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体罰事件、、、高校が荒れている

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バスケ部で体罰を受けた生徒が自殺した事件。

あれから1年半ほどがたつが、今、大阪市の高校が荒れているらしい。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140430-00000530-san-soci



体罰は必要と公言していた市長のもとで体罰が行われ、死者が出た。とたんにヒーロー気取りの市長がその学校を厳罰で処すパフォーマンスを展開。先生たちの自尊心も生徒たちの自尊心もめちゃくちゃにした。

子どもたちの心がやさぐれるのも当然だ。この状況でどうやって大人を信頼しろというのか。

そんな気の毒な子どもたちに対し、大人たちは「毅然とした態度」で接するように徹底するという。まるで子どもたちが悪者だ。教師と生徒の対立構造。まるで初期の金八先生や尾崎豊の世界じゃないか。

大人たちはいったい何をやっているのか。。。

そして学校がさらに荒廃する。

今、大阪では教員不足に陥り、十分な授業が実施できていない学校もあることも数週間前に新聞報道されていた。

鳴り物入りで掲げられた教育改革の成果は、目を覆いたくなる状況に結実しつつある。



以下、事件後の2013年2月に書いたブログを再掲する。





体罰があった学校の部活を中止し、該当科の入試を中止するという処置に、賛否の議論が沸いている。

「体罰の問題」といいながら、マスコミ、行政、現場、教育関係者たちが交わす論点は、すでに空中分解しているように見える。



「体罰は悪いことである。」という1文にはいくつかの階層がある。

・体罰とは何か。

・体罰はどうして悪いのか。

・悪いことだけど必要なこともあるのか。



まず体罰とは身体的に罰を加えることだ。

一連の事件に関しては「これは体罰ではなく、暴行である」というセリフも何度か聞いたが、まったくもってナンセンス。

いったいどこに暴行ではない体罰が存在するのか。



こういう発言をする人の心の奥底には、「愛があれば叩いてもいい」という甘えが見え隠れするように思うのは私だけであろうか。

かの顧問にも実際、生徒への愛はあったはずだと思う。

しかし、愛があるとかないとかそんなことは関係ない。

指導者の指導力として、身体的な罰をもってしか指導できないのか、それ以外の適切な方法を会得しているのかの違いである。

体罰を生むのは愛ではなく、指導者としての未熟さである。



次に、体罰が悪いのは、身体的苦痛をともなうからではない。

自殺した生徒は身体的に痛かったから命を絶ったのではない。

精神的に追い詰められて命を絶ったのだ。

つまり、体罰問題の本質は、身体的苦痛ではなく、精神的苦痛や恐怖である。

精神的に追い詰めることによって短期間でブレイクスルーをもたらすという教育手法が内包するリスクが問題なのである。

体罰に限ったことではない。

言葉による罵倒、態度による存在価値の否定もまったくに同様のリスクをもつ。

「罰」による教育すべてが問題として議論の場にさらされるべきだ。

だから以降、「体罰」ではなく「罰」と表記する。



それでも短期間でブレイクスルーをもたらすために、「罰」は必要なのか。

このあたりになると「程度による」などという発言も出てくるのだろう。

しかし私は「罰」による成長は一時的なものであり、本質的な成長ではないと考えている。

鞭のような外的動機付けで成長させられた人間は、鞭がなくなれば、自分で自分を律することができないように育つ。

自分の中に成長する力が備わっていないので、困難にぶつかると、また自分を痛めつけてくれる指導者を求めるようになる。



一方、自ら望んで、試行錯誤をして、成長した経験の豊かな人間は、どんな困難にぶつかっても自分の力でそれを乗り越えようとする。

ブレイクスルーをもたらすために周囲ができることといえば励ましくらいだ。

励ましが、目標を達成したいという本人の意志を支える。

そしてあくまでも内的動機付けによってブレイクスルーがもたらされる。

後者のほうが時間はかかる。しかし教育効果は大きく、かつ半永久的だ。

その意味で、「人は変えられる(外的動機付け)のではなく、自ら変わる(内的動機付け)」のだ。



そこまで理解しなければ「体罰は悪いこと」と何度唱えても虚しい。





罰で死者を出した高校の入試は中止すべきなのか、廃校にすべきなのか。

ここでも論点が空中分解を起こしている。



あれだけの事件を起こしてしまった学校だ。

入試もやめて、教員を総入れ替えして、部活も中止して、全部リセットしてしまえというのは感情論的にはわかる。

しかし冷静に考えれば得策ではないように思える。

たとえば、がん細胞が見つかったとき、それが局部的なものであり、ほかに転移が認められなければ、そこだけを切除すればいい。

しかし、ほかにも転移が広がっているのであれば、切除は何の意味ももたない。



要するに、入試中止や部活中止などの施策が有効と考えている人たちは、桜宮高校が「特異な学校」であるという認識なのだろう。

罰の問題が桜宮高校だけの特異なケースなのであれば、たしかに入試を中止するなり、廃校にするなりして、「悪い部分を切除」することに有効性があるように思う。



しかし私は今回の事件への対応として、入試中止などのドラスティックな対応を「絶対的に必要」とは考えていない。

それは、「『絶対的に必要』と考えている人たち」に比べて、私が、今回の事件を「軽く」とらえているからではない。

むしろもっと根深く、広範囲におよぶ問題であると考えているからこそ、「部分切除」という見た目には派手だが場当たり的な処置に意味を見出さないのである。



桜宮高校のケースは氷山の一角でしかないように思えてならない。

自殺者までは出ないにしても、学校を舞台とした罰の実態が、今後次々と明らかにされるのではないかと私は考えている。

そのとき、また入試を中止し、教員を総入れ替えしようなどと誰かが言い出すのだろうか。

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