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- 2011年01月09日 11:30
修士課程修了後10年のあいだに何をなすべきか:一つのロードマップ
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研究の生産性とは、単位時間あたりの研究の量 × 質みたいなものをイメージしている。私が勧めている戦略は、「一生に1本本当に優れた論文を書く」というよりも、「一定の水準をクリアした論文を多く書く」というほうに近い。他人に評価されなければ就職するのは難しい。それゆえ、安定した地位を得るためには、とうぜん評価される研究をできるようになる必要がある。また、「一生に1本本当に優れた論文を書く」と言っている人たちの大半は、大した論文を一生書かずに一生を終える。F. ソシュールとか、G. H. ミードとか、まれにほとんど論文や本を書かずに優れた研究を残す人がいるが、こういう人たちは現代では少数派だろう(ちゃんと調べたわけではありません)。逆に優れた研究者は多産な場合が多く、そういう例は枚挙にいとまがない。ただし、適当な思いつきを大した根拠もなく書き散らす人々もいて(出版前のピアレビューがなければそれが容易になる)、確かにたくさん本を書いているから優れた研究者というわけではない。しかし、私がお勧めしているのは、あくまで「一定の水準をクリアした論文を多く書く」ということである。もちろん、そういう作業が、結局は本当に優れた論文の作成にもつながる、というかたちになるように気をつける必要があろう。ただ、最初からホームランを狙うよりは、高い打率でクリーンヒットを打つことをこころがけよ、と私は言っているだけである。
そのほか、思いついたことをランダムに書きます。
そのほか、思いついたことをランダムに書きます。
- 研究テーマの変更 研究テーマの変更や複数のテーマの専攻はかなり悩ましい問題で、私自身いつも悩むのであるが、研究テーマを変更すれば、新しいテーマを一から勉強する必要があるので、事実上、修士課程からやりなおすのに近い作業が必要と覚悟すべきである。とうぜん、博士論文の執筆はそれだけ遅れる。しかし、生産性の著しく低い研究テーマや自分に向いていない、関心の持てない方法やテーマであれば、いくら頑張っても無駄なので、早めにテーマを変更したほうがよい。複数のテーマに習熟することは研究者としての幅を広げ、後々じわじわと実力を高めることに寄与するかもしれない。それゆえ、テーマの変更が大きなメリットをもたらすこともある。問題は、実際には、テーマを変更すべきかどうか、その見極めが難しいということである。迷う場合は、社会的なニーズのあるテーマを選んでおいたほうが無難であるといっておこう。ある程度以上の研究歴がつき、一定の実力があれば、原稿の依頼や調査チームの一員になることを依頼されることがある。そういったテーマは社会的ニーズがある、と私は考えている。もちろん、いいように利用されて使い捨てにされて終わり、という場合もあろうから、信用できる相手かどうか気をつける必要があるが、原稿の出版が約束されているような場合は、基本的には、そういうテーマに関してはニーズがあるのである。
- 研究グループへの所属 自分の指導教員以外で、自分より年長の優れた研究者(すでにテニュアの研究職についている人)の属する、比較的小規模の研究グループに属すべきである。それは定期的に行われる研究会や学会、勉強会でもいいし、調査プロジェクトのグループや、出版のためのグループでもよい。これはその分野の最新の研究動向や、その分野の研究者が必ずしも書かないが、共通の前提にしているような暗黙知を知る上で決定的に重要である。また、年長の研究者は優れたロール・モデルを提供してくれる場合もあるし、そういう場に参加することは、研究のモチベーションを維持する上で決定的に重要である。また、そういう人間関係を介して原稿執筆依頼が来ることも多い。書けなくなる人の多くは、こういうグループに属していない(が、因果の向きはよくわからない)。
- マスメディアとの関係 大半の研究者には関係ないが、マスコミ受けするテーマをやっている場合、新聞や雑誌などへのコメント依頼や、講演、対談などの仕事が来る場合がある。私自身は幸か不幸かそういう経験があまりないのでよくわからないのだが、結論的にはほどほどにしておくべきであろう。上記の目的に照らせば、マスコミに露出してもほとんど研究の生産性上昇にはつながらないし、安定した職を得る上でもあまり影響がないのではないだろうか(自信はない)。「客寄せパンダ」になれるほどマスコミに出られれば、あるいは職を得る上でメリットがあるだろうが、多少出たぐらいではあまり影響がないような気がする。また社会学者のマスコミに対する思いはアンビバレントなものがあり、見下す一方で、メディアに露出する人々を羨望しているような人々もおり、その怨念がメディア露出度の高い研究者に向かう場合もある。しかし、取材する記者から逆に有益な情報が得られる場合もあるし、講演に行った先で聴衆から有益な情報が得られる場合もある。そういった人間関係が、普通なら不可能な調査を可能にすることもある。また、研究成果を社会に還元する上で、マスコミは有効なチャンネルである。研究者の社会的責任として、自分が責任を持ってコメントできることに関してならば、コメントすべきである。そういうわけであまりはっきりした答えはありませんが、、直感的には、若いうちはアカデミックな世界で地歩を固めることのほうを重視したほうがいいような気がします。
- 学会発表 学会発表は年に1〜2回程度がいいかもしれない。多すぎると、発表の準備が忙しくて論文が書けなくなるので、ほどほどにすべきである。しかし、発表には期限があるので、ある期限までに研究をまとめる上では、役に立つ。また、自分のよく知らない聴衆の意見を聞くことができるし、名前を覚えてもらう上でもメリットがある。それゆえ、論文執筆やその他の仕事の妨げにならない範囲で、定期的に行うべきなのだが、直感的には、年に最低1回ぐらいが目安か。私は2009, 2010年は、年に3回、学会報告していて、それ以外にも講演とかやっているのでやりすぎなのかもしれないが、私は怠け者なのでそういうかたちでコミットメントしないと研究がなかなか進まないという問題があるのである。



