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計算する知性といかにつきあうか――将棋電王戦からみる人間とコンピュータの近未来 - 久保明教

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第五局: 「わかっていること」の外に踏みだす楽しさ

最終第五局。先手は名人挑戦をかけて十人の棋士が争うA級順位戦に10年以上所属するトップ棋士・三浦弘行八段(39)、後手はコンピュータ将棋選手権一位、東京大学のコンピュータ700台弱が構成するクラスタ上で動くモンスターマシン「GPS将棋」である。

「脇システム」と呼ばれる三浦が得意とする戦型に進んだ本局の序盤、GPSが△7五歩▲同歩に△8四銀として戦いの口火を切った(下図)。歩の入手が難しい脇システムにおいて突き捨てた歩を取り返さない△8四銀は、見守る棋士たちにとって直観的に「それはないだろう」と感じられる手であった。

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第一局のようにソフトの無理攻めを咎めて優勢を築くチャンスとみた三浦は、自分は攻めずに相手の攻め駒を圧迫していく「押さえ込み」を狙って守備陣を押しあげる。だが、GPSは大駒を責められながらも歩を巧みに使って相手の守備駒を上ずらせ、その裏側に金と歩を打ち込んだだけで三浦陣を崩壊させてしまう。

無理気味と思われた仕掛けをA級棋士が咎められず、次第にGPSが盤上を制圧していく。第二局や第三局の敗戦にも見られなかったソフトの不気味な迫力に見守る将棋ファンが言葉を失うなか、先手玉は淡々と追い詰められていき、102手で三浦の投了となった。終局後に自分の指し手の「どこが悪かったのかわからない」と語った三浦は、数日後に受けたインタビューで次のように述べている。

あれでさえ、どのくらいの力を出しているのか。まだどのくらいの力があるのか。想像がつかないというのが正直なところです。[……]太平洋戦争について、「なぜ日本軍はあんな無謀な戦いをしたのか」とよくいわれるじゃないですか。でも、本当はあのとき日本軍にも、冷静にアメリカの強さを計算できた人はいたと思うんです。お互いの国力を比較して、もし最悪の予想が的中した場合は、勝ち目はないと。それでも開戦に踏み切れたのは、まさか相手がそこまで強いとは思わなかったからなのでしょう。ところが、いざ戦ってみたら、そのまさかだった。そういうことだったのだろうと思うんです。今回の勝負で私は、そういうことは実際に起こりえるのだと学びました。[……]将棋連盟の棋士として勝たなくてはならないという立場を別にすれば、GPSは指していて楽しい相手でした。自分より明らかに強い相手と指すという、将棋本来の楽しさを思い出させてくれました。もしも、どこか誰も知らないところでひっそりと対戦できていたら、どんなによかっただろうと思います[*8]。

人間側の敗北に終わった第二局や第三局では、棋士が犯したミスが勝敗に大きく影響している。対して本局は、脇システムのスペシャリストである三浦が明らかな悪手もなく指し進めたにも関わらずGPSの圧勝に終わった。三浦自身が大戦時の敗北に喩えているように、これは棋士にとっては壊滅的な事態である。

だが重要なのは、この対局が三浦に「将棋本来の楽しさを思い出せてくれる」ものでもあったということだ。自らの経験と技量に基づいた構想が相手の指し手によって完全に崩壊していく。その悲痛な状況は、だが、自分がこれまで知らなかった盤上の論理に初めて触れる喜びをともなっている。△8四銀という奇妙な手をとがめる方法が、三浦をはじめ見守る一流棋士たちにも「わからない」という事態。その痛みの只中においてこそ、これまでに「わかっていること」の外部に踏みだす「楽しさ」が生まれていくのである。

電王戦終了後、△8四銀は脇システムにおける新たな研究課題となり、二か月後のA級順位戦(屋敷‐三浦戦)では同じ陣形からの仕掛けがなされた。ソフトの指し手に棋士の工夫が加味された新手は、現代将棋のあり方に今後とも大きな影響を与えていくだろう。

痛みの中に生まれる未来

20世紀末まで、コンピュータやロボットと人間の関係をめぐっては、一方による支配に対して他方が反逆するというオチの決まった物語が数多く生み出されてきた。だが、21世紀を生きる私たちにとってより重要なのは、これらの計算する知性と否が応でも共存せざるをえない状況において、いかに彼らと末永くつきあっていけるのかという問いである。

「線の大局観/点の大局観」と表現した棋士とソフトの違いに見られるように、コンピュータやロボットは人間との相互作用の場において私たちとは異なる思考や行為のあり方を突きつけてくるだろう。それは、第二回電王戦が既存の将棋観を大きく揺さぶりながら様々な可能性を示していったように、私たちが自明としてきた前提を根底から捉え直し、機械と共に新たな思考や行為や倫理のあり方を探り出していく契機となりうる。

ただし、計算する知性との相互作用を通して既存の知識や倫理の自明性が崩れていくプロセスには激しい痛みが伴う。コンピュータの計算力とアルゴリズムの論理は、人間性という名の下に保護されてきた多くのものを追いやっていくだろう。延々と続く相入玉戦のなかで酸いも甘いも噛み分けたベテラン棋士塚田が単なる「仲間想いのおっさん」へと変貌していったように、トップ棋士の一翼を担う三浦がGPSの圧倒的なインパクトを将棋の言葉ではなく国家レベルの惨状に喩えてしか表現できなかったように、自らを支えてきた前提が崩れたとき、私たちは激しく痛んだ剥き出しの身体を抱えて途方に暮れる。

だが、その激しい痛みの中でこそ「すべきこと」や「わかっていること」に守られた領域の外へと踏み出していく「楽しさ」が生まれるのではないだろうか。機械と人間の相互作用を通じて機械はバグにまみれ人間はある種の病を抱え込む。しかしその過程を通じてこそ、計算する知性と人間的な知性が同時にその姿を変えながら共存していく未来への道筋が現れるだろう。機械と人間のオチのない物語はこれからも続く。その行く末を考える上で電王戦は様々なヒントを与えてくれる。先日はじまった第三回電王戦では、バグ修正をめぐる特例措置が問題になり人間とソフトの相互作用において「何がバグとなるのか」が重要な争点になることがより鮮明に示されるなど、本稿で論じたテーマがさらに深化し拡大しつつある。棋士とソフトのさらなる「対話」が何を見せてくれるのか、私はこれからも固唾をのんで見守っていくだろう。

[*8] 山岸浩史・前掲記事p13~14、http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35787?page=14

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久保明教(くぼ・あきのり)

テクノロジーの人類学

1978年神奈川県生まれ。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所研究員。専門:文化人類学、科学技術社会論。大阪大学大学院人間科学研究科にて博士号取得。主な著書は、西井凉子編『時間の人類学――情動・自然・社会空間』(世界思想社、2011年、分担執筆)、春日直樹編『現実批判の人類学――新世代のエスノグラフィへ』(2011年、世界思想社、分担執筆)、檜垣立哉編『生権力論の現在――フーコーから現代を読む』(2011年、勁草書房、分担執筆)など。インドのIT産業と日本のロボットテクノロジーを対象として、コンピュータ技術の浸透が人々の生活に与える影響について調査と分析をおこなっている。

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