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情報消費としてのディズニーランド(下)〜ヴァーチャルとリアルの逆転(上)

情報消費空間としての利用の肥大が進む東京ディズニーリゾート(TDR)について考えている。TDRはあらかじめディズニーに関して仕込んだ情報(コピー)を確認に行く空間。本来なら物理的空間がオリジナルで情報はコピーであるところが、TDRでは逆転、つまり現物=コピー、情報=オリジナルといった現象が極端なかたちで起きている。このことについて、前回は90年代までのマスメディアとパークの関連で分析しておいた。マスメディア情報が先にあり、これをチェックするためにTDRへと向かうという図式だ。今回は後半。21世紀、インターネットの到来で、この肥大がさらに極端になっていくプロセスについて見ていく。

インターネットが開く情報過多

日本人にとってディズニーランドは、もともとこういった情報消費空間的な特性を備える土壌にあった。国内が狭いこと、東京都市圏に3700万人もの人口を抱えることによって、TDRはチェックした情報をすぐにに確認できる空間だったためだ(広大なアメリカではこうはいかない)。そこに、ネットの普及でこの情報消費における情報=ヴァーチャルの極端な肥大が発生する。それは、成熟したディズニーファン、ディズニーを訪れるゲストたちが、マスメディア経由でなくインターネットを通じて独自に情報を入手しはじめた必然的結果だった。つまり、もはやあちこちから情報を入手できる。いや、それだけではない。ホームページやブログなどを利用して自ら発信するようにもなった。この肥大化は現在、SNSとスマホの普及によてさらに極端な拍車が掛かっている。

そして、こういった情報アクセスの易化・多様化、発信のカジュアル化は、翻ってマスメディア誘導によるゲストの情報消費といったこれまでのスタイルを瓦解させていく。インターネットにアクセスするディズニーファンのユーザーが、それぞれの嗜好に合わせて情報をアクセスし、また発信することで、ディズニー、そしてパークに関する情報は無限の広がりと方向性見せるようになったからだ。そして、その勢いは、必然的にディズニーに関する「マスメディア情報<ネット情報」といった勢力関係を作り出した。

こうなると、あたりまえの話だが、もはやマスメディアがどんなにディズニーに関する一元的な情報を提供してもゲスト(もはやデズヲタ=ディズニーオタクだが)は言うことをきかない。映画『グレムリン』の中に登場する小動物モグアイ・ギズモから分裂して生まれる破壊の小悪魔モグアイ・グレムリンのように、ディズニーから生まれたにもかかわらず、マスメディア経由の一元的ディズニー世界を破壊するような存在に転じていくのだ。

つまり、こうだ。ファンのゲストたちはそれぞれ任意に自分のお好みのディズニー世界を作り上げる。これはフィルター・バブル的な情報処理によってどんどん個人専用にカスタマイズされていく(もちろん、それはウォルトが当初考えたものとはかけ離れたものだ)。また、その情報をさらにカスタマイズしてネット上に発信する。もっとも、こういったゲストたちがパーク内で行う行為は、形式的にはかつての一元的な情報消費と同じだ。つまり「頭の中のAR=セカイカメラ」状態。彼らにはパーク内にタグづけられた「自分だけにしか見えない情報」を確認するために、ここに頻繁に繰り出す。ただし、そのタグは個人的にタグ付けしたもので、同じパーク内の空間を見ても、それぞれの「頭の中のセカイカメラ」には別のタグ付けがなされている。だからパークのゲストたちは、そこに別のものを見ているのだ。

グレムリンたちに対応を見せるTDR

たいへんなのはTDRの方だ。こういったグレムリンたちの無限に多様化したディズニー世界のニーズに対応をしなければならなくなったからだ。TDRは、それぞれにアドホックに空間を位置づけするゲストたちに対応するような環境世界の形成を命題として掲げることになった。だから、たとえばパレードやショー、空間からはストーリーの一貫性を破棄し、個別のタグ付けに併せた膨大な数の情報の羅列という対応策を採っていったのだ。これは、要するにハイパーリアルという言葉がピッタリということになるだろう。現物=リアルよりも情報=ヴァーチャルが肥大化し、挙げ句の果てにはその肥大化した情報イメージに従って現物=リアルな環境が再構築されていく。

で、この対応は見事に功を奏する。もはやデズヲタ=グレムリンとなったファン=モグアイたちにとって、こういったバラバラの世界は、自らカスタマイズして構築した世界を情報消費するためには、むしろ最適。そこで自由に「マイ・ディズニー・ワールド」を構築していくことができるのだから。いや、それだけではない。ネット上で気軽に情報を発信するように、パーク内でも情報発信を始めるようになる。パーク内の道に沿ったオープンテラスに持ち込んだダッフィー(パイレーツやジャック・スケリントンの衣装を纏っている。もちろんお手製のダッフィー用コスチュームだ)を、他のゲストたちに向けてこれ見よがしに並べる。白衣を着て、そこに数百のプーさんのピンを貼り付け、頭にはプーさんのハチミツ壺の帽子をかぶる。大人が全身ミニーのコスプレでやってくる。お手製?の、マリーをあしらったド派手な和服でパーク内を闊歩する。なーんちゃって女子高生として、かつての制服姿で仲間とパークを訪れる(制服ディズニー)などなど。そして、これはもはやテーマパークと定義づけられるような空間を形成しなくなっていった。

実はアジア的文化様式がテーマパークという欧米の形式の中で融合しただけ?

こういったパークのクレオール化は、今後さらに進んでいくだろう。そしてパークは壮大なオタクランドを形成するはずだ。もちろん、かつてのディズニーの一元的世界を支持していた旧世代は、ここから退場していくだろうが。

こうやってオリジナルとは異なる独自の変化をしていくことで、輸入された文化は定着する。そしてTDRの場合、最も興味深いのは、ある意味日本の未来を先取りしたかたちで、さまざまな事態が発生することだ。ということは、数年後、人々は同じ空間に、それぞれが異なったタグ付けを行って情報消費をしている、そしてそういったニーズに合わせて僕らの生活空間もごった煮的な状況を構築していくということになる。アキバ、ドンキのように。つまりディズニーにおけるテーマ性の破壊が数年後にわれわれの日常空間でも発生する。でも、これって、実はきわめて汎アジア的風景、いや日本的なそれなのかもしれないけれど(笑)

※付記:この手の記述を本ブログで、僕は何度となく書き綴ってきたが、その際、僕がかつてのディズニー世界を「正」、現在のオタクランドの状態を「誤」と捉えているとしばしばカン違いされてきた。デズヲタ層からは「そんなに嫌ならパークに来なけりゃいいだろ」、一方、旧主派からは「もう、あそこはディズニーじゃない。よくぞ言ってくれた」みたいな反応だ(ちなみに、こちらは元キャストだった人からのコメントが多い)。だが、僕の立場は「TDRへの興味関心は尽きることがない」というものだ。「ディズニーランド、たかが遊園地と侮るなかれ。情報化社会の近未来を、あそこは照らし出しているのだ」と、僕は考えている。


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