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この話は、4月21日に開催された「2013マニフェスト大賞グランプリ受賞 大津市議会の現場から 地方議会のネクストステージを議論する研修会」(主催:ローカルマニフェスト推進地方議員連盟他)のセッション「首長の現場から地域経営を考える」で、コーディネーターの北川正恭早稲田大学教授(元三重県知事)との議論のなかでの見解だった。
越市長は弁護士出身。いじめの事件の調査を行うと、市が知らない資料がたくさんできてきたことから、これではだめだろうと第三者委員会でさらに調査を行った過程から廃止論へとなったという。その理由について簡単にまとめてみると次のようになる。
理由① 責任と権限が分散している
現在、制度改正が行われるが、これでは委員会の内部の話でしかない。一番の問題は、市長と教育委員会との責任の分担が明確ではないこと。いじめ事件で訴訟の対象になったのは学校の設置者の市長だった。独立した機関であるとはいえ、最終的に責任を取らないのが教育委員会。さらに、市長や議員のように選挙で選ばれていない
理由② 民意の反映ができていない
教育内容を決めるのは文科省大臣など政治が決めている。政治家は選挙により選ばれており、民意の反映。見方をかえれば、政治が教育に介入していることにもなる。しかし、政治家が決めた教育内容を地方は従わざるを得ないのはおかしなことだ。今回の改正で市長と教育委員会との会議ができたので、一定の民意を反映できるようになったことは評価したい。教育委員会制度を自治体だけでは抜本的に変えることは現状できないため、いじめ問題以降、市長部局で一元化して対応してきている。具体的には、市長部局で一からできないので臨床心理士や弁護士も入って対応するようにした。即戦力があり地域もあるので助けられた。それまではやってこなかったことだった。
その結果、学校を変えられることが分かった。いじめに取り組める人を選ぶこともできたという。
現在の教育委員は、非常勤で月に1、2回、1回あたり1~2時間の教育委員会定例会に出席する状態から今は月に7~8回出席し、学校への訪問や市長と教育の議論は月二回に行うようにしているのだという。
越市長は廃止論者だが、現状で何ができるかで行ってきたとされていた。
北川教授は、教育委員会は予算も人事も持っていないのに責任をとれるのかの問題もある。あいまいな状態だとも指摘されていた。現実はまさのこのとおりだろう。誰が責任を取るのかとなれば、越市長の主張も理解はできる。
■制度論の前に
しかし、制度を変えれば何事もよくなるとは思えない。大津の例を聞くと、教育委員会が隠ぺい体質であったことや事なかれで対応しようとしたことが原因ではないかと思う。そうだとすれば、制度だけが問題ではないはずだ。教育委員は市長が選任をして議会に提案し、議会が同意することで初めて任命される。市長が候補として選ばなければ、議会が認めなければ教育委員にはなれないのだ。選び認めた側の責任も考えることが必要ではないだろうか。と考えると現状のように、提案された本会議でそのまま同意への賛否を議会が行うことも再考すべきかもしれない。
武蔵野市の場合は、定例の教育委員会以外の活動も多く、市長と教育長の協議の場を月に一回程度行っており、以前の大津市のような状況ではないが、それでも現状での課題と改善策は何か、今以上に考えることも必要だと思えた。