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「デジタル教育は日本を滅ぼす」のか?

 田原総一朗さんが「デジタル教育は日本を滅ぼす」という刺激的な書物を2010年8月26日に刊行しました。タイトルからして、われわれの進めるデジタル教科書の推進構想とは真っ向から対立します。田原さんは尊敬するジャーナリストであり、私は映画「日本のいちばん長い夏」に共演したこともある間柄なので、参考になるに違いないと思い、急いで読んでみました。

 ところが、問題意識は正しいのに、結論が間違っています。タイトルと内容が逆転し、「デジタル教育が日本を救う」という内容にしか読めないのです。それは、今の教育はダメだ、改革しなければならない、という考えに立っているのに、そこにデジタル技術を導入すると「画一的で、正解だけを求め、先生を排除し、生徒一人ひとりを孤立させる」という固定観念に縛られているから。「デジタル教科書=ドリル」と「情報端末=電卓」で自習、というイメージで全編が描かれているからです。

 デジタル教科書や情報端末はこういう世界とは異なります。コンピュータは電子計算機であると同時に、映像・音楽の創作・表現ツール。コンピュータは世界中とつながるコミュニケーションツール。教育情報化は、これまでできなかった自己表現や創作を可能にして、先生や生徒が常時つながる中で、新しい教科書や教材で学ぶというもの。

 田原さんはネットの使い手であり、ツイッターでも盛んに発言していますが、そこは多様な価値観が行き交う開かれた世界であって、田原さんが批判する「自己完結で正解を追求する」世界でないはずです。

 熱心な学校の先生たちは教育の情報化にとても力を入れているし、デジタル教育を受けた子どもたちもこれを支持しています。情報化が先生を排するのとは逆に、熱心な先生であるほど情報化に真剣に取り組んでいるのです。

 そして世界各国で研究に研究が重ねられ、韓国、シンガポール、アメリカ、イギリスなどが国を挙げて取り組んでいます。田原さんの言うような教育改悪であるなら、世界的な趨勢になるわけがありません。

 他にも教育の情報化やデジタル教科書に対するこのような批判を耳にすることがあります。だが、どうやらその多くは、情報化やデジタル化を誤解しているか、コンピュータやインターネットを使っていないか、先生や子どもたちの現場の声を聞いていないか、世界で何か起きているか関心がないか、あるいはその全てです。

 教育の情報化やデジタル教科書のメリットや現状・動向は、このブログなり現在執筆中の書物なりでおいおい解説していきますが、その前に、「デジタル」なるものに対する漠然とした怖れ、情緒的な忌避感、新しい異物に対する嫌悪感は和らげておきたいです。これからの子どもたちにとって何が必要かを論じ対策を講じるのに、情緒や先入観は害となります。

 そこでひとまず、田原さんが指摘している点について回答しておきます。


 まず帯。「デジタル教科書時代に、教師は必要か?学校は必要か?」必要。「正解と間違いを教えることが学校教育ではない!」そのとおり。デジタル教科書はそのために設計されようとしています。

 デジタル教科書+情報端末は、1.自ら作って表現する創造力・表現力を養う、2.教室でも校庭でも先生・生徒とつながって共有する、3.世界とつながり多様な知識と価値観を得る、というメリットを追求するもの。つまり、創造・共有・効率。楽しく、つながって、べんり。田原さんはこのうち効率のところを問題視し、下記のように批判します。

 「教育は利便性の追求だけでよいのでしょうか」(p6)。「中学や高校の教育がつまらない。ようするに「正解」と「間違い」を指摘することしかしなくなったからだ」(p49)。

  正しい。教育は利便性の追求だけではいけない。自己完結し、教師も学校もいらなくってはいけない。正解と間違いを指摘することしかしなくなってはいけない。だから改革が必要であり、その手段として、道具としてデジタル教科書や情報端末を使えばどうか、というのがわれわれの提案です。

 デジタル教科書は効率化も進めるが、それより「創造力」「コミュニケーション力」をつけるためのものだから。多様な考え方や世界中の価値観に触れるためのものだから。そしてそれは先生が学校で使う。先生と生徒の間に立つ、教科書でありデジタル黒板でありデジタルノートなのです。

 「数学を教えると言うことは、数学を学ぶ楽しさを教え、それを体感させることなのである」(p49)。「日本の子どもは学力も学習意欲も、落ちていた」(p131)。そのとおり。そして、だからデジタルが役立つと申し上げたい。学力を上げ、楽しんで学習し、学習意欲を高める手段としてデジタル技術を使えばよい。デジタル技術が否定される要素が見あたりません。

 どうやら田原さんら反対者は、「紙+黒板+先生」が「情報端末+デジタル教科書」に置き換わると言いたいようです。そうではない。「紙+黒板+先生+情報端末+デジタル教科書」になるということです。将来、紙や黒板の一部がデジタル機器に置き換わっていくかもしれない。だがそれは、学校現場での実績や検証を経てのことになるでしょう。
 

 田原さんの本では、デジタル教育はいけないとする一方、見習うべきモデル先生として藤原和博東京学芸大学客員教授を持ち上げています。そしてもう一人、陰山英男立命館大学教授さんを持ち上げています。しかし、その両名は「デジタル教科書教材協議会」の副会長として、教育の情報化を推進しているツートップ。そういうかたがたの教育が正しいというなら、そういうかたがたの話をしっかり聞いていただきたい。

 「正解のある問題の解き方ばかりを教え、正解以外の答えに対してまったく価値を認めないために、コミュニケーション能力が育まれず、創造力や創造力が封じ込められてしまっている」(p189)。

 なるほどそれがこれまでのアナログ教育で行われてきたという批判は理解できます。しかしデジタル教育を指して「自己完結のかたちで正解が追求できるので、コミュニケーション能力や想像力、創造力は育たない」(p190)。そのようなデジタル教育が設計されているわけではありません。そして、だからこそ、多様な価値と創造性を育む教育環境、デジタル技術が可能としてくれる環境が必要なのです。

 要するに田原さんが言いたいことは「デジタル教科書が自己完結のかたちで正解を追求するからよくない」の1点のようです。であれば、そうじゃない教科書・教材にすればいいだけのこと。デジタルかアナログかの問題ではありません。

 かつて映画を見るのは不良と言われました。テレビで一億総白痴化とされました。新メディアが登場するときに旧世代が不安と反発を抱くのは仕方のない面があります。だが、いい映画もあればダメな映画もあります。いいテレビもあればダメなテレビもあります。メディアが悪いんじゃなくてコンテンツの問題です。

 デジタル教育も、もしも「自己完結で正解追求」に向かってしまうとすれば、それはデジタルが悪いのではなく、コンテンツがいけない。よいコンテンツを開発していくことはデジタル教育を推進する側の重い仕事です。もちろん、それも含め、デジタル化が万能でバラ色だなどと言うつもりはありません。デジタル教育にも課題だらけであり、研究し、開発していかなければいけないテーマが山積しています。恐らく田原さんは、そこをしっかりわきまえて物事を進めるようにしろ!と田原さんなりの表現で喝破されたということなのでしょう。

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