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【ネット初掲載】鎌田慧の痛憤の現場を歩く「冤罪・袴田事件(下)」

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「一つは新聞記事。もう一つは、自白があることに対する特異な雰囲気、妙な威圧感、そういうものは今の裁判官でもありますよ」

――いったん自白があがると安心するわけですね。

「そう。正確に言うとよりどころ。屁理屈の理由づけになります」

――一通だけを任意性と信用性があると判断したのは、とにかく一つの調書を認めないと有罪だという論拠が成立しないから、それを使った?

「それはそうですよ。同じ日のポリ(警察)の調べはおかしくて、検事になってからはおかしくないなんて、そんなバカなことはないです。だからそれはおっしゃるとおり」

――裁判長は結局、世論の力に負けて、じゃあ、これ、有罪にしようというふうに言ったんですか。

「いやいや、ちがう。そういわれると、それは本当に、裁判に対する誤解だと思う。あれは私がいちおう形の上でもっともらしく有罪判決をとりつくろった文章でしてね」

――それはよく表れています。

「でも鎌田さん、それらしききちんとした理路整然とした判決。だけど誰かわかってくれないかな。要するに、二兎を追う者は一兎も得ずで」

     自らの死に場所を探したこともある

――その矛盾を高裁は理解できなかった。

「控訴審の裁判長になった横川敏雄といえば、岸盛一とならぶ刑事裁判のエースですよ。それで私は気づいてくれると信じて、安心してました」

――高裁判決は、原審判決の作成について、法令違反があると弁護人は主張するが、「記録を精査しても(中略)所論のような事実があつたことを認めるに足りる証拠はない」と書いています。だから熊本さんが、バレーボールの球みたいにあげておいたんだけど、高裁はそれを打たなかったんですね。法令違反はないというふうに言い切ってしまうしか、原審を支持できない。

「それも屁理屈。そうなっているのか。まだ見せてもらっていないので」

――一審の判決文は、無罪の論理構造の上に有罪、「死刑」の主文がはいっている。鉄筋の土台の上に、急ごしらえのバラックを建てた。「無罪」と書いておくだけで、ご自分のつくった建築物はちゃんと機能したじゃないですか。

「私がなぜそうしなかったかって? だけど、私はしたくないんですね。有罪にできないんだ」

――でも主文は死刑、と書いてあって有罪と書いてあるわけですから。

「二審、最高裁、私の書き方でみんな引っかかったんですよ」

――有罪判決はまだそのまま維持されているわけです。高裁や最高裁は疑問を持ちながらでも、事実はいまだそのままなっているのですからね。

「だから今回オープンにしたんです」

――告白されたことを前提に聞きますが、なぜあのとき(無罪判決を)出せなかったのでしょうか。やはり法曹界というか、裁判所自体の問題なんですか。

「それは私自身の問題ですね」

――三人の裁判官がいるわけですから、本人だけがかぶるわけにいかないじゃないですか。

「だけどかぶるしかないですよ。数字的に言うと私は三分の一の責任だが、それを私は四〇年間背負ってきたんです。まだ背負った責を離したわけではありませんよ。今回の告白は、心理的、精神的な解放のきっかけだと思います。私の責任は絶対一生消えないと思う。けれど、その重さと袴田君の背負っている重さと比べれば質的に違うし、私が今後どれほど彼に何をできるかということ、それでも一〇〇分の一にも足りない。

 北欧三か国に実は三回行きまして、最初の二回はノルウェーのソグネフィヨルド、三〇〇〇メートルぐらい深い切り込んだ海の、あのへんで死に場所を探した。あそこで冷凍人間になったら一生誰にも姿かたちをみられない、と思ったこともあります。

 私がハンコを押さなきゃ物事は始まらなかった。じゃあ押さなかったらどうなった。結論が変わるかといったら変わらないですよ。もっとすんなりといったかもしれません。死刑執行されていたかもしれません。まあ、いろいろなことを考えて、私自身、ぶち切れそうになったのはなん度もあるけど」

――死刑判決のとき、袴田被告を裁判官席で見ておられて、その記憶は。

「忘れません、一生。『被告人、立って』。彼は、判決の主文いいわたしの直前まで、無罪と信じていた、とあとでききました。袴田君の肩がガクッと落ちて……その瞬間から、私は石見さんが何を読んだか覚えていない」

     インタビューを終えて

 熊本元裁判官が、四〇年近くにわたる苦悶から脱却し、勇気をふるって袴田判決の真実を語ったとき、会見場にいた記者から、「評議の秘密」を暴露するのは、裁判所法に違反している、との批判がだされた、という。実際、その批判は記事にされている。が、これは逆立ちした論理といえる。

 元裁判官は、自分が決定できなかった冤罪を解決したいがために、敢えて「生き恥を曝した」のである。この重大な「心の吐露」としての「内部告発」を、規則を盾にする小癪な批判で喰いとめられるものかどうか。まして、ひとりの生命がかかっているのである。

 記者はいったいだれのために記事を書いているのか。記者は先輩たちが尻馬に乗って煽り、冤罪をつくりだしたことにたいして自責の念がないのか。いまにいたっても、まだ警察や検察の援護射撃をするのか。それが職業の本懐なのか。

 東京地裁に勤務中、熊本さんが勾留請求を却下した率は、三割におよんだ、という。最近、裁判官は検察官の家宅捜索令状や勾留請求をほぼ一〇〇%認めている。裁判官の独立は、もはや神話化している。

 熊本さんは、ときには声を詰まらせ、涙を浮かべながら語った。彼はこの一審判決から七カ月たって退官し、弁護士に転業した。

 三人の裁判官のうち、ひとりでも反対すれば、死刑にすべきではない、と熊本さんはいま主張している。それは遅すぎた告白といえるかもしれない。しかし、裁判官の人間的な弱さが冤罪をつくりだしたのなら、勇気ある告白が事件を解決にむかわせている。裁判官が、ただ良心のみに従って「判決文」を書ける日は、いつになるのだろうか。

(鎌田慧・ルポライター、2007年4月20日号)

※この記事は単行本『絶望社会――痛憤の現場を歩くⅡ』(小社刊)に入っています。

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