- 2014年05月06日 07:00
「自然環境」のみが環境ではない――いまなぜ「都市の環境倫理」を問うのか ‐ 吉永明弘
2/3都市は地球に優しくないのか?
まず、「都市は人口が多く、大量の資源・エネルギーを消費する、地球に優しくない地域ではないか?」という反論が聞こえてきそうである。しかし、コンパクトな都市に密集して住むことは、地球環境の持続可能性に貢献することにもなる。具体的には、公共交通と中密度の集合住宅の整備、エネルギーシステムの改善などによって、郊外のクルマ中心の一戸建ての生活よりも、効率的で、地球に優しくなる可能性がある。
私たちは日常的に地球環境に負荷をかけているが、なかでもマイカーとエアコンの利用による負荷が大きいとされている。したがって、マイカーでの移動を減らすことで、地球環境への影響を軽減することができる。また、エアコンを使わずに生活をすることも地球環境への貢献となる。
しかし、郊外の戸建て住宅でマイカーとエアコンを使わずに生活するのは困難である。それに対して、徒歩と公共交通で用事が済む都市であれば、マイカーは不要である。また効率的な熱利用や通風などを工夫した集合住宅に住むことで、エアコンの使用を極力控え目にすることができる。現在の都市が地球に優しくないとしたら、それは都市自体にではなく、都市の社会基盤の未整備、あるいは誤った整備のためだといえる。
都市に自然はないのか?
また、このように都市をクローズアップすると、従来の自然保護運動家や自然愛好家からは「都市に自然はあるのか?」という疑問が出されるかもしれない。実際のところ、都市を、「自然がない地域」として、コンクリートやアスファルトに、ビルやマンションに囲まれた人工的な地域として、思い描く人も少なくないだろう。
しかし、都市に自然がないわけではない。都市には緑地や公園、川原がたくさんあるし、動物も住んでいる。もし、都市を自然がない地域として表象してしまうと、都市における自然が注目されなくなる。そうなると、身近な自然がなくなっても気づかれない、あるいは関心を持たれない、ということになる。「都市に自然はない」という規定は、都市に今ある自然を破壊する方向にしか作用しない。
これに関連して、「都市に住んでいる子どもは自然にふれていない」という言説について考えてみたい。都市の子どもは自然体験が不足しているとして、田舎に連れて行って自然体験をさせることを推奨する動きがある。しかし都市の子どもは本当に自然体験が不足しているのだろうか。
私は大学の授業の中で、子どもの頃の秘密基地体験についてのレポートを課している。今の若い学生でも「秘密基地」と言うとすぐに通じるし、多くの人が子どものころを思い出して楽しんで書いてくれる。そして秘密基地には何らかの形で自然が絡んでいる。神社の茂み、林の中、川の中州、公園の隅などが秘密基地の場所となる。草でアーチ屋根を作ったり、土を掘ったりもする。石ころやどんぐりをそこに隠したりもする。
こうした体験は「自然体験」なのではないか。それがなくなったり壊されたりしたときの悲しさも含めて、秘密基地づくりは都市において子どもに自然と自然破壊を体験させている。この体験を見ずに、プログラムされた田舎への旅行を「自然体験」として推奨するのはどうなのか。
都市で快適に暮らそう
それから、特に大都市に関して、「こんなところは本来、人の住む場所ではない」という不満の声を聞くことがある。社会学者ジンメルは、論文「大都市と精神生活」のなかで、都市生活は人間の神経を昂進させると書いている。大都市はゴミゴミしていて、人間にとってストレスの多い場所ではないのか。先の話でいうと、地球環境のために、人間はそのような都市に我慢して暮らすべきなのだろうか。
このような問いに対しては、全ての都市がストレスフルなわけではないし、ストレスをためるのはその人の生活の仕方、働き方、人間関係によるところが大きいだろうと答えたい。都市はストレスフルだから田舎で暮らそう、というのではなく、都市を快適にすることを考えたほうがよいのではないか。快適な都市生活を満喫できれば、田舎に逃避しなくても済むだろう。都市が快適になれば、その副産物として、観光地となった世界自然遺産に人々が殺到し、現地の自然を破壊したりゴミを散らかしたりする「オーバーユース問題」が、多少は緩和されるかもしれない。



