記事

若者 vs. 『おじさん』/理は若者にありそう

2/2

■バブルを期に正反対の方向へ

この『おじさん』たちも、バブル期には人が変わったように消費した。個人的な感想を言えば、これはコンサマトリー(自己充足的)というより、ジョルジュ・バタイユのいう蕩尽(非生産的な消費を生の直接的な充溢と歓喜をもたらすもの)の方がより近いように思える。バブルという時代は、まさにお祭りで、堰を切ったように今まで押さえつけられていた欲望が溢れ出し、皆が日常を忘れて狂ったように消費に耽溺した。

バブルが破裂した当初は、これまでのように経済を成長させていればまたバブルは戻って来ると『おじさん』たちは比較的楽観的だった。ところが、戻って来るどころか日本経済はどんどんおかしくなって、経済指標も悪化の一途をたどる。それを見て、『おじさん』たちもやっと我に返る。ふと周囲を見ると、中国や韓国のような新興国が強力なライバルとして浮上してきて、このままでは日本経済は奈落の底に転落してしまいかねない。俄然、インスツルメンタルなメンタリィがよみがえり、若者に対して経済成長を煽ることになる。このままでは日本人は再び貧困に沈むことになる。結婚も子育ても持ち家もできなくなる。だから、今を犠牲にしてでも猛烈に勉強して、猛烈に働いて、グローバルな競争で遅れをとらないようにしないといけない。そんなことは当たり前だろうとばかりに『おじさん』たちの信念は非常に強固で妥協の余地はない。

つまり、若者たちはバブル期以降、『おじさん』たちの路線からは降りて、『身近な幸せに幸福感を見いだすこと』を始めたのに対して、『おじさん』たちはむしろ、インスツルメンタル・マインドを再度強化しようとし始めた(本当にそうなのかって? そう思うなら『おじさん』の中の『おじさん』の集まりである経団連に注目して、会長始め会員企業のトップの発言の数々をチェックしてみるといい。きっと私の見解に納得してもらえると思う。)つまり、バブル期以降、若者と『おじさん』たちとはそのマインドにおいて、正反対の方向に向かったことになる。これでは両者が交わることは、それこそ『絶望的』に難しいだろう。そんな『おじさん』たちから見れば、若者は、イソップ寓話『アリとキリギリス』のキリギリスに見えてしまうはずだ。『今さえよければ』というようなことでは、やがて冬がくると困ることになるだけなのだから、もっとアリのように働けと言いたい『おじさん』は多いはずだ。

■『おじさん』のマインドの限界

では、客観的にみて、どちらが正しいのだろう。あるいは、この両者のバランスをとるような折衷案などあるのだろうか。正直この問に答えることは簡単ではない。だが、あえて言えば、私は若者ほうに、やや時勢の理があると思う。若者の基本的なスタンスをベースに、もう少し普遍性のあるモデルに昇華させていくことを模索するのが現実的だと考える。少なくともインスツルメンタル・マインド一辺倒には無理がある。そう考える理由は3つある。

1. もう額に汗するだけでは夢は叶わない

『おじさん』が強固に維持するインスツルメンタル・マインドが最も機能したのは、欧米という目標があって、得意な製造業で、『追いつけ追い越せ』と頑張っていた時代だ。成熟した今の日本では、いくら歯を食いしばって働いても、これ以上賃金や生活が向上するとは限らない。相対的にコストの安い海外に工場が移転することを押しとどめることも難しい。そもそも、もう、『汗』よりも『知恵』がなければ付加価値を増すことはできない。

2. 幸福になれない

インスツルメンタル・マインドに駆り立てられるほうが、人は働くかもしれない。長時間労働にも耐えるかもしれない。富国強兵や高度成長には機能したことは確かだろう。だが、インスツルメンタル・マインドは言い方を変えれば、『飢餓意識』だ。どこまで行っても満足できない。自分を常時他人と比べて、いつも不満と不安を持ち、その強迫観念を経済成長のエネルギーへ転化する。しかしながら、歯を食いしばって働くことで多少なりとも経済的に豊になったとしても、いつまでたっても満足度/幸福度は上がらない。

しかも、将来のために(将来出世するために、家を買うために)『今、ここ』にいる仲間や家族を犠牲にする/軽視するのは、特にこれからは、見合わない。会社はいつなくなってしまうかわからないのだ。会社の仕事だけではなく、家族や社会もバランスよく重視する姿勢のほうが幸福を長期的に維持できる可能性は広がる。

また、日本人は、アリとキリギリスの寓話を、『アリのように将来の危機の事を常に考え、行動し、準備をしておくのが良い』ということを語る教訓と読むが、一方、この寓話には、『アリのように夏にせこせことためこんでいる者というのは、餓死寸前の困窮者にさえ助けの手を差し伸べないほど冷酷で独善的なけちであるのが常だ』という寓意もある。今の時代には、アリのようにせこせこためこんでも、世の情勢が急変して自ら困窮者の立場に転落してしまう恐れもおおいにある。そうなったら、アリのように餓死寸前の困窮者を助けなかった、独善的なけちには、誰も助けの手を差し伸べてはくれないだろう。

3.将来見通しに固執することのリスク

インスツルメンタルであるためには、ある程度見通せる将来があることが必要だ。ところが、これからどうなる、という、正確な将来の見通しを持つことは、今や誰であっても難しい。天才であってもだ。だから、将来見通しを持つのはいいが、そんなものはすぐにでも変わってしまっておかしくないくらいに考えておく必要がある。ビジネスで成功する秘訣も、どんなチャンスが来るかわからないから、何が来てもよいように『今、ここ』に最大限集中し、いざチャンスが来たら、そのチャンスを逃さずに全力を注ぎ、成功へと導くような姿勢が求められている。『将来はこうだから、今から何々をやって備えておく』ことは否定しないが、過度にコミットしてしまうような柔軟性のなさは命取りになりかねない。

■高次のコンサマトリー

それでも尚、『おじさん』は『コンサマトリー』の例を聞くと、『享楽的』『刹那的』というような、『反道徳』を想起してしまいがちだ。無理もないこととも言える。特に、現代の若者がSNSで意義ある討論を行うでもなく、だらだらと単なるつながり(つながりの社会性)に耽溺しているように見える様(典型的なコンサマトリーの一つ)には我慢ならないという人も多いだろう。

私が思うに、『コンサマトリー』にも段階があって、家族やごく近い仲間とだけに閉じて、場合によっては刹那的とも享楽的とも見える段階の上に、もう少し広いコミュニティ(あまり広げ過ぎはしないが)のために、今ここでできることに全力を尽くす、というような、高次の段階があるというべきだろう。

実際、古市氏も、『今、ここ』を大切にする若者たちはまた、社会変革の可能性も考えているようだという。内閣府の調査によれば、『社会のために役立ちたい』と考える20代は2013年で66%もいて、調査を開始した1975年以来最高の数値なのだそうだ。現代の若者は、他人と競争するよりも協調することを好み、身近な仲間たちとの関係を何よりも大事にするという。『今、ここ』で暮らす自分や仲間を大切にして、自分たちが生き易い環境をつくろうとすることが、抽象的な革命や一瞬のお祭り騒ぎで終ってしまうような『政治』より、余程社会を良くすることに寄与するという意見には、私も基本的に賛成だ。

古市氏はまた、『おじさん』は『今ここにないもの』に過剰に期待してしまい、『今ここにあるもの』に潜んでいるはずの様々な可能性を見過ごしてしまっているという。これはとても大事な視点だと思う。『今ここにあるもの』に潜む様々な可能性を最大限に生かして行くという意味での『コンサマトリー』にはよりレベルの高いやりがいと満足感がついてくるだろうし、これからの時代に社会を良くする秘訣も潜んでいると考えられる。

■元『おじさん』に期待

古市氏の定義では、『おじさん』とは『いくつかの幸運が重なり、既得権益に仲間入りすることができ、その恩恵を疑うことなく毎日を過ごしている人』で、人は今いる場所を疑わなくなった瞬間に誰もが『おじさん』になるという。だから、そんなおじさんには、実は性別や年齢は関係ない。『おじさん』は自分たちの価値観を疑わない人のことであり、今の日本はそんな『おじさん』だらけだ。社会を変えること=『おじさん』が変わることなのに、確かにそれはものすごく難しそうだ。だから、日本の未来は、このままでは古市氏の描くような未来になる可能性がかなりあるように私にも思える。

ただ、年齢にかかわらず、『おじさん』になることを敢然と拒否する少数の人達はこの日本にもちゃんと存在すると信じたい。そんな人達もまだ、コンサマトリー/インスツルメンタルの思想対立には必ずしも決着をつけていないように私には見える。だから、せめて、私が指摘した、インスツルメンタル・マインドの限界については(必ずしも賛成ではなくても)、自分の頭でじっくり考えてみて欲しいと思う。自分を疑いはじめた『おじさん』は古市氏の定義では『おじさん』ではなくなるので、元『おじさん』とでも呼んべばいいのだろうか。今の日本を本当に変えることができるのは、そんな元『おじさん』だけだ。少なくとも私はそう思う。

*1リンク先を見る

だから日本はズレている (新潮新書 566)

*2

リンク先を見る

絶望の国の幸福な若者たち

あわせて読みたい

「古市憲寿」の記事一覧へ

トピックス

  1. 一覧を見る

ランキング

  1. 1

    BLOGOSサービス終了のお知らせ

    BLOGOS編集部

    03月31日 16:00

  2. 2

    なぜ日本からは韓国の姿が理解しにくいのか 識者が語る日韓関係の行方

    島村優

    03月31日 15:41

  3. 3

    「いまの正義」だけが語られるネット社会とウェブ言論の未来

    御田寺圭

    03月31日 10:09

  4. 4

    カーオーディオの文化史 〜ドライブミュージックを支えた、技術の結晶たち〜

    速水健朗

    03月30日 16:30

  5. 5

    BLOGOS執筆を通じて垣間見たリーマンショック後10年の企業経営

    大関暁夫

    03月31日 08:27

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。