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- 2010年08月15日 18:07
『近代日本と社会学: 戦前・戦後の思考と経験』
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秋元 律郎
学文社
¥ 2,625
(2004-08)
明治時代から1960年代あたりまでの近代日本社会の変化とそれに対して社会学がどのように対応してきたのかを、社会思想に焦点を当てて論じた本。わかりにくい。まわりくどい。社会学史の専門家以外には薦められない。講義ノートといった趣の本で、どこにオリジナリティがあるのか、何が言いたいのかいまひとつよくわからない。秋元によれば、「日本の社会が、導入にまつわる性格から、常に観念性を指摘されながらも、実は絶えず一定の歴史的背景のなかで課題を受けと」(p.175)ってきたことを論じた本ということになるが、「それは当たり前だろう」という感じで特におもしろいとかびっくりしたということはなかった。「観念性」とはおそらくあまりデータにもとづいて理論構築していないということなのではないかと思われるが、そういう人ほど自分の生活実感を著作のなかに垂れ流すというのはよくある(データによって理論をチェックしないので)ことで、歴史的背景が著作に反映されていたとしても不思議ではない。
ただし私は日本社会学史はしろうとなので、日本社会学史の専門家ならばもしかしたらそれなりに楽しめるのかもしれない。
明治時代に社会学が日本に輸入された当時(1880〜1920ぐらいか)は、スペンサーの社会進化論/社会有機体説が強い勢力を持ったが、以下でのべる3つの新しい流れによりマルチパラダイム状況となるが、その後、第二次世界大戦中は、「大東亜共栄圏の翼賛的な論調」(河合隆男『近代日本社会学の展開』からの孫引き)に迎合していく。戦後はいわる市民社会論へと転じ、民主化/近代化を阻む「封建」的な要素(すなわち日本的農村/家族)の研究が中心になっていく。1960年代には高度経済成長をうけて、肯定的な日本社会論が流行し、近代化=西欧化論の見直しが行われたという。さて、明治から昭和初期の3つの新しい流れとは以下の3つである。
個人的には、社会学者集団の規模とか、組織(学会、大学内での地位)とか、派閥とか、そういうこととからめて学説についても解説してほしかった。また、あらためて歴史を書くことの意味を考えさせられた。歴史を書くことは、ふつう何らかのメッセージを伝えることと不可分だと思うのだが、何を言いたいのかわからないのである。最近の社会学は歴史的な課題を「主体的に自覚」(p.170) していないとでもいいたいのだろうか。
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秋元 律郎
学文社
¥ 2,625
(2004-08)
明治時代から1960年代あたりまでの近代日本社会の変化とそれに対して社会学がどのように対応してきたのかを、社会思想に焦点を当てて論じた本。わかりにくい。まわりくどい。社会学史の専門家以外には薦められない。講義ノートといった趣の本で、どこにオリジナリティがあるのか、何が言いたいのかいまひとつよくわからない。秋元によれば、「日本の社会が、導入にまつわる性格から、常に観念性を指摘されながらも、実は絶えず一定の歴史的背景のなかで課題を受けと」(p.175)ってきたことを論じた本ということになるが、「それは当たり前だろう」という感じで特におもしろいとかびっくりしたということはなかった。「観念性」とはおそらくあまりデータにもとづいて理論構築していないということなのではないかと思われるが、そういう人ほど自分の生活実感を著作のなかに垂れ流すというのはよくある(データによって理論をチェックしないので)ことで、歴史的背景が著作に反映されていたとしても不思議ではない。
ただし私は日本社会学史はしろうとなので、日本社会学史の専門家ならばもしかしたらそれなりに楽しめるのかもしれない。
明治時代に社会学が日本に輸入された当時(1880〜1920ぐらいか)は、スペンサーの社会進化論/社会有機体説が強い勢力を持ったが、以下でのべる3つの新しい流れによりマルチパラダイム状況となるが、その後、第二次世界大戦中は、「大東亜共栄圏の翼賛的な論調」(河合隆男『近代日本社会学の展開』からの孫引き)に迎合していく。戦後はいわる市民社会論へと転じ、民主化/近代化を阻む「封建」的な要素(すなわち日本的農村/家族)の研究が中心になっていく。1960年代には高度経済成長をうけて、肯定的な日本社会論が流行し、近代化=西欧化論の見直しが行われたという。さて、明治から昭和初期の3つの新しい流れとは以下の3つである。
- 都市化の進展に伴い明治末期に「貧民窟」が発見されたことにより、社会調査と都市社会学というパースペクティブが導入され(1900〜1930年ぐらいか)、シカゴ学派のモノグラフの紹介や理論の摂取もなされる。行政の行った調査の重要性も強調されている
- 群衆の登場。1905年の日比谷焼き討ち事件が象徴的な事件として取り上げられている。群集といえばル・ボンとタルドだが、当時すでに日本で紹介されており、特に米田庄太郎と新明正道の研究が出色だったという。いずれも群集をどのように御して社会を民主化していくかに関心を持っていたようである。
- 知識社会学の摂取。特にマンハイムの『イデオロギーとユートピア』(1929)が読まれたという。当時の日本社会学は特にドイツから強い影響を受けており、イデオロギー論が重要なテーマであったという。マンハイムが歴史主義の立場からマルクス主義的なイデオロギー論を乗り越えようとしていたのはよく知られているが、日本国内でもいち早くこれを摂取し、論争が起こったようである。
個人的には、社会学者集団の規模とか、組織(学会、大学内での地位)とか、派閥とか、そういうこととからめて学説についても解説してほしかった。また、あらためて歴史を書くことの意味を考えさせられた。歴史を書くことは、ふつう何らかのメッセージを伝えることと不可分だと思うのだが、何を言いたいのかわからないのである。最近の社会学は歴史的な課題を「主体的に自覚」(p.170) していないとでもいいたいのだろうか。



