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「冤罪」の訴えがウソだったとしても~パソコン遠隔操作事件から考えること - 小石勝朗

とても複雑な気持ちだ。なぜ、あれだけのウソを突き通したのか。というか、突き通せたのか。そして、誰もが決定的に見破れなかったのか。

 パソコン遠隔操作事件である。

 私も昨年4月の当コラムに「あまりに多くの『偶然の一致』が意味することは」とのタイトルで記事を書いた。当時、片山祐輔被告(32歳)はハイジャック防止法違反(運航阻害=最高刑は懲役10年)や威力業務妨害などの罪で起訴されたばかりだった。

 記事の内容は、弁護人の佐藤博史弁護士の「冤罪」主張に沿うものだった。片山被告には「真犯人」と一致する要素があまりに多いけれど、本人と犯行を結び付ける直接的な証拠が明らかにされない以上は「疑わしきは罰せず」という刑事司法の原則に従うよう求めた。片山被告が疑われた理由についても「本人のパソコンが真犯人に覗かれていて利用されたのではないか」との佐藤弁護士の見立てを紹介している。

 結果的に、それらは誤りだった。ご存じの通り、ここへ来て片山被告は、すべてが自分の犯行だったことを認めた。

 片山被告が犯行を告白した10日前に、私はあるワークショップで、保釈中だった本人と佐藤弁護士の話を聞いている。片山被告は決して多弁ではなかったが、表情を変えることなく「否認」を貫いていた。

 ネット掲示板に殺害予告を書き込んだ犯罪の前科があることから「疑われても仕方なかった」としながら、「それは(証拠が出ずに無実がはっきりした)家宅捜索までの話」と強調し、さらに「捜索にはマスコミ抜きで来るべきだった」と警察を批判した。「おそらく私のパソコンがウイルスに感染し(真犯人に)監視されていた」との推理を展開したうえで、「身の回りに(自分を監視するような)心当たりはいない。パソコンに保存していた履歴書などを見て、前科や職業から私にしたのだろうか」と首をかしげた。

 片山被告が触った神奈川県・江の島の猫に遠隔操作ウイルスの情報が入った記録媒体が取り付けられていたり、「真犯人」からのメールに画像が添付されていたアニメキャラクターの人形を片山被告が購入したりしていたことについても、江の島に行く前の経路検索や通信販売の購入履歴がパソコンに残っていたことを挙げて、真犯人がそれを見て自分に罪を着せることが可能だったと指摘した。

 自身のコンピューターの技能について問われると、逮捕前の期間、仕事に集中できなくなったとしてしばらく休職していたことに触れて「休職しているくらいですから、能力は……」と苦笑いする場面もあった。締めくくりの言葉は「これからも応援していただければ」。そういえば、もし有罪が確定した後で真犯人から「犯行告白メール」が来たらどうなるのか、なんて話も出ていた。

 たとえば、片山被告が江の島の猫に記録媒体を付けている場面をとらえた写真や映像があれば決定的な証拠となることは、佐藤弁護士も昨年来、認めていた。しかし、公判が始まってからも片山被告の犯行だと裏づける直接的な証拠は検察から示されていないと聞き、「やはりこの事件は冤罪だ」という思いを強くしたことを正直に記しておく。

 私自身の問題として「騙された」と被害者面をして開き直るのはたやすいけれど、それは違う気がする。私が結果的に誤った情報を流したことは事実だからだ。ジャーナリズムってのは、ある意味で「結果」の世界なので、発信した事実については率直にお詫びしなければならない。当コラムの記事をどのくらいの方が読んでくれたのかは別にしても。

 でも、私は片山被告の主張を信じたことについては反省していない。というか、反省する必要はないと思っている。理由は2つある。片山被告の主張を覆すだけの有罪の証拠が示されていなかったことが1つ。実際に冤罪被害が現代でも起こっていることがもう1つだ。

 冤罪被害者の話を聞くと、逮捕された初期の段階で誰にも信じてもらえず、絶望のあまり無実の罪を認めてしまっている事例が少なからずある。逆に、逮捕後の早い段階できちんとした弁護士や支援者が付いたケースでは、冤罪被害の拡大を防げているし、被害回復のペースも早い。であるならば、まずは冤罪を訴える人の主張を信じなければ救済は始まらない。今回のように、決定的な証拠がなく、被告の話に整合性があるケースなら尚更だろう。

 もし後でウソと分かれば、その時点で方針を転換すればいい、と割り切るしかない。つらいことには違いないが。

 今回の問題を受けて、私がとても心配していることがある。「冤罪の訴えなんて、どうせウソだろう」と他の事件にも拡大解釈されかねないことだ。

 片山被告が犯行を告白したと報じられた3日後、ここ数年の間に雪冤を果たした冤罪被害者らが集まって記者会見が開かれた。出席したのは、死刑が確定しながら再審開始決定が出たばかりの袴田巖さん(78歳)=袴田事件=と、いずれも無期懲役刑が確定した後に再審無罪となった、足利事件の菅家利和さん(67歳)、布川事件の杉山卓男さん(67歳)と桜井昌司さん(67歳)。第3次再審請求をしている狭山事件の石川一雄さん(75歳)の支援集会に合わせて企画された。

 考えさせられるのは、袴田さんの様子である。私が袴田さんの姿を直接見るのは3月27日に釈放されてから3回目だが、意味不明のことを1人で延々とつぶやき続けている。この日は鼻をかみながら「蓄膿ばい菌」と繰り返し、脈絡もなく「神」や「西郷隆盛」が登場する。会見中に他の人が話していようが、お構いなしだ。きれいごとしか報道しない新聞やテレビは、そういう場面を伝えはしないけれど。

 48年間も身に覚えのない罪で拘束され、死刑が確定してからは33年間も執行の恐怖におびえ続けてきたがゆえの精神障害なのだ。

 私たちがそこから学び教訓とすべきは、冤罪が1人の人間の人生にどれほどひどい影響を与えるか、ということである。程度の差はあるにせよ、死刑事件に限ったことではない。だからこそ冤罪を防ぐためには「疑わしきは罰せず」という刑事司法の基本のキを徹底することが何より重要だと、改めて確認しなければならない。たとえ真犯人を取り逃がす結果になったとしても、1人たりとも冤罪被害者を出してはいけないのはなぜなのか、改めて自分の問題として認識する必要がある。

 袴田さんを前にして、杉山さんは「こういう状態にしてしまった権力は許せない」、桜井さんも「思った以上に死刑や冤罪の重さを感じる」と語っていた。死刑制度の是非は措くにしても、袴田さんの姉の秀子さん(81歳)が「ありのままの巖を見てほしいと思って連れてきました」と心情を吐露する意味に、いま一度、真摯に向き合いたい。

 片山被告の冤罪の訴えがウソだったからと言って「冤罪は起こり得ない」と断言することは決してできない。袴田さんにしても、静岡地裁の再審開始決定は「警察による証拠捏造の疑い」を指摘している。そもそもパソコン遠隔操作事件では、4人もの冤罪被害者を出していることを忘れてはならない。それは今日でも繰り返されかねないこと、とのスタンスに立つべきなのだ。

 冤罪被害を訴える人に対して、私たちの社会は常に虚心坦懐に接し、主張にきちんと耳を傾けたい。そのことの重要性は、今回の騒動があったとしても、これからも何ら変わらない。

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