- 2014年04月23日 07:00
「アラブの春」を契機に拡大した女性の公的領域と日常化する暴力 - 辻上奈美江 / 比較ジェンダー論
3/3「アラブの春」とヴェール
ヴェールは信仰の証であることに加えて、女性たちの経済状況、暴力予防、社会的地位などのさまざまな戦略性を形成するアイテムともなっているのである。
「アラブの春」においても、ヴェールは女性たちの戦略に役立った。たとえば筆者が観察したバハレーンでのデモ行進では、道路の中央分離帯を挟んで男性と女性がそれぞれ列を組んで行進していたのだが、中央分離帯の左側の女性列では皆、黒いアバーヤを着用していた。行進のあとで、そのデモ行進に参加していたという女性数名に会ったが、彼女らはデモ行進以外ではアバーヤを着用していない。行進の際、筆者自身がアバーヤを着用していなかったことを彼女らに伝えると「アバーヤを着用したほうが安全だ」とアドバイスされた。なるほど、アバーヤを着用すれば、容易には個人を特定できない。
筆者自身、このデモ行進の際に3回、催涙ガスが流れてくるのを経験したが、バハレーンではデモ行進者に対する警察および治安部隊による暴力が激化する「安全保障の逆説」ともいうべき現象が起きている[*7]。そのようななかで、ヴェール着用によって女性たちは一定の匿名性を確保することができ、そのことが安全確保につながるのだろう。また男女別々の列とはいえ、中央分離帯の向こうにいる男性の視線を避ける効果もあるかもしれない。
リンク先を見るバハレーンのデモ行進では、アバーヤは安全確保に役立つ(2013年3月、バハレーンにて筆者撮影)
「夜討ちのヴェール」も慣例化した。バハレーンでは、最大時で20万人がデモに参加したと言われている。総人口130万人のうち6、7人にひとりがデモに参加した計算になる。事態を重く見たバハレーン政府は、湾岸の盾軍の派兵を要請するとともに、2011年3月15日、3ヶ月間の非常事態を宣言した。非常事態宣言下、警察および治安部隊は、暴力的な手段でデモを鎮圧しようとした。ヒューマン・ライツ・ウォッチによれば、警察は、日没の礼拝中の民衆に対して、何の警告もなしにゴム弾や催涙ガス、あるいは実弾を打ち込んだ。夜中の強制捜査も日常化するようになった。シーア派野党のウィファーク党員やワアド党員の複数の女性が、非常事態宣言下の夜間の強制捜査の残酷さを筆者に語ってくれた。彼女らは、強制捜査に備えて、毎晩ヴェールを着用して仮眠を取ったという。強制捜査は明け方に終わるとされていたので、女性たちはそこから寝間着に着替えて寝室で休んだ。だが、ある女性は、明け方になって着替えて寝室で休もうとしたところを連行された。
だが、「アラブの春」の際、ヴェールは必ずしも女性の身体を守ってはくれなかった。エジプトのタハリール広場でデモに参加したために処女検査を受けることになった女性たちは、「彼女ら(デモに参加した女性)はわれわれの娘とは違う」ために、処女膜の検査を強制された。抗議参加女性に対する処女検査は「身持ちの悪い」女性への制裁であり、そのような行為を防ぐための見せつけでもあった。先述のドキュメンタリー「セックス、大衆、革命」でインタビューに答えた男性の例が示すように、女性はヴェールを被っていても、そうでなくても、セクハラしても良い「他者」なのである。
「青いブラの女」で知られるようになった、タハリール広場でデモに参加した女性についても同じことがあてはまる。タハリール広場で前開きの黒いアバーヤと思われる上着にジーンズをはいてデモに参加していた女性は、治安部隊に囲まれて殴る蹴るの暴行を受ける。YouTubeなどで広く公開された映像は、すでに彼女が両手を引きずられているところから始まるのだが、見る見るうちに彼女の上着ははだけ、青いブラと腹部があらわになった。それでも治安部隊の一人は彼女への暴行をやめなかった。彼は、青いブラの上から彼女を思い切り蹴った。同じ男性が何度も彼女を蹴った後、彼女の腕を引きずっていた治安部隊のもう一人が、はだけた上着を上半身にかぶせて映像は一旦途切れる[*8]。
おわりに
「アラブの春」を経験した中東地域において、ヴェールは新たな戦略性を帯びた。ただし、ヴェールを着用した女性もセクハラや暴力に遭う例は、その戦略がしばしば意味をなさないことを示唆している。
先述のナーディア・アル=アリーは、「アラブの春」にともなう暴力の常態化を問題視する。民衆と治安部隊や警察のさまざまなレベルでの衝突は、暴力を日常化させた。そのような暴力が、次第に私的領域における暴力を促す可能性もある。カンディヨティは、大胆にも「アラブの春」後の中東地域を「従来通りの家父長制」では捉えられないと指摘した。
たしかにより多くの女性が公的領域に参加するようになった。各国のデモにおいても、女性はさまざまな役割を果たした。レイプそのものが問題視されるようになったこともひとつの進展と言えるだろう。しかし、それでも「アラブの春」を契機に多くの女性がセクハラやレイプの被害に遭った。これらの深刻な事実は、女性の公的領域への進出を示唆する一連の変化によって消し去ることができるだろうか。治安の悪化、暴力の常態化によって、ますます女性の身体が危険にさらされるようになってきた。現段階でパラダイムシフトを宣言することは時期尚早であるように思われる。
[*7] 土佐弘之『安全保障という逆説』2003年,青土社.
[*8] http://youtu.be/mnFVYewkWEY
中東・北アフリカにおけるジェンダー―イスラーム社会のダイナミズムと多様性― (世界人権問題叢書 79)
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ISBN-10 : 4750335266
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辻上奈美江(つじがみ・なみえ)
比較ジェンダー論
東京大学大学院総合文化研究科スルタン・カブース・グローバル中東研究寄付講座特任准教授。神戸大学大学院国際協力研究科博士後期課程修了。博士(学術)。在サウディアラビア日本大使館専門調査員、日本学術振興会特別研究員(PD)、高知県立大学専任講師などを経て現職。専門は中東地域の比較ジェンダー論。著書に『現代サウディアラビアのジェンダーと権力』(福村出版、2011年)、共著に『境界を生きるシングルたち』(人文書院、2014年)、『中東政治学』(有斐閣、2012年)、『中東イスラーム諸国民主化ハンドブック』(明石書店、2011年)、『グローバル政治理論』(人文書院、2011年)などがある。



