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バックパッキングという物語の変容〜バックパッキング・バブルが去った後で(2/3)

バックパッキングという「物語」の変遷と消滅についてメディア論的に考えている。前回、70年代のバックパッキングの大衆化が学生の卒業旅行(当時この言葉はない)、つまり青春の終わりとしての夏の北海道バックパッキングという物語によって牽引されていたことを示しておいた。だが80年代に入ると、この物語は消滅。新たな「差異化消費の物語」がバックパッキングに付与され、それが海外バックパッキングという大きなムーブメントの牽引車となっていく。

80年代~海外バックパッキングの隆盛

『地球の歩き方』と格安航空券の出現

海外バックパックを煽った二つのメディア:『地球の歩き方』と格安航空券
80年代、バックパッキングの行き先は北海道から海外へと変更される。これは明らかにメディア・イベント的に資本=送り手側から作られたムーブメントだった。資本は二つ。

一つは海外ガイドブック『地球の歩き方』(ダイヤモンドビッグ社)だ。現在でこそ、このガイドは単なる海外旅行ガイドだが、その始まりはバックパッキング的な旅を志向する旅行者に向け編集されたものだった(『地球の歩き方』を企画・出版した西川敏晴(後にダイヤモンドビッグ社社長)は、当初自らが企画したバックパックもどきの海外旅行「ダイヤモンドステューデントツアー」(三十日間のゲストハウスを泊まり歩くパックツアーみたいなものがあった。ちなみに西川はこのツアーを「卒業旅行」と位置づけ売り出している。そしてこの言葉は、これ以降一般化する)の実施に際して、参考資料として非売品のヨーロッパのガイドブックを作成し、これを参加した旅行者に配布した。この名前が『地球の歩き方』で、それが販売され現在のシリーズが生まれたのだ)。

もう一つは格安航空券で、その嚆矢とも言えるのがインターナショナルトラベルサービス(現エイチ・アイ・エス)によるインド向けの格安航空券の発売だった。現在では『地球の歩き方』は数百種類のガイドを発行し、エイチ・アイ・エスも旅行業界ナンバーワンだが、この二つが実はバックパッキングからのし上がっていったという事実は、八十年代以降の海外旅行ブームとバックパッキングがきわめて密接な関わりを持っていたことを示す象徴的な事柄と言えるだろう。

この時のバックパッカーも、その中心層は大学生だった。そしてこの学生層に『地球の歩き方』と格安航空券が次のような一元的な物語を提示していったのだ。

マーケティングにおける差異化消費とバックパッキング

80年代前半、マーケティングの分野で提唱された議論に「差異化消費」という考え方があった。ご存知のように80年代は90年代初頭のバブル崩壊に向け、景気が右肩上がりで上昇していった時代である。その際、こんなものの語られ方がマーケティング(主として電通)でもてはやされた。

「時代はもはや豊かな時代。誰もがたいていのものを所有している。だから、かつての「人並みになりたい」という欲求は満たされた。そこで、現在人々が欲しているのは「人と違っていること」だ。つまり、みんなが欲しがる大衆的なモノより、それを所有することで自分を人と差異化することが可能になるモノを欲するようになった。」

これは、当時の言葉を用いて集約すれば「ダサいヤツらに差をつける」となる。そしてそのために「差異化」消費=カネを使って人と違うことをする、が求められるとされたのだ。こうやって人とは異なる消費を志向する大衆は大衆が細分化したので分衆と呼ばれた。そして、それを象徴する存在が若者であり、こういった消費をする若者は新人類と呼ばれたのだった。

そして、こういった新人類=分衆(実際に存在したかどうかは関係ない)の差異化消費の一つとして資本が提示したのが海外バックパッキングだったのだ。

海外旅行に行けば、国内旅行より洒落ている。つまり多少なりとも「ダサいヤツらに差をつける」ことが出来る。ただしパックツアーのそれはおじさん・おばさんと同じ大衆的な消費行動だからダサい。だから、お仕着せのない自由な旅であるバックパッキングをすれば人と違った個性を得られる。

実際に個性が得られたかどうかは別として、こういった物語を『地球の歩き方』と格安航空券が煽ったのは確かだ。そして、このバックパッキングというメディアイベントに花を添えたのがオーセンティックな旅といった幻想だった。自分の足と頭を使って、観光地より街の風景を見てみること、これこそが「本当の旅」。そしてその本当の旅をする若者こそがイケている……。

八十年代初頭、年間海外渡航者は200万人程度。一般人が海外に出る場合、選択肢はパックツアーとバックパッキングしかなかった(海外留学や海外出張はエリートのみに許された特権だった)。当然、前者が大衆、後者が分衆ということになる。

ということで、バックパッキングは若者に「こうすればオマエはイケてる」(当時「イケてる」という言葉はないが)という物語消費を煽ったのだ。大学のキャンパス内には格安航空券のポスターが貼られ(なぜか、インドだった。これはインターナショナルトラベルサービスがインド行きのチケット=パキスタン航空から発売を開始したからだ)、大学生協の書籍部にはゴールデンウイークを過ぎた頃から『地球の歩き方』が何種類も平積みされてバックパッキングを煽る。

そうこうするうちにアーリーアドプターたちの武勇談がキャンパス内に響くようになる。しかも、バックパッキングは当時はまだ珍しがられたから、差異化消費の対象としてはもってこいで、就活の面接の格好の武器とも言われたほどだった。

プラザ合意による海外旅行の大衆化とバックパッキング本の隆盛

こういったメディアイベントにさらに二つの要因が拍車をかける。ひとつは1985年のプラザ合意に伴う急激な円高の進行だ。これで格安航空券はさらに低廉となり、海外旅行それ自体が一大ムーブメントとなった。当然、海外旅行の一形態であるバックパッキングも人気を博するようになる。もう一つはバックパッキング本の氾濫だ。旅のマニュアルが出版されると同時にバックパッキングを基調とした紀行文=バックパッキング本が登場し、沢木耕太郎、下川裕治、前川健一、小林紀晴、蔵前仁一といった「バックパッキング作家」たちが支持を得た(沢木は『深夜特急』のみだが)。これら著者の作品はバックパッキングをしながら現地で見聞したことをちりばめるというのが基本的な展開、いわばバックパッキングの「副読本」だった。ただし、これらもまた「旅とは何か」そして「オーセンティックな旅」「バックパッキングの本質」的な物語を基調に展開されていた。そしてしばしば扱われたのが、バックパッキングでさらに奥地、一般の立ち入らない分野に入っていく必要があるといったような「差異化」志向で、しばしばこれら作者は高踏的な立ち位置、まあ要するに上から目線でこれらを煽るというものだった(例外は後発の蔵前仁一だった。蔵前は、自らの旅を等身大の「フツーの旅行者」としてイラストを挟み込んでバックパッキングを表現した)。

バブルは90年代初頭に崩壊するが、旅について、そしてバックパッキングについては崩壊することはなく、むしろさらに人気を上昇させていく。そしてバックパッキングを本格的に世間一般に認知させたのが日本テレビ『進め!電波少年』の「猿岩石、ユーラシア大陸横断ヒッチハイクの旅」という企画だった。ここでは若手のお笑い芸人猿岩石(一人は有吉弘行)が、沢木の深夜特急よろしく香港からロンドンまでをヒッチハイクだけで旅する姿を追いかけ、これが大人気を呼んだのだ(この企画は『深夜特急』を雛形としている)。

だが21世紀に入るとバックパッキング熱は急激に冷え込むようになっていくのである。(続く)

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