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古舘、キャスターは×〜古舘伊知郎の権威主義(3/3):報道ステーション編

古舘伊知郎というパーソナリティがメディアに登り詰めるに至ったエネルギー源である権威主義について考えている。今回は最終回。「報道ステーション」の古舘について考えてみたい。

報道ステーションの開始

2004年、古館は久米宏の「ニュースステーション」の後釜番組、「報道ステーション」のキャスターに抜擢される。名前こそ「ステーション」で同じだが、スタッフを自分の会社の「古館プロジェクト」のメンバーで固め、実質的に古舘の番組となった。伝えられるところによると、この企画を取り付けたとき、古館は「天下を取った」と叫んだとか。これが本当だとしたら、権威主義者=古館のホンネだったことになるだろう。彼にとってニュース・ショーは最終到達点。一介の局アナからプロレス中継、F1中継とステップアップし、ついに報道というメディアの本丸へ、しかも報道の歴史を変えたといわれる、あのニュースステーションの、そして久米宏の後任である。うれしくないはずはない。まさに「我が世の春」を迎えつつあったのである。

しかし、しかしである。開始された番組は当初、低空飛行で始まってしまう。なにかと久米と比較され、そしてすべてが低い評価。「あんなもん、やるんじゃなかった」と当初は思っていたかもしれない。だが、裏番組のNHKの「ニュース10」が終了とともに競合する番組が消滅したため、次第に視聴率は上がりはじめ、13%程度を維持するようになる(ただし、ニュースステーションは平均視聴率14%超だったので、これに比べると低い)。これで、番組は安定した。

しかしながら「報道ステーション」での古舘の評判は相変わらず悪い。で、批判として指摘される部分が、まさにその権威主義にあるといっていいだろう。本番組では古舘のパフォーマンスの背後に隠れていた権威主義が、結果としてベタに全面展開されるという構造になってしまったからだ。

「傲慢と卑屈の二元論」の図式が通用しない報道番組

古舘のパフォーマンスの醍醐味は、権威主義からくる「傲慢と卑屈の二元論」からなる。そのジャンルの権威にすり寄り、これを一方的にヨイショして、それ以外には手下や敵といった脇役の役割を振り、当該世界を極端に単純化、つまりデフォルメと省略を徹底させて、世界の複雑性を縮減し、シンプルでわかりやすい物語に変えてしまうところにある。プロレスの場合はアントニオ猪木とのその他であり、F1はA.セナとその他(悪役としてのA.プロスト)だった(つまり猪木ややセナという権威側に立ち、こちらには卑屈になるが、それ以外にはこれら権威を借りてゴーマンをかます)。こうすることで、そのジャンルについての、古舘によるもう一つのワールドが展開される。これこそが醍醐味だった。ただし、これはあくまでデフォルメと省略。エンターテインメントにはどんぴしゃりとハマるが、報道という事実を踏まえたもの、そして様々なジャンルを取り扱う複雑性を備えたものには適合性が悪い。このスタイルは「事実を恣意的にねじ曲げること」が前提となるからだ(昔からのプロレスマニア、F1マニアには評判が悪かったのはこういった事情による)。

また、お得意の「傲慢と卑屈の二元論」をあてはめる場所がない。誰にすり寄ればよいのかがわからないからだ(まさか首相の小泉や安倍にすり寄るなんて出来ないだろう)。その結果、すり寄る相手は恣意的に選択したポピュリズムに基づいた大衆となった。つまり「さしたる所得もなく、さしたる見解も持たない視聴者」を勝手に設定し、これに迎合するスタイルを取った。しかしながら、この卑屈になってすり寄る相手は猪木やセナのような、ナマの、そして権力を掌握している具体的な人間ではない。だから雛形がない。さらに古舘自身も、元々政治的信条はなく知識も見識も疎いので、このポピュリズムはしばしば偶有する。つまり例の「コロコロちゃん」になる。これに基づき「私はみなさんの味方ですよ」と、したり顔で媚びを売るようなパフォーマンスを展開する(パフォーマンスがこのパターンしかないので仕方がないのだけれど)。で、実際には本人は高額所得者なわけで、こうなるとどうしても「虎の威を借る狐」という偽善的なイメージばかりがクローズアップされてしまうことになるのだ。

また、出演する解説者にべったりというのも、この卑屈さを全面に展開したものと言える。とにかく解説者の言うことには全面的にひれ伏し、そちらの側に「荷担」する。そして、こちらでも虎の威を借る狐のように解説者の権威の立ち位置からドヤ顔でモノを言うのである(しばし解説者の意図をカン違いしているのだが)。

古舘のキャスターの資質を他のキャスターと比較してみる

こうなってしまうのは古舘のパフォーマンス・スタイルが報道に馴染まないためということだけによるものではない。加えて古舘が報道番組を仕切る「キャスター」としてはその資質を備えていないという側面も踏まえなければならない。

ここまでの古舘の方法論を、今回は他のキャスターたちとの比較で考えてみよう。ここでは村尾信尚、久米宏、大越健介、池上彰をとりあげてみたい。キャスターの資質を以下の四点からそれぞれ考えてみる。1.キャスティング能力:番組のネタを投げる=キャストすること。いいかえれば自らが他の登場人物に役割を振って、その場を仕切ること、2.情報量:取り上げる題材に対する知識量の多さ、3.情報の質:取り上げる題材に対する造詣の深さ、4.パフォーマンス能力。これらの資質をそれぞれに振ってみよう。

村尾信尚:村尾は情報量も多くなく、情報を展開する力も弱く、パフォーマンス能力も凡庸だ。ただしキャスティング能力は抜群だ。そのことを本人も心得ているのか、個人的な論評はきわめて控えめで、専ら担当者に投げる。NEWS ZEROが落ち着いてみられるのは、ひとえに村尾のこのキャスティング能力、言い換えれば本人の「透明性」に依存するところが大きい。これによってZEROのスタッフが一体となったチームに見えてくるのである。一方、古舘の場合、キャスティング能力は低い。とにかく、最終的には自分が仕切らないとおさまらない。それゆえ、他のメンバーを引き立てるという状況を作れない。つまり「独り相撲」。だから古舘以外のメンバーの顔を思い浮かべにくい。

久米宏:キャスティング能力は抜群で、小宮悦子、若林正人、角澤照治、川平慈英といった出演スタッフがどんどん出世していった。ただし、情報量は多くはなく、情報質もあまり深くはない。久米が賢かったのは、自分がアナウンサー上がりであることを常に自覚し、ほとんどコメントしなかったことだ。つまり「無知の知」があった。その一方で、確信を持っているものについてはハッキリとコメントした。また、登場する解説者に対して同意できない場合、反論こそしないが、そのコメントをスルーしてしまうと言う「無言の抵抗」も行っていた。また、村尾同様、キャスティングをする中で場全体を盛り上げるというパフォーマンス能力を発揮。こういった美意識が久米宏ワールドを作り上げ、スタッフのチーム性を感じさせ、これが親密性に繋がって視聴者をニュースステーションに引きつけることに成功する。一方、古舘の場合、少ない情報、そして情報判断能力不在であるにもかかわらず、堂々とピント外れのコメントをしてしまう(パワポを知らなかったのは象徴的事件だった)。いうならば「無知の知を知らない」。これがただでさえパフォーマンス的にうるさい古舘の喋りを(まあ、これがウリなのだが)、内容的にもうるさいものにしてしまう。

大越健介:大越はインテリだ。キャスターに必要とされる要素をほぼ満遍なく持ちあわせているバランス型。キッチリ情報を集め、言うときはいい、ふざけるときはふざけ(ウルトラセブンをゲストに呼び、インタビューしたこともある)、それでいて画面全体を久米同様、管理し続ける。東大卒かつ野球部のエースだったことが反映しているのだろうか。知力とキャスティング能力を併せ持っている、ザ・キャスターとでも言うべきパーソナリティだ。一方、古舘にはこういった総合力はない。

池上彰:言うまでもなく「ミスター・ニュース」である。様々な要素を高いレベルで保持している。膨大な情報を単純化し、掘り下げ、わかりやすく、しかも時には危険や誤解を恐れず主張する。いわゆる「黒い池上」だが、古舘と違うのは、この”黒さ”が情報と見識に裏打ちされているところだ。だから視聴者は池上の解説に納得し、積極的にこれに接しようとする。一方、古舘の場合、わかりやすさはもっぱら単純化と繰り返しにある。大仰な口調でこれを繰り返すことだから、池上の理論的かつ要点を押さえたわかりやすい単純化とは質が根本的に異なっている。ちなみに池上に欠けているのは古舘同様、キャスティング能力だ。しかし、情報量と情報質、パフォーマンスを豪快に発揮することで完全に仕切ってしまう。だから、池上は正確にはキャスターではなく、やはり「ミスター・ニュース」なのである。

古舘にキャスターは無理

言うまでもないが、もともと古館の個性はアナウンスする中身=コンテンツではなくパフォーマンス=メディア性にある。まとめてみよう。古館の解説は、どんなときでもその情報量が少ない。つまり池上のように情報を頭にバンバン詰め込んで、データベースのように語るというタイプではなく、むしろ少ない情報を仰々しい定型化されたパターンで演出することで情報それ自体を単純化し、視聴者に「古館節」としてフィクショナルに聞かせるところが魅力なのだ。ということは、同じ相手に、同じパターンを何度も繰り返すことで、古館のパフォーマンスは威力を発揮する。だからこそプロレスやF1は見事にハマったのである。

ところがこの図式は基本的にフィクショナルなものに適用することで初めて成立するもの。これを報道でやってしまうと、ウソになる。ということはキャスティング能力×、情報量×、情報質×で唯一秀でている部分であるパフォーマンス能力も報道では生かすことが出来ない。つまり、全部×になってしまうのだ。結局、大衆に迎合したと思うような、それでいてきわめて凡庸というか、月並みな表現によるパフォーマンスが残るのみとなる(「こーいうことって、ほんとうにありうるんでしょうか?」みたいなフレーズが繰り返される)。また、主張したところで見識も何もないのでヘタに喋ると無知をさらけ出すことになる。そのくせ、したり顔がウリなので、結果として視聴者としては傲慢さばかりが鼻につくというように映ってしまうのだ。

僕は今回、古舘を辛口で分析しているが、個人的に古舘伊知郎というパーソナリティが嫌いではない。プロレス、F1ともにフルタチ・ワールドを堪能させてもらった1人である。ただ、これだけは指摘しておきたい。「古舘さん、あなたにニュースキャスターは無理ですよ!かつて渋谷ジャンジャンでやっていたトーキングブルースのような大仰なパフォーマンスに戻って、本領を発揮してください」と。でも、まあ権威好きなので、価値づけとしては報道ステーション>トーキングブルース。だからトーキングブルースには戻らないだろうなぁ。

それにもかかわらず、報道ステーションはそこそこ視聴率を上げている。なぜか?その答えは……なんのことはない。あの時間に競合する番組がない、ただそれだけのこと。実は僕はやむを得ず「報道ステーション」を見ることがあるのだけれど、それはあの時間ニュースがないから。で、見終わると、はっきり言ってウンザリする。同時に、古舘が「もったいないなぁ」とすら思ってしまう。

報道ステーションを潰すのは意外と簡単だ。裏で同じような報道番組をやればいいだけなのだから。たとえば同じ時間帯に池上彰がニュース・ショーを始めたとしたら……報道ステーションは一気に壊滅するだろう。

■関連記事
古舘伊知郎の権威主義(1/3)〜プロレス編
古舘伊知郎の権威主義(2/3)〜F1編

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