(後編)

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ケインズ復権とインフレ目標政策──「転換X」にのっとる政策その2 - 松尾匡

予想によって複数均衡の一つに縛られる

かくして、現代的なケインズ理論は、人々のデフレ予想が一人歩きして人々を縛ってしまっている事態として、平成不況の日本経済を説明したのでした。流動性のわなにあるので、どれだけ物価が下がっても、それで余ったおカネは貸し出しにもまわらないし、モノやサービスを買うのにもまわらない。延々とおカネのまま貯め込まれ続け、モノやサービスが売れず、失業者もあふれた不均衡状態が、ひとつの「均衡」として続くことになるというわけです。

ところがこれらのモデルでは、別の均衡も発生します。人々がマイルドなインフレを予想していれば、実質利子率が低いので、各自その予想のもとで合理的に計算して、設備投資なり耐久消費財購入なり家を建てるなりの支出を旺盛にして、総需要が十分に起こって、完全雇用が実現する均衡です。

そこでは流動性のわななんて起こりません。おカネが余ったら、人々はそれを貯め込んだりせず、モノやサービスをもっと買うことに使うか、利子をかせぐために他所に貸すかします。でも結局、完全雇用ならば全体としての生産水準を増やすことはできませんから、支出が増えても供給は追いつかず、おカネが増えた分だけ物価が上がって需給が一致します。よって、一定の率でおカネを増やせば、その率でインフレが起こり、それがまた人々の予想になって、つじつまが合って均衡が持続することになります。

つまり、第5回でゲーム理論を使った制度均衡モデルの話をしたときと同じ構図になっているわけです。人々の共有する予想のいかんによって、それぞれ相異なる複数の均衡が存在し得るということです。第5回で使ったイラストで図解するとこんなふうになります。

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すなわち、一国の技術力だの企業構造だの人口動態だのが全然変わらなくても、一旦デフレ不況になればデフレ不況が続くし、一旦マイルドなインフレの好況になればそれが続くということです。個人個人の能力とか、勤勉か怠け者かとかいう性質も全然変わらなくても、一旦デフレ不況ならそれが続くし、一旦マイルドなインフレの好況ならそれが続くということです。

だから、デフレ不況のもとで、失業の憂き目にあった人、倒産してしまった業者、就職できずにフリーターやニートになった若者等々がいっぱいいましたけど、それはたまたま歴史的に置かれた状況がデフレ不況の均衡だったからそうなっただけで、たまたま歴史的に置かれた状況が完全雇用の方の均衡だったら、多くの人はそんな目にあわずに、まっとうな職で生き生きと働いていたかもしれないのです。

それゆえ、このデフレ不況の中で失業や不安定就業に陥ったことは、自己責任でも何でもないと言えます。むしろ無駄遣いして破産した人を責めるぐらいなら、節約ばかりしておカネを貯めていた人の方が、不況を招いた責任を問われてしかるべきという気にもなりますが、もちろん本当はそんなことはありません。給料が下がったり、明日をも知れぬ不安定な職にしかつけなかったり、将来リストラされるかもと思ったりしていたら、自分の身を守るためにできるだけ節約することはまったく合理的で正当な行動です。不況の被害者でありこそすれ、責任を問われる筋合いはありません(これを他人に押し付けていたならば、その影響力に応じて責任が問われると思いますが)。

これは個人の責任ではないのです。前回にもおさらいしました通り、詐欺や強盗が蔓延する均衡を避けて、詐欺も強盗も滅多に無い均衡を実現することが政府の責務だということは、どんな新自由主義者でも同意するはずです。つまり、「悪い均衡を避けて、良い均衡を実現するために、良い均衡とつじつまの合うように、人々の予想を確定する」ということが「転換X」にのっとった政府の役割です。今回のケースでも、デフレ不況均衡を避けて、完全雇用均衡を実現することは、(中央銀行を含む)政府の責任であると言えます。

「良い均衡」とは何かということは、他のケースについては議論の的かもしれませんが、この問題については、不況より好況がいいことは自明でしょう。資本側にとってもいいかもしれませんが、労働者側にとってもいい。ただ「ブラック企業」の経営者だけが、人手不足で困るかもしれませんけど。

第4回で見ましたように、1970年代のひどいインフレをもたらしたとして、フリードマンたちからケインズ政策が批判された論点は、政府が胸先三寸で場当たり的な政府支出拡大をしたことでした。このために人々のインフレ予想が安定せず、昂進していったことが駄目だったのだということでした。

この批判は「転換X」の課題から見て的を射ていたわけですが、ということは、不況になったら政府支出や金融緩和をすること自体が間違っているわけではないということです。要は、人々の予想を確定させる政策が必要ということです。このために、政府支出や金融緩和が手段として使えるならば、是非使うべきものです。「小さな政府」でないと駄目というのは誤解だったのです。

なお、くどいようですが誤解を避けるために補足しておきますが、この好況均衡は、必ずしもガンガン経済成長している均衡ではないということにご注意下さい。ゼロ成長ならゼロ成長なりに、マイルドなインフレで完全雇用が持続する好況均衡があり得るのです。デフレ均衡をゼロ成長時代には仕方がないものとみなすことは、多くの人の人生を狂わせてしばしば自殺にまで追い込んだことへの、政府や中央銀行の責任を免責するものだと言えます。

インフレ目標はクルーグマンが日本のために提唱

では、デフレ不況の均衡を脱し、好況の均衡を実現するために必要な「人々の予想を確定する政策」とは何でしょうか。

それが「インフレ目標政策」なのです。

インフレ目標政策とは、中央銀行が一定のインフレ率を目標として掲げて、その実現のために必要な手段をとる政策です。その目標値は、本来民主国家においては、最終的には選挙での信認のもとで政府が中央銀行との間の約束の形で設定するものです。そして首尾よく実現できているかどうか、中央銀行が政府に対して説明責任を負うのが一般的です。もちろん中央銀行に任せきりではなくて、政府自身もインフレ目標を実現するためにコミットすることで、一層効果的になります。

この政策は、ニュージーランドで始まって以来、1990年代を通じて広がり、その後も多くの国で採用されました。理論的には、後年スウェーデンの中央銀行の副総裁になるスベンソンさんが、中央銀行の最適政策をモデル分析したことで基礎づけられたとされています[*24]。

通常この枠組みは、インフレを上から押さえる目標として言われてきたのですが、90年代のデフレ不況に苦しむ日本を見て、クルーグマンさんがデフレ脱却のために下から上げる政策として提唱しました。クルーグマンさんは、ご存知の方も多いと思いますが、『嘘つき大統領のデタラメ経済』(早川書房)とか『格差はつくられた』(早川書房)などの著作で、アメリカの共和党・ブッシュ政権や財界の新自由主義政策を激しく攻撃してきたことで日本でも有名です。当然、アメリカでは左派に位置することになります。

クルーグマンさんは、この提案を現代的なケインズモデルの一種を使って行いました[*25]。モデルの中の登場人物は将来のことを正確に予見し、各自そのことも考えて一番マシになるように計算して行動します。その意味で新しい古典派の方法論を丸呑みしています。しかしそこに、名目金利がゼロより下がらないという当然の条件を入れるだけで、均衡実質利子率がマイナスのときには、おカネが使われずに余って、どれだけおカネを増やしても何の影響も出ないという、まさに「流動性のわな」の状態が表現できるのです。

このとき、このわなを脱するための手段として、「調整インフレ」の名前でクルーグマンさんが提唱したのが、例えば「4%のインフレを必ず実現するぞ」と中央銀行が約束して、それに至るまで延々と金融緩和を続ける政策でした。

これを受けて、日本でも同様の主張をする人たちが現われました。戦前の昭和恐慌のときに、同じような政策を唱えた石橋湛山が、これを「リフレーション政策」と称したことから、この人たちは「リフレ派」と呼ばれるようになりました。いま、日銀の副総裁になっている岩田規久男さんが、その代表格でした(ちなみに岩田さんは3.11後出した『震災復興』で原発批判をしたことで知られていますが、実はもう三十年前から堂々の反原発論文を書いています)。

構造改革派vsリフレ派の時代

この頃はおりしも小泉「構造改革」論議真っ盛り。新しい古典派の「我が世の春」でした。とくに、林文夫さんとプレスコットさんの書いた論文[*26]が構造改革派のバイブルみたいに扱われ、日本の長期停滞は供給側に原因がある、生産性上昇が停滞してしまっているのが原因だ、規制緩和して競争にさらして生産性の低いところをつぶしてしまえといった議論の大合唱になっていました。中には、本来つぶれるべき企業に銀行がおカネを貸して「ゾンビ企業」にしているのが悪いという議論も聞かれました。

こちらから言わせれば、社会的ニーズが本来ある事業なのに不況のせいで利益を出せないだけかもしれないのですが……。本来こういう揶揄やレッテルは、論者の価値判断で不善な存在に対してすべきもので、いかにブルジョワ階級であれ真面目に商売しただけの人々が、学術論文の中で「ゾンビ」扱いされるのを見ると、それだけでまともな議論をする気がしなくなったものでした。

その後、林さんが音頭をとって、鳴り物入りの実証分析プロジェクトがなされたのですが、その結論の報告『経済停滞の原因と制度』(2007, 勁草書房)は、浅子和美さんから、林さんたち自身の「意に反した実証結果が並んだ」と書評されています[*27]。90年代の日本経済で生産性が停滞していたとの明確な実証結果は得られなかったわけです(それで私は、もうこんな議論は過去のものになったと思っていたのですが、ついこのあいだも「ゾンビ企業」論議を目にしたことがあって、「ゾンビ仮説のゾンビ」と思ったところでした)。

ともかく、登場当時の日本のリフレ派は、長期停滞「需要側」原因派として、「供給側」原因派の新しい古典派の構造改革論と、熾烈な論戦を繰り広げたのでした。当時、クルーグマンさんと並んで有名なアメリカの経済学者のスティグリッツさんも、日本は3%程度のインフレを目標にするべきだと言い[*28]、中央銀行の独立性は不要だ[*29]との主張をしていました。スティグリッツさんも、『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』(徳間書店)とか『世界の99%を貧困にする経済』(徳間書店)と言った本で、アメリカ政府やIMFの新自由主義政策を鋭く批判したことで知られ、アメリカでは左派の経済学者とされています。

[*24] 加藤涼『現代マクロ経済学講義』(東洋経済新報社、2007年)第5章。

[*25] クルーグマン前掲論文。

[*26] Hayashi, F. & Prescott, E. C., “The 1990s in Japan: A Lost Decade,” Review of Economic Dynamics, vol.5, No.1, 2002.

[*27] 『経済セミナー』2007年5月号、104ページ。矢野浩一も同様の書評をしている。http://d.hatena.ne.jp/koiti_yano/20070321/p1

[*28] 『日本経済新聞』2002年5月9日朝刊の「経済教室」。黒木玄のサイトの中に紹介がある。(2014年5月28日閲覧)http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/Readings/stiglitz.html

[*29] 例えば、はてなid: himaginaryブログの次のエントリーを見よ。(2014年5月28日閲覧)http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20130110/Stiglitz_on_central_bank_independence

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