- 2014年05月10日 08:27
ボコ・ハラム
昨年12月24日、つまりクリスマスイブに、ナイジェリア中部プラトー州の州都ジョス市内で爆弾テロが発生しました。爆発はキリスト教徒が多く集まる屋外市場など7カ所で発生し、少なくとも80人が死亡したと伝えられています。
同じ日、やはりナイジェリアの北東部に位置するボルノ州のマイドゥグリでキリスト教会が襲撃され、牧師ら6人が殺害されました。その一週間後の大晦日、今度は首都アブジャの市場で爆発があり、4人が死亡しました。
クリスマスイブの爆発と教会襲撃で犯行声明を出したのは、「ボコ・ハラム」という組織です。「ボコ」はナイジェリア北部で話されているハウサ語で「西洋の知」「西洋の教育」などを意味し、「ハラム」はアラビア語で「禁忌」を意味します。ボコ・ハラームはその名の通り「西洋の知」を拒否する組織です。
ナイジェリアは36州から成る連邦国家ですが、このうち北部の12州でシャリーア(イスラム法)が施行されています。ボコ・ハラムは、全州でのシャリーア導入、すなわちナイジェリアのイスラム化を主張しています。
ボコ・ハラームについていろいろ情報を集めてみましたが、謎の多い組織です。いま私が分かる限りの情報を並べてみると、結成は2002年という説と2004年ごろという説があり、活動の拠点はイスラム教が優勢な北部ボルノ州の都市マイドゥグリです。イスラム原理主義的なその主張ゆえに、地元では「タリバン」と呼ばれていましたが、アフガニスタンのタリバンと接点はなく、イスラム教が優勢な北部5州に活動域を広げながら武装化を進めたとみられています。
結成時から長年リーダーだったモハメッド・ユスフ氏(1970年生)は、英BBC放送のインタビューに「西洋文明の拒否」を力説し、地球が球体であることも「西洋的」であるとして信じないと主張していました。ユスフ氏によれば、雨もアラーの神の恵みの一つであり、地表や海洋の水が蒸発して上空で雲となり、やがて雨となって降るという考え方も排斥すべきだといいます。
当初、ナイジェリア国内には、ボコ・ハラムについて「世俗的なカルト犯罪集団」との見方が強かったようです。というのは、そのように「西洋の知」を否定するユスフ氏は、実はマイドゥグリの富裕層の出で、ベンツを乗り回す大卒のインテリという、いわゆる「西洋文明の恩恵」をふんだんに受けている人物だからです。他の中心メンバーにも富裕層の子息や元大学教員などのエリートが多いので、地元では「有力者の子息が多いので、当局も大目に見ている」との風評が広まっていました。
ボコ・ハラムにとって転機となる出来事が起きたのは2009年7月でした。
2009年7月26日、なたや火炎瓶で武装したボコ・ハラムのメンバーらが、北部バウチ州で仲間が警察署襲撃を計画した疑いで逮捕されたことに反発し、北部各州の警察署を襲撃しました。
ボコ・ハラムの本拠地マイドゥグリの警察当局は、リーダーのユスフ氏を拘束しました。問題は、この後の警察当局の対応です。4日後の7月30日、ユスフ氏は警察本部の敷地内で射殺されてしまったのです。警察側は「逃亡を防ぐためだった」と発砲を正当化しましたが、米国務省のアフリカのテロ情勢に関する報告書には、射殺の実態が仲間を殺害された警察官による私的な報復であったことが明記されています。さらに警察による摘発は、組織と関係のない多数の一般のイスラム教徒を巻き添えにし、結局700人以上が死亡する惨事となりました。
ところで、ナイジェリアでは元々、中部のプラトー州を中心に、キリスト、イスラム両勢力の間で何度も暴力的衝突が起きています。同州には、この地に先に定住したキリスト教住民が教育や就職で優遇される実態があり、不満を抱くイスラム教住民との衝突、報復の連鎖で2010年だけで約1500人が死亡したと推定されます。
こうした中、警察がボコ・ハラム摘発を大義名分に強硬措置をとったことは、イスラム社会の反発を招くと同時に、テロを正当化する口実をイスラム過激派に与える危険性を孕んでいたと思います。
2010年2月1日、ナイジェリアの北隣ニジェールで勢力を拡大中のテロ組織「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」が「ナイジェリアのイスラム教徒を守るために、彼らに武器や軍事訓練を提供する」との声明を発表しました。
AQIMはアルジェリア源流のイスラム過激派で、米国務省の「海外テロ組織リスト」に名を連ねるテロ組織です。現在はニジェール、マリ、モーリタニアを中心とするサハラ砂漠南部で主に欧米人の誘拐、殺害を繰り返しています。
その約5カ月後の2010年7月初め、2009年の一斉摘発時に殺害されたとみられていたボコ・ハラムのナンバー2、アブバカル・シェカウ氏がインターネットの動画に登場し、新リーダーへの就任とナイジェリア国内でのテロ攻撃の強化を明言しました。さらに同氏は7月13日に出した声明で「アルカイダとの連帯」を宣言しました。
ボコ・ハラムが本当にアルカイダと連携しているか否かについては、今も国内外に異論があります。
昨年末の一連の爆弾テロを見ると、火炎瓶を手に警察署を襲うような稚拙な武装闘争は影を潜め、その活動が随分と洗練した感もあります。米国務省のテロ情勢に関する報告書は、ニジェール南部の多数のイスラム教徒が国境を越えてボコ・ハラームに参加していた事実を指摘しており、ボコ・ハラムがニジェールのAQIMから「指導」を受け、本格的なテロ組織への道を歩み始めた可能性を疑ってみる価値はあります。
一方、ボコ・ハラムは今月に入り、興味深い動きを見せています。現在のリーダーと目されるアブ・スレイマン氏が英BBCハウサ語放送のインタビューに応じ、ボコ・ハラムが活動拠点とするボルノ州の知事の辞任を条件に、今後のテロ攻撃を中止する考えを示したのです。テロ組織が地元知事の退任を条件に攻撃中止? アルカイダ系列の組織にしては、要求があまりに具体的、かつ政治的な感じがします。
ナイジェリアは今年4月に大統領選を控えており、選挙に向けて国内各地で陣営同士の足の引っ張り合いの激化が予想されます。ナイジェリアでは、政府予算や公職ポストなどを巡る権力闘争の過程で、政治家や地方有力者が若年層の暴力組織を使って情勢を攪乱させることがしばしばあります。ボコ・ハラームが、実はイスラム過激派テロ組織などではなく、有力政治家などと結託した世俗の犯罪集団である可能性も捨て切れません。
10年前、ニューヨークの世界貿易センタービルに2機の旅客機が突入した時、世界中の大半の人は、このテロ攻撃が誰の仕業によるものなのか瞬時には想像できなかったでしょう。アルカイダやビンラディンの存在は米国の情報コミュニティの中では知られていましたが、少なくとも一般の市民が知るところではありませんでした。
アルカイダの歴史を辿ると80年代のアフガニスタン、90年代のスーダンやソマリアに行き着くのはご承知の通りです。確かに途中、ケニア、タンザニアの米国大使館爆破テロ(1998年)などはありましたが、彼らは十数年かけてテロ組織としての成長を遂げた末に、初めて一般市民の前にはっきりと姿を現したのです。
アルカイダが誕生した当初、誰が後の史上空前の大規模テロを予測したでしょう。現段階では、ボコ・ハラムをテロ組織と断定するにはあまり情報が不足していますが、その動向に注意を払うことは無駄ではないと考えています。 (白戸圭一)
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画像を見る執筆者:白戸圭一
三井物産戦略研究所国際情報部 中東・アフリカ室主任研究員。1970年埼玉県生れ。95年立命館大学大学院国際関係研究科修士課程修了。同年毎日新聞社入社。鹿児島支局、福岡総局、外信部を経て、2004年から08年までヨハネスブルク特派員。ワシントン特派員を最後に2014年3月末で退社。著書に『ルポ 資源大陸アフリカ』(東洋経済新報社、日本ジャーナリスト会議賞)、共著に『新生南アフリカと日本』『南アフリカと民主化』(ともに勁草書房)など



