- 2014年04月15日 12:09
どうする、日本の教育!僕がどうしても言いたい2つのこと
先月の「朝まで生テレビ!」は、「激論!“安倍教育改革”」をテーマに、日本の教育の未来を徹底的に話し合った。番組では語り切れなかったことをここで言っておきたい。
日本の教育には、2つの大きな課題があると僕は思っている。ひとつは「道徳」、もうひとつは「人材の育成」についてだ。
僕が子どものころには、「教育勅語」というものがあった。教育勅語は、大日本帝国憲法が発布された1年後の1890年に発表された。当時の「正義と倫理」を詰め込んだものといっていいだろう。明治国家の外側は憲法、内側は教育勅語だった、と僕は思っている。
戦前の子どもたちは、みな学校で教育勅語を暗記させられた。いまでも僕は暗唱することができる。「朕(ちん)惟(おも)うに我が皇祖皇宗國を始むる」から始まって、「父母ニ孝ニ、兄弟(けいてい)ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信シ」とくる。父母には孝行し、兄弟は仲よく、夫婦むつまじく、友だちは信じ合う、といった意味だ。「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉シ」という軍国主義に通じると思われる言葉が、なかにはある。だが、ほとんどが現代にも通じる、生きていく上で大事な教えが、たくさんあったと僕は思う。
いわゆる明治憲法は、明治の元勲、伊藤博文が中心になって制定した。憲法制定の下準備のためにヨーロッパ諸国を視察したとき、伊藤は、あることに気がついたという。イギリス、アメリカ、ドイツ……、どの国も国民の心の根底に「キリスト教」があるのだ。
「嘘をいうなかれ」「殺すなかれ」「盗むなかれ」……。キリスト教は「~するなかれ」という戒(いまし)めの宗教である。だから、国民の多くがキリスト教徒である欧米諸国の憲法は、個人の心の中まで踏み込む必要がない。
一方、日本は仏教徒が多い国である。そして日本の仏教は、きわめて戒めが少ない宗教だ。キリスト教徒と違って、仏教の信者は毎週お寺に通ったりしない。しかも、「八百万(やおよろず)の神」の言葉があるように、どんなものにでも「神が宿る」という発想がある。日本人の宗教観は、よく言えばおおらか、悪くいえばいい加減なのだ。
ヨーロッパ諸国を視察した伊藤は、そこでハタと悩んだ。日本のような国を治めるのに、憲法だけでよいだろうか--。そこから生まれたのが、教育勅語なのだ。憲法ではカバーできない心の問題を、天皇が「教育勅語」として国民に与える形をとった。先に書いたとおり、憲法と教育勅語は、日本を支える両輪だったのだ。
ところが戦後になって、「教育勅語」は廃止された。新しく日本国憲法はできたが、一方の「心」の指針はなくなったままだ。
日本人の道徳の欠如、社会の乱れの原因はここにある、というのが安倍首相の見方だ。それならばと、安倍首相は憲法に道徳的な考えを盛り込もうとした。「家族は仲よく」ということを憲法に明記しようというのだ。
だが、心の内面にまで憲法が入り込む必要があるのか。たとえば、さまざまな議論をとおして、人として大事なものを学ばせることは、充分に可能ではないか。そもそも、心の問題を憲法に盛り込んでいいのか。
僕が考える日本の教育のふたつめの課題「人材の育成」も、深刻な問題だ。
僕は、故宮澤喜一元首相が、「日本人の政治家や官僚は、国際会議の場で発言ができない」と嘆くのを聞いたことがある。問題は「英語力」なのかという僕の問いに宮澤さんは「違う」と否定して、次のような話をした。
日本の教育は、「正解」がある問題しか出さない。その正解以外は認めない。違う答えを言うと、「ちゃんと勉強しろ」と叱るだけだ。けれど、欧米諸国では違う。間違っても構わないから、とにかく早く発言することをよしとする。求められるのは、自分の論を堂々と展開できることなのだ。
設問も違う。フランスでは、大学受験資格をとるための「バカロレア」という試験がある。その試験の設問は、次のようなものだ。「自由と平等とどちらが大事か」。この質問に、生徒たちは自分の頭で考え、論を展開していかなければならない。
日本の教育は、与えられた問題にしっかり正解する能力を育てる。だから、与えられた仕事をきちんとこなすことはできるようになる。だがそれでは、答えのない課題に取り組み、自分の頭で考え、解決していく力は育たない。
実社会では、正解のない問題のほうが圧倒的に多い。日本とフランス、これからの時代にどちらの教育がより必要とされるかは、明らかだろう。
近年、日本でも「自ら考える」ことの必要性が理解され始めたようだ。それに沿った教育も、ようやく採り入れられ始めている。これからの若い世代では、自分の頭で考え、議論ができる、そんな人材が増えていくのだろう。
加えて、子どもの失敗を叱るのではなく、失敗をおもしろがったり励ますような教育も必要だ。失敗を恐れない若者が、もっともっと増えることが、いまの日本には必要なのだ。
最近、僕が出会う30代の経営者やNPOの代表など、期待できる若者が増えているように感じる。正解のないことに挑戦するのだから、失敗することもある。だが、彼らは失敗を恐れない。彼らのような若者を増やすことが、ほんとうの教育改革なのだ。



